二節 茨木延珠

釣れたら良いなと少し上流の方に歩く、ある程度登った所で霧に包まれた、しばらくは進もうとしてみたが、地形が変わらぬことに気が付き辺りを見渡す。


これ以上先には進めぬと適当な岩に腰を下ろすると、先程までまとわりついていた霧が嘘のように晴れていた。


それなりに登っていたらしい、懐かしい植生の森、小さな宿場へと姿を変えつつある広場、水鏡の様な水田には黄金色の稲穂が広がり、日は相変わらず山際をオレンジに染めていた、ここに来て随分と時が過ぎたなと思いをはせつつ釣り糸を垂らす。


「そう簡単に釣れぬか、そうだ今のうちに火でも起こすか。」


岩の隙間に釣り竿を固定し、適当な枯れ木や竹で焚き火を起こす。


「焚き木の火って言うのはいくらでも眺められる物だな。」


ぱちぱちと鳴る炎の中に、そっと木を置く、枯れ木や黄色くなった竹とは言え、随分と水分を含んでるようで、炎が折れ口の方にまで上って来ると、ジュワジュワと勢いよく泡を噴き出し、最後は勢いよく燃えるのだから見ていて飽きない。


ただ勢いが衰えていくのはいただけず、焚き木の形を調整するために、定期的に新しい木々をほぉりこんだ。


そんな事を考えているうちに、釣り竿に力がかかる。


「おぉ、釣れた!?」


正直、直で採る方が簡単だが、これは面白いともう一度釣り糸を垂らす。


こうして水面とそこに浮かぶウキを眺めるだけで時間が溶けてゆく、これを面白いと思うあたり年寄り臭いと思われるだろうが、こう見えて僕は天平、今で言う奈良時代から平安中期、正暦のあたりまで生きた。


「何故修験者なぞ招き入れたのか、命など捨ててしまえばよかったのだ、怒りに任せて都に突っ込めばよかったのだ、いや違う。僕は彼女を救いたくて……」


涙を流しながら酒をあおる。


僕が鬼として振る舞った時期は短く、穢れと病をバラまきただ自由に振る舞った、もはや生きる意味すらなかったと言うのに、何故未練がましくそこに戻って来たのか、人に嫌気がさしたなら未開の地へと逃れれば良い、海を渡るのも、何なら異界に隠れてしまえば良い、それでも僕は大江山に戻って来たのだ。


「そも間に合わなかったのだ、失い本当の意味で自由になった僕には、生きる意味すらなかったのだ。」


自傷気味に笑い焼けた魚をほうばった、そうじゃないだろと思ったが、それを言語化出来なかった、それほどまでに精神的なダメージが大きかったのか、はたまたまだ思い出していないことがあるのか?そんな風に考えるうちにようやく涙が渇いたので、彼は視線を水面のウキへと戻す。


「おや随分と綺麗な枝だな、いやあれは箸か?」


水面の上に立ち、流れるそれをつ

まみ上げてそう呟く。


「上流に人が住んでいるのか、こりゃ縁が繋がったがどうするか。」


元の岩に座り、拾った箸をくるくる回して上流の方を向く、先ほどまで行く手を遮るように広がっていた霧が再び現れる事は無く、代わりに暗がりが広がっていた。


僕は焚き火の始末をし、残った魚をかじり、酒の入ったヒョウタンと盃を光の粒子に戻すようにしまう。


手に入れた一本しかない箸を鉛筆回しの要領で操りながら川沿いに進む、夕日が少し、地平線に近づいたような気がした。


「雨、いや台風か、嫌いでは無いが人の生活には悪影響をもたらすからな、そう言えば、鬼にした小娘と会ったのもこの時期か。」


壊れた地蔵によしかかるようにうずくまる小娘がいた、木々が雨をよけてはいたが衰弱し、黒いもやに包まれ命を落とすのも時間の問題だっただろう。


「なんだ、誰の縄張りかを示そうと来てみれば、ただのガキでは無いか、食おうにも怨霊に憑かれて美味くも無さそうだし、それは生まれつきの体質か?それにその姿だ愛されなかったのだろ……、おい何をする。」


少しビビらせてやろうと思えば泥を投げつけられた、痩せこけた体の何処にそんな気力が残っていたのか、そいつは随分と頑固な奴だった。


「何だと、だが考えてみろ、普通の人間ならこの辺りまで来ることは無い、ここに居るのなら捨てられたのだ。」


「約束した、おかあさん待ってろって言ったもん。」


それは目の前の怪物に怖気ず言い切った、巨大な獣の姿であったと言うのに、もの動じせず言い切ったのだ。


「じゃあ待てば良い、帰って来ぬ母を死ぬまでな。」


小娘相手に何を向きになっているのか、当時の僕は心の支えを失い不安定で、捨て台詞を吐いてその場を離れようとした。


「チッ、約束か、全く出来もしない事を、人間はすぐ嘘をつく。」


離れようとして、いつの間にか少女の前に立っていた。


「約束は大事か?」


「おっ母との約束だもん。」


「それが……、叶わなくても?」


「そんなの、知らない。」


僕は動きを止め、その後馬鹿らしくなって獣の姿を剥がし、頭をかきながら少女に話しかける。


「なあ、今のまま人として死ぬか、妖怪として人外になり果ててでも母を待つか、選べ。」


場面は変わり、角の生えた妖怪共の大宴会、飯も酒も山の様にあり、それを囲んでのどんちゃん騒ぎ、その中には角の生えたあの少女がいた。


「ぷはぁ~!!」


「美味いか?楽しんでるか?お前は自由だ、何に縛られるのも自由だが、鬼となったからにはお前は楽しく生きなきゃいけない、笑って飲んで寝て楽しく過ごすんだ。」


暴れて、造って、踊って、何でもした、最初は僕が死者を影として引き連れた八つ当たりだったが、少女が鬼になってからは、行き場の無い者の受け皿となり、人間だろうが妖だろうが、自由に振る舞いたい者が集まり鬼となった。


