四節 妖は悪夢の先へ

 どれだけの距離を走ってきたのだろうか、四足で軽々と山の峰へとたどり着き周囲を見渡す。


 呼吸を整え、自然界と一体化する感覚に精神が安定し、獣性がはがれ意識が人に近づくのを感じる。


『母さん心配してるかな。』


 見慣れぬ山々が何処までも広がり、

 空を見上げれば日は徐々に沈み西の地平線が赤く染まり、

カラスの群れが、森の木々に影を落とす、こんな時間帯を逢魔時とでも呼ぶのだろうか?


 私はのどの渇きを覚えペットボトルに手を伸ばす。


「熱!?」


 思わずその水を吐き出しそうになりどうにか飲み込む、のどの奥が熱いだがそれが心地良い。

 親戚で集まった時に飲まされた日本酒を思いだした、酒の類は飲めない、これに美味しいと感じた事はないはずだった。

 湧き水が入ったはずのペットボトルは、酒の入ったヒョウタンに代わっていた。

 どうにも酒精が強いらしく、先ほどの一口で平衡感覚を失い、その場に座り込む。


「立てねぇ。」


 視線を下ろすと毛むくじゃらの二本の腕があった、手に持っていたヒョウタンを落とし、フラフラと後ずさる。

 重厚な肉球で感じる地面の感覚が、ヒゲで感じる空気の流れがどうしょうもない現実を突き付けてくる。


『このままでは生きていけない。』


「ガァアァ!?」


 悲痛な叫びは咆哮として山々にこだまする。自分はネコ科の大型肉食獣となり果ててしまったらしい、人間と虎のまじりあった歪な姿、人虎の様な怪物こそが今の私であった。いくら叫ぼうともその言葉は咆哮として大地を揺らす。


 ちゃぽん、落としたキョウタンからは際限なく酒があふれ出し、山の傾斜に川を作り、くぼ地に池が出来ていた、体が意思を無視して本能に従い動き出す、こぼれて汚いだの、明らかにヒョウタンの内容量を超えた酒がこぼれているなどを気にする余裕はなく、土の混じった酒を、生える草ごと貪るように胃の中に流し込んだ。


 目が覚めるとそこは崖の底、それも池の中であった、既に辺りは暗くなり、全身を鈍い痛みとぬれた服の気持ち悪さが襲う。

 崖からでも落ちたのだろうか、いやな夢を見ていた気がする。立ち上がろうと崖の壁に手を伸ばすも、距離感を誤り体制を崩す。


 盛大な水しぶき、起き上がると手のひらほどの大きさのハスの花弁が頭についていた。


「何処だろう、ここ?」


 幸いな事にジャンパーは背の低い木に引っ掛かり、中のスマホも財布も水に浸かってはいないようだ、ただい一つ問題を上げるならば、そのジャンパーがまるでぶかぶかのコートの様にデカいという点だろう。

 いや違う、自分の身体が小さくなっているのだ、着てた服も濡れて体に引っ付いていたから気が付かなかったがだぼだぼで、ズボンなんかは両手で持ち上げて無ければずり落ちるだろう。

 どうにか池から抜け出し、スマホを回収してみるが、電波の所には奇妙なマークが表示され、その後画面が暗くなり使えなくなった。

 道もわからず、マップも見れずに何処ともわからぬ森をさ迷う事になるのかとため息をつく、そこに絶望は無かった、ひとまずぬれた衣服を絞りここに居ても仕方ないと私は歩き出した、そう言えばカラスの鳴き声が聞こえた気がする。


「おっと!!」


 小川の辺、コケの生えた岩に濡れた雑草、急な道で足を滑らせかけて、近くの枝につかまりどうにか踏ん張る。


「せっかく乾かした服がまたぬれるところだった、どれだけ歩けばいいのやら、足が痛いし喉も渇いた。」


一休みしようと適当な岩に腰掛け、ハスの花弁を軽く洗い、それを盃にして風情のある飲み方を試してみる。

未成年の飲酒は悪いとは思うが、私が持っているのは湧き水の入ったペットボトルではなく、酒の入ったヒョウタンだけ、今思えばそんな怪しい酒を飲むぐらいなら小川の水でも飲んだ方がましだとは思うが、これ程美味い酒なら理由をつけて、理由が無くても飲みたくなるのもだし仕方ない。


 ヒョウタンの中身を呑み元気になった僕はフラフラと森をさ迷い始めた。


「しかしいくら飲んでも無くならないというのが素晴らしい。」


 辺りは暗く濃い霧に覆われ一寸先も見えぬと言うのに、僕は道なき道を軽々と、とても長い間歩いていた。


 そのつどヒョウタンを空にする量の酒を飲んだが、それでも中身が減る気配はない、頭を傾げるがきっと夢でも見ているのだろうとこの状況を楽しむ事に決めた、勿論この美味い酒を飲むのをやめるという発想も出てこなかった、酒をあおる。


頭が少し重くなった気がした。


「しかし酒だけでは物足りないな。」


 思わず言葉を漏らす。どれだけ飲んでもこの酒に飽きる気はしないが、この酒で膨れたお腹も、霧に隠れシルエットだけの単調な景色も、それだけでは寂しいと思い辺りを見渡す。


「おやあれは?」


 柔らかな灯りが見えた、霧立ち込める中僅かな灯りを頼りに山道を進む、気が付けば太鼓橋の真ん中におり、濃霧の向こうにようやく建物らしき物の影が見えて来た。

濃い霧に覆われ、ぼやけた提灯の明かりだけでは、この建物の全容を把握する事は出来ないが、入り口の位置へは簡単にたどり着いた。


「誰かいます?」


 視界に広がるのはオレンジ色の光、それに照らされた大正風味の受付、断片的な前世の記憶を頼りに記憶を取り戻す少年と、記憶を取り戻した悲しき鬼の新たな英雄譚の序章が幕を開ける。


 摩訶不思議な異世界に迷い混んだ主人公、奇妙なものと出会い奇妙な世界を体験し、徐々に前世を思いだした結末は、素晴らしい物になるだろう。

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