第46話 呼ばれてしまうと浮き足立つから

 

 多忙な一日が終わっていく。ランスノークは王達と外交情報を共有し、ロシュラニオンは騎士達の訓練や配置、仕事の見直しに追われた。クラウンは常に小走りの状態で城の中を動き回り、廊下の修繕や貿易品の検品作業を手伝っていく。


 サーカス団員達は障害が残ったリオリスとレキナリスについて話し、二人は継続してアーティスト枠でいられないか練習を始めることにした。


 そんな長い一日の夜。テントで夕食を取り終わり、就寝準備を整えてベッドに倒れこんだクラウン。青い髪を枕に広げた少女は微睡みに浸っていた。


「クラウーン。眠たい所悪いけど、騎士さんが来てるよー」


「ノックせんかいボケェ」


 あと数秒で少女が眠れると言う時。ノック無しで扉を開けたリオリス。クラウンは両手で頭を覆い、リオリスは左目を瞬かせていた。


 笑う少年は開けている扉をノックする。クラウンは「順番ッ」と体を勢いよく起こし、枕元に置いていた黒い眼帯を掴んでいた。


「ラッキーだね」


「私にとってはアンラッキーだよ、くそ……」


 青い髪を整えて仮面をつけるクラウン。リオリスは可笑しそうに肩を竦め、クラウンは黒い髪を払っていた。


「……いや、リオ」


「うん?」


「ドア閉めてよ」


「あぁ、ごめんごめん」


「誰が入れと言ったし」


 道化師の衣装を出したクラウンは不満の空気を垂れ流す。リオリスは道化師をからかい続け、指先は黒い毛先に触れていた。


「騎士さん待ってるんでしょー」


「伝言だけだったよ。ロシュラニオン王子が来て欲しいんだってさ」


「そりゃ急がないとねぇ。だから出ていけ」


 クラウンはリオリスの頭に手刀を入れ、緑の少年は笑い続けている。その読めない笑顔が気に食わないクラウンは深く息を吐いていた。


「アスの綺麗な青がね、俺はもう分からないんだ」


 そう少年が静かに言うから、道化師は黙って金色の左目を見上げてしまう。リオリスは眉を下げて笑い、黒髪に深く指を差し込んだ。


「俺は最初から……ミール副団長を頼ればよかったのかな。レキナリスを頼ることを止めて、縋ることを止めて。そうすればアスはアスのままで良くて、ロシュもスノーも、レキだって」


「リオリス」


 クラウンはリオリスの肩を叩く。少年は静かに息を吐くと、道化師の頭に顔を寄せていた。


「……ごめん、愚痴った」


「愚痴だったら止めてないさ。さっきのお前は懺悔に近い」


 肩を竦めたクラウンはリオリスの瞳を見つめている。左目しかない者同士。それでも見ている世界は決して同じではない。


「過去は変わらないよ。あの時こうした方が良かったなんて、考えるだけ窒息していく」


「その言葉、君に返すよ」


「そりゃどうも」


 リオリスは背筋を伸ばしてクラウンから離れ、部屋を後にしていく。廊下に出かけた少年は一度止まり、微笑みを道化師に向けていた。


「ほんと、可愛いまま育ったと思うよ。アス」


「今度は何を企んでるんだか」


「うーん、ロシュの所にアスが行っちゃうのを引き留めたいとか?」


「疑問形の作戦どうも」


 呆れたクラウンはリオリスの背中を押して扉を閉めておく。「伝言ありがと」と最後に言った道化師に、緑の団員は微笑んだままだった。


 慣れた動作で道化師の衣装を着こんだクラウンはガラに一言伝え、城へと駆けて行く。暗い道は昼間とは違う静けさを孕んでおり、クラウンはフィラムの言葉を考えていた。


 ――アス、貴方の道は貴方が決めて良い。ロシュの幸せだけを、どうか願わないで


「そう言われてもさぁ、王妃様」


 クラウンの足取りは酷く軽い。先程まで微睡んでいた者の動きには到底見えず、クラウンは舞うように走り進んだ。


 浮足立つとはこの事だろう。


 何故なら彼女は――嬉しいのだから。


 いつも、いつだって、どんな時も。城から自由に出られない王子様に呼ばれることが少女は嬉しくて堪らないのだ。


 彼は自分からテントに赴くことはそう出来ない。日々仕事に追われ、夕暮れを過ぎれば王子も王女も城から出てはいけないと固く言われているから。昨夜の事件があれば尚更であり、そう言った制約を聞く度に道化師は思う。


