二節 あの人の隣へ

僕は咄嗟に飛び退いた、どうにか初撃をかわすも弾き飛んだ石畳の破片がほうを傷付ける。


足がすくんだ、何があろうと死ぬことは無い、そんな楽観があった。


そんな楽観をほおの熱い痛みが打ち砕き、えぐれた石畳が私に死の恐怖を突き付ける。


逃げれば悪夢として終わるのだ、こうして我を通して無理をねじ曲げて来たのに逃げ帰る事をゆるしてくれる。


この世界は優しくて、薄情だ。


ここで逃げ出せば鬼と言う縁その物が消えもう二度とここにたどり着く事はないし、縁を失った以上今の記憶を繋ぎ止める事も難しいだろう。


この出来事を夢として忘れ何か足りぬ物を抱えながら生きる。


そんな未来に僕は耐えられない、そんな焦りをかかえて僅かな勝機を求めて周囲の気配を探る。


莫大な自然の気配が境内をうねり、その奥に鍛えられた鉄の気配を感じた。


これだと思った、ここで止まれるのなら、僕はここまで来ていないから、そう自分を鼓舞して、あるいはもう二度と来れぬのだと恐喝し、私は前に駆け出した。


白蛇が胴をうねらす。


新幹線の如く速度で変幻自在に動くそれは、うねるだけで脅威となり、そこから逃れるために石灯籠に滑りこみ、石灯籠ごと鱗に削り潰されるまでの時間で、水路に体を押し込む様に転がり込んだ。


猫のように水路の底に着地し、低い姿勢を維持して走り出す。


轟音、地面が揺れる。持ち上がる尾が振り下ろされたのだ、水路が崩壊し、次に横薙ぎに払われる。


私は咄嗟に水路を飛び出し、盾になるものを求めて目の前の賽銭箱を目指した。


石畳のめくれ砕ける音が迫る。


死が迫る。


一瞬の時間がとても長く感じる。


だからこそどれほど足を動かそうと、腕をふろうと間に合わない事が解ってしまった。


石畳をめくり、地面を少し掘り起こしながら迫る白蛇の尾を前に私は跳躍し体を丸める事しか出来なかった。


「ン?」


すごく、清々しい、そんな目覚め、視界に入る壊れた屋根からここが神社の本殿だろうと当たりをつけた。


どれほどの間意識を失っていたのだろうか、起き上がろうとすると変な方向に曲がった腕が持ち上がる。


「ゴホッ!?」


ついでに赤ものを吐き出した、傷みは無いが体が思うように動かない、かろうじて肺を動かし呼吸を試みると胸部が持ち上がるのが確認出来た。


口の中が熱くなり再び赤いものを吐き出す。


痛みは無いが代わりに全身の骨と言う骨が熱い、肺が持ち上がる毎に胸部が熱くなり、持ち上げた腕もまた熱く感じる。痛みが麻痺しているのだ。


そんな中でも私の頭は冷静で「まだ動くか」等と呟き目的の物を目指して這いずって進んだ。


何と言うか現実感が無い、夢を見てるようなそんな頭で私は目的の物を手に取った。


それはこの神社の御神体、幸運な事に、僕のいた場所の近くにそれはあった、十束の剣、僕は山の民が持つ技術である製鉄の神秘から鬼の力を回収する。


僕が立ち上がると、外から扉ごしの殺気を感じた。


僕が扉を開け構えると、神社の境内にて大蛇がとぐろをまいて牙をむく、改めて見るとやはりデカい、鎌首をもたげた奴の様子からようやくこちらを敵として見たと言ったところか、しかし対する私は満身創痍、御神体の十束の剣を手に取り構えるが鬼の力を取り戻しつつあるとはいえ分が悪い。


次の瞬間目の前に迫る牙、今ならそれが見えるが敵と認識された以上、その動線を避けた所で交わせないだろう。


ならば迎え撃つ、剣術など習ったことも無いが、この剣とてただの剣ではない、使い込まれた感覚が僕に使い方を教えてくれる。


十束の剣を盾に白蛇の鱗を剣で撫で、その勢いを移動に使いその牙を逃れ、その頭を見送り石畳の地面に十束の剣の束を引っ掛け、胴の鱗に傷をつける。


「浅いな、全く勝てる気がしない。」


だと言うのにその口調は跳ね、口角は上がっていた。


「この状況、あの時を思い出す。」


雪解けの季節、薬箱を背負い、傘とミノを着こみ険しい雪山を駆け抜ける、人ひとりがギリギリ歩けるぐらいの崖路を進み、吹雪の中であろうと、降り積もった雪が凍っていようと、それを意にもかいさず進む少年、その背後が爆せた。


「運が悪い、まさか大百足がいるとは、人里にでも押し付けるか?」


山に巻き付くほどの大百足、それは蛇や龍の類に対する数少ない天敵となる妖怪であり、神として祀られるほどの蛇や龍神を苦しめて来た神話時代の怪物、半ば山と同化し、世界の裏側へとズレつつあったそれを、その身に宿る蛇の気で起こしてしまったのだ。