僕もまた、失った彼女との約束に縛られる事を選んだ、あの鬼となった少女、茨木(いばらぎ)延珠(えんじゅ)が自由になった後にどうしたのかは知らないが、鬼として楽しそうに生きていた。


「彼女との約束に縛られる事を選んだからこそ、修験者を受け入れたのだったな。」


今も生きているのかくたばったのか、分からぬが別れは最悪だった事も思い出した。


「俺は越後の生まれで山寺に入れられ、稚児として育てられたが……、」


等とうそぶき、弘法大師(空海)の奴の名をだし、大江山を離れたのだと言ってやった、知らぬやつでは無かったし、山を巡るうちに出会った事もある。


あれには不本意ながら迷惑をかけただろうし、少しはあれの評判が上がれば程度の気持ちだった、多少の面倒事を背負わせてやろうと思うぐらいには恋敵と言う因縁があった。


演劇で言うところの「大江山」という奴で、神便鬼毒酒と兜を与えられた頼光らによる鬼の退治、殺気に気が付き目を開ければ目の前には縄が迫り、僕は咄嗟に神便鬼毒なる神のデバフを物ともせず跳躍し、天井から壁へと駆け抜けようとするも追尾する縄に手足を縛られてしまう。


故に僕は獣の姿となり、頼光らと、神の化身らを睨みつけた。


五本の角とたてがみをはやした赤いネコ科の獣となり、腕は増殖し、空中に浮かぶ黒・黄色・白・青の体毛に覆われた四本の腕と、十三の目玉を宙に浮かべて随伴させる。自分の由来を調べる過程で習得した陰陽術、五行思想を文字通り体で体現した鬼がそこにはいた。


「酒天無事か?人間どもの軍が動きよった、辺境の大妖怪共もじゃ、我も加勢する、こ奴等など蹴散らして逃げるぞ。」


「ハハハ茨木、悪いな。」


鉄棒を構え宴の間に入って来た炎珠を、黄色の腕が捕まえる。


「酒呑!?何をしておるのじゃ、奴らの毒のせいで力の出せぬ今ふざけてる場合じゃないのじゃぞ。」


「何のために人間のガキを育ててきたと思ってる?いざというために食べるためだよ、何もしかして仲間だと思ってたのか、貴様に預けた力返してもらう。」


緑色の腕が金時のマサカリを弾き、青い腕が丑御前の姿をさらしつつある源頼光の雷を耐える。


「嘘じゃ、酒呑がそんなことするはずあるか。」


巨大な口を開き炎珠を丸のみにする。綱が、足止めの腕を鬼気迫る表情で切りふせ迫るが間に合わない。


「少し眠れ。」


状況は最悪、空中に浮かぶ五つの眼球は配下の妖どもが満足に動けずにいることを映し出す。


腕を増やして拘束を抜けようとするも、僕を縛る縄は、腕の増える数に合わせて同じように増える。


「成程僕の手の内は知られていたわけか、さて侍ども山に入った猟師が罠にかけた動物に殺されたという話を知っておるか?」


切り落とされた首が浮かび上がり、頼光の兜を奪うべく飛び掛かる。


「略奪が、英雄だけの特権では無いと知れ、その権能もらい受ける。」


神の化身に与えられた兜により防がれ、むなしい抵抗に終わった等と書かれぬのだろうが、兜の名が無い事こそ権能の剥奪に成功した証だろう。


延珠に兜をかぶせ、この首をくれてやり僕の人生は終わりをむかえた。


だからこそ、こうして蹴り飛ばされるのは仕方のないことなのだ、置いてかれる事の辛さはよく分かるから。


「酒天!?酒天ではないか、この大バカ者め。」


元気な叫び声と同時に、強烈な蹴りが川辺を走る人物の首を見事にとらえ、木々をなぎ倒しながら吹き飛ばされ、二三度跳ねて巨大な腕につかまれる。


「触れたな、いや捕まえたぞ、戻りし我が腕は怪異となった、もはや生と死の境界は壊れ、隠れ潜む者が背中へと回り込む。」


死の気配が強くなる。見えぬが故に憑かれたかと僕は振り返り、無数の腕に飲み込まれる。


「久しぶりだな延珠、全く怨霊など引継ぎおって、それは僕が背負うべきものだぞ。」


僕は影の腕を振り払い、ギコチナクも凄み再開の言葉をかける。


むかしむかし、ある村に牙のある不気味な子供がおりました、不気味な子供は皆に嫌われていました、だって不気味なんですもの。


そんなある年、村では雨が止まず大洪水が起きました、たくさん死にきっと不気味な子供が水神様の怒りに触れたのだろうと、不気味な子供を湖に沈める事にしました。


不気味な子供を生贄にすれば水神様の怒りも収まるでしょう。


でも不気味な子供はいませんでした、その子の母親が隠してしまったのです。


仕方がないので母親を湖に沈めました、こうして水神様は喜び雨はやみました、めでたしめでたし。


「全く持って阿保らしい話だ。」


角の生えた少年は、不愉快そうに酒をあおったと言う、何処かに残されたそんな話。













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