 自分と王子はやはり違うと。彼は自分ほど自由には過ごせていないのだと。城に、国に繋がれた王子様だと。


 そんな彼が呼んでくれる。城の中に居れば探してくれる。傍に居ることを望んでくれる。


(あぁ、浅ましいクラウン。狡いね……アスライト)


 月光の元、クラウンは背中に羽根が生えたように進んでいく。


 王子様はいつかきっと自分の手が届かない所に行ってしまうと思いながら。リオリスとレキナリスの一件が落ち着き、ランスノークが王位を継いで、ロシュラニオンが総騎士団長であり続けたとして。


 彼がクラウンの姿を見られないことに変わりはない。奪われた記憶は戻せない。自分の青を表に出せば、王子を苦しめることが分かっている。


(だから、これがいつか覚めてしまう夢でも良いんだ)


 仮面を付けていなければ、クラウンはロシュラニオンの隣にはいられない。そう言う現実。正しい事実。


 ――好きになって、しまったから、近づきたいと、思うんだ


 一言一言を噛み締めるように伝えた王子様。


 言葉を選んで、不格好に途切れ途切れだった声をクラウンはこの先忘れない。


「――ラニ」


 クラウンは足音静かに城まで辿り着く。正門をくぐる時は仮面を外して道化師アスライトであることを確認してもらい、武器を所持している場合は一つ一つ説明すると言う改革ぶりに感心しながら。


 道化師は夜であろうと何だろうと、変わらぬ陽気さを演じている。


「あ、このクラブはね、仕込み刀になってましてー! こっちのハンカチはあら不思議! ちょっと振るだけでナイフに大変身でございます!!」


「君は武器商人だったのか?」


「修行中の付き人でございますねー!」


 門番達の呆れ声を聞きつつ、いつもの倍以上の時間をかけて城に入ったクラウン。


 ロシュラニオンの部屋の前にはルリノとダンヴェンが立っていた。今日から夜の番を増やし、王女と王子の部屋前に控えるようになったらしい。国外からの侵入者は変わらずサーカス団が夜警をする為、騎士達は「仕事が無いことを祈る」と背筋を伸ばしていた。


 そこまでは良かった。少なくともクラウンにとっては。浮足立っていた道化師だが、王子からの要件は扉の前で聞いてそのまま帰る腹積もりでいたのだから。


 扉を開けたロシュラニオンは既に部屋着であり、やっと気を抜ける格好になったと言う風貌であった。


「こんばんはー王子様! 何用でしょうか? 夜警の報告とか今日の資料整理で確認したい事とかだったら、お答えできると思うんですけど!」


「入れ」


「それは断る!」


 王子と付き人の流れるようなやり取りを聞いてルリノとダンヴェンは口を結んでる。堂々と王子に「断る!」などと叫べる者はそうそういないからだ。気の置けない二人のやり取りに騎士達は内心で微笑み、ロシュラニオンはクラウンの腕を掴んでいた。


 完全に引き入れる力加減の王子に気付き、道化師も腰を落として足を踏ん張る。そこに品位や雰囲気と言うものは皆無であり、騎士達は口を挟んではいけないのだろうと頷き合った。もしも止めに入れば王子の雷が落ちる自信が二人にはあったのだ。


「おいおいおい待て待て待て昨日の今日で馬鹿じゃねぇの!?」


「クラウン」


 騒ぐクラウンの足から少しだけ力が抜ける。


 赤い左目で見下ろされ、たった一言呼ばれるだけで。


 ロシュラニオンはクラウンの腕を引いて扉を閉めた。ルリノとダンヴェンは息を吐き、小さく言葉を交わしている。


「……朝まで出てこないに一票」


「馬鹿を言うな」


 * * *


 多忙な一日を終えて流石に疲れていたロシュラニオンは、クラウンを膝に乗せて黙っていた。ベッドに腰かけ、肩から