1章-4話 異世界
「……聞いたことない言葉ね」
思案するように間をあけるとクロエはそう言った。
「じ、じゃあっ、ここの世界の名前とかわかりますかっ?」
先ほど脳裏に浮かんだ記憶が夢ではないと思い始めたシンヤだったが、認めたくないのか再度問いかける。
「ここの世界とか妙なこと言うのね、世界の名前なんて子供でも知ってるでしょう」
「お願いします。知りたいんです」
訝し気な顔をするクロエに頭を下げて懇願する。
「この世界は女神アシュタルテ様がお創りになった、名をアビリス。……今ではアシュタルテ様も他の神々もいらっしゃらないんだけどね」
「アビリス……、アシュタルテ?……」
クロエは目を伏せながら言葉尻を濁す。そんな彼女の言葉に衝撃を受けながら名を呟く。
口の中でさらに何度か復唱するが、シンヤの知識には女神アシュタルテも、アビリスという名前も出てくるはずもなかったのに、なぜかその響きに懐かしさを感じていた。
「それで、シンヤは結局どこからきたのかしら? 今の反応を見た限りだと女神様の名前も知らなかったんでしょ?」
「……日本という国にいたはず……です。よくわからないうちに気づいたら外の草原にいて、家屋が見えたので、誰かいないかとここに来たんです」
今この場所が地球ですらないアニメの中であるような異世界である。そんな可能性が高くなったことにシンヤは衝撃を受けた。
言葉を選ぶように話をする。内容に嘘は無いが、全てを話しているわけでは無い。見知らぬ人間に、一度死んだ、天界で天使に会った、異世界の住人である、等伝えて信用されるであろうか? シンヤは自身の常識的に信用されることだけを、かいつまんで説明したのだ。
「うそでは……ないみたいね。日本って国も聞いたことないし…、精霊のいたずらかしら?」
一瞬クロエの青い瞳が光ったのだが、動揺しているシンヤは、それに気づくことができない。
「精霊のいたずら? ですか」
「ごくまれになんの前触れもなく人が消えたり、現れたりすることがあるの。それを精霊のいたずらと言って精霊達が戯れにやっていることと言われているわ。その中には『他の世界から来た』なんて言う人もいたらしいし、シンヤの場合もそうなのかしら」
なんの根拠もないはずのシンヤの言葉を、クロエはそのまま信用すると、神隠しのような出来事だと判断したのようだった。
「クロエ、そろそろ時間だ」
「兄さん……。そうね確かにもう移動しないと」
先程迄崩れた壁を背にしていたはずのリュートが、いつの間にか近づいてきて声をかける。その言葉を聞きクロエは空を見上げた。いつの間にか中天にあったはずの日は傾き始めていて、あと数時間もしないうちに、夜のとばりに包まれていくだろう。
「できれば暗くなる前に戻りたい。そいつはどうする? やはり始末しておくか?」
「始末しません。嘘は言っていないみたいだし連れていきましょう。ここに置いて行っても死んじゃうだけだろうし、できればもう少し話を聞いてみたいの」
「移動? まだ聞きたいことが……」
始末するしないと、物騒なことを話している二人の会話を聞いて、シンヤは焦るように話に割ってはいる。右も左もわからない世界の事をもっと知りたいのだ。
「お前の意見など聞いていない。……じき死者の刻限が始まる。このままこの場にとどまっていたら死ぬことになるが、まぁ俺はお前が死のうが生きようが興味などない。いくぞクロエ」
「ちょ、死者の?」
「死者の刻限、日が落ちると死者がこの大地に溢れ出るの。5年前の大襲来の時から毎日ね。結界を張っていない場所だとあっという間に食べられちゃうんだから」
気になる言葉を言い残し、リュートは背を向けて歩き始める。そんな彼の言葉をクロエは説明してくれた。
「食べられるってゾンビかよ」
「ゾンビがなにかは知らないけど、私達は屍人と呼んでいるわ。詳しくは後で話してあげるから、今は森にある私達の村まで行きましょう」
「えっ、本当に?!」
食べられてしまう発言に、昔見たゾンビ映画を思い出す。死んだ人間が夜な夜な徘徊する状況等、実感しろという方が無理だろう。
だが、クロエの表情は真剣で、冗談を言っているようには見えない。その雰囲気に戸惑っていると、彼女はシンヤの手を取りリュートが向かう方向へ歩き始める。
「ちゃんとついていくから大丈夫だって」
手を引かれているという状況が恥ずかしくなり、若干惜しみながらも彼女の手を放し隣を歩く。先ほどシンヤが入ってきた村の入り口を出るとすぐに駆け足になった。
最初は歩きながらでも話を聞こうと考えていたシンヤだったが、先を行くリュートのペースは早く、話をするどころではなかった。
しばらく二人についていくよう走っていたのだが、どこかおかしさを感じる。息も切れるし、疲れもする、ついていくだけできついのだが、シンヤの走るペースが落ちることも限界がくることもなかったのだ。
「なんか変だ……。少しは運動してたけど、こんな道をこんなに走り続けたりなんてできないだろ」
少し休憩にしようとリュートが言ってくれたのは、森の入口についたころ。それまで時間にして2時間ほど走り続けていたのだ。シンヤは自身の変化におかしいと感じながらも、答えのないまま倒れた木の幹に腰を降ろし空を見上げた。
太陽は沈みかけ、赤く染まった空には普段シンヤが目にしていたものとは、明らかに大きさの違う月が三つ浮かんでいた。
地球の月よりも何倍も大きい月と、その左右にある半分ほどの大きさの月。
「本当に異世界なんだ……」
「大丈夫? かなり早いペースで来たから疲れてない?」
目の前に広がっている存在感のある幻想的な光景を目にして声を零していると、シンヤの顔を覗き込むようにしてクロエが声をかけてきた。
「大丈夫……だと思います、疲れたには疲れたんですけど、何て言ったらいいんだろう。疲れが限界に来る前に無くなってくような、そんな感じなんです」
「それって魔法でやってるの? 走るの見てたけどあまり慣れてない感じだったし、途中で倒れちゃうんじゃないかって思ってたのに、ちゃんとついてこれてたから……」
「魔法っ!? もしかしてこの世界には魔法があるのっ?」
隣に腰かけたクロエは聞き捨てならない単語を口にする。物語に出てくるような超常的な力。シンヤも中学生くらいまで両手を前にかざして、呪文を口にしていたのだが、それは黒歴史として永らく封印していたのだ。
「え、えぇあるわよ。基礎魔法ならだれでも使えるけど……」
「使えるのっ!!」
「ええ、使えるけど、見たいの?」
「見たいですっ!」
子供のように目を輝かせるシンヤは、クロエの言葉に食い入るように返事をする。そんな姿を見て懐かしむように彼女は笑顔を浮かべた。
「ふふっ。それにしても、今のあなたが素なのかしら? 敬語とかいらないから普通に喋ってくれていいわよ。名前もクロエって呼び捨てでいいわ。私もシンヤって呼んでるし」
「すみません。じゃなくて、ごめん、おれの世界では魔法とかないから憧れがあるんだ」
はしゃいだあげく敬語も忘れて興奮していたシンヤは、クロエの言葉で我に返り、羞恥から頬に血が上ってくるのを感じた。
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