僕は右腕を黄色の毛皮の獣の物に変える。


走りながら岩壁に爪を入れ、バターを熱したナイフで切り裂くようにブロック状の岩を作り、ペッと唾を吐きかけ振り返りざまに投擲する。


吸い込まれるように大ムカデへと飛来する岩石は、見事にその顔面を捉え、すり抜けた。


「一切の遠距離攻撃が効かない代わりにつばのついた遠距離武器に弱いと聞いていたが、僕の唾じゃ龍のブレス扱いになるのかな?直接殴り倒そうにも性質として自分より小さな者には負けぬのだと聞くし、川を取り込み我が父の権能で奴よりでかくなればあるいは……」


遠距離からの攻撃に対する特効と、自身の体格より小さな物との戦闘の際に戦闘力が上がる性質から、格上たる龍すら倒したこの百足は、僕との戦闘においてもその存在をより高位の存在に押し上げていた。


震える声を抑えて冷静さを装う、はるか遠くに輝く生活の明かりを目にした、防衛力はそれなり、妖怪の餌にちょうど良いなぶりがいのある獲物、これで逃げられると安堵したがその目の良さ故に生活の営みが目に入る。


人の世界は嫌な事が多いけど、暖かい物が多くてどうにも嫌いになれない、妖である自分とは関係ない物だ、徐々に距離を詰められ勝算も無いというのに僕は集落を避けて走っていた。


「目が良すぎるのもな、こんな事ばっかりだよ僕は。」


そんな時に彼女に出会った、さっそうと現れた綺麗な明るい紫色の長髪の美しい少女、僕に迫る大ムカデを横から殴り飛ばした強い人、濃い緑色に染められた衣服を纏う少女に僕は目を奪われた。


宙を掴み何かを叩きつける様に戦う少女、彼女の支援の為に大ムカデの視界を防ぐように投擲し、自分もまた大ムカデに殴りかかる。自分が本気で殴っても壊れぬ敵に全力で挑む高揚感、そして頼りになる存在がいると言う心地好さに僕は……、


そう絶望的な状況だった、想定外の出来事だった、初めて恐怖を感じた、初めての命を懸けた戦闘何か一つでも間違えれば簡単に命を失うであろう状況、トラウマになっても可笑しくないほどの負の感情は彼女を切っ掛けに反転した。


数日にもわたる戦闘の後に奴を撃退した、終わりの見えぬ状況で、隣に彼女がいたからこそ強くあろうと振る舞えた。


僕は勝利をかみしめ互いに笑い合う。


笑って自分の獣の腕が視界に入る。急に妖である事を知られるのが怖くなり、いや、知られてはいる、ただその事に言及されるのが怖くなり思わすその場を逃げ出した。


好意は恐怖へと反転した。


声を掛けたかったはずなのに何で逃げたのか、相手が人間である事に気が付き中途半端な賢さが足をすくませた。


いや、言い訳なら出来る。


当時の僕は妖として不完全で、何かのきっかけで暴走する。


そんな姿を見せたくなかったと言い訳する事も出来るが、やっぱり勇気が無かっただけなのだ、それが自分でもわかるからこそ無性に腹が立ち、近くの大百足の破片に当たる。


ひねくれたその妖怪には、自身の力をコントロールする事が出来ると言う事実が必要だった。


世の中には社会人になったからオシャレな店に入ろうか何て思うような、何かをするのに資格が必要なのではと思う人種が一定数存在する。彼もそんな人種の人間だった。


その修行のせいで彼女を失った時ですら理性を失えなかったあたり、やることなす事裏目に出てるなと今頃ながらに独りごちる。


これは別の話だが、その大百足は徐々に回復し、更なる力を求めてどこぞの竜神に喧嘩を売り、呼ばれた人の弓にて命を落としたのだと言う。


相変わらず平安人はヤバいと言うエピソードである。坂東あたりで勝手に戦え案件である。


兎に角これが霊山を巡る修行の日々を始めたきっかけであり、彼女にもう一度出会うきっかけともなった。


こういう連中との戦いは山林修行、今風に言えば、山登りや自分の限界に挑戦するマラソン何かに近いだろう。


「どちらが執念深いかの根性比べだ。」


天変地異のごとき白蛇を前に、四苦八苦しながらも流れを自分に引き寄せようと足掻きもがく、そうしているうちになれて来るもので、考える時間も生まれてくる。


十束の剣が白蛇の鱗に付ける傷が大きくなっている。


少し手元の剣に意識を向ければその鉄の質が変わっているのがわかる。


御神体として保管された十束の剣は、草薙の剣と言う神代の時代の兵器へと変わろうとしているのだ。


此方に攻撃手段が生まれたのなら話は変わる。


「そうだ、私は武勇を示さねばならぬ。」


私は叫び十束の剣を投擲、大蛇の額に剣が突き刺さり、それでもなお鎌首をもたげるにらむ大蛇の頭ごとその剣を蹴り砕いた。


「栄光を、私は打ち倒した、その宝をもらい受ける。」


 私は十束の剣の破片が大蛇の遺体と同化したのを確認し、その尻へと足を進めていた、それが自分の意思かもわからない 程に疲弊していたが、そこに何があるのかは知って居た。


「あれ?おかしいな。」


疑問をこぼす。ふり落とした手刀は、大蛇の尾をバターの様に切り裂いた。


「探し物はこれかな?少年。」


声の先、鳥居の上に立つ青年へと視線を向ける。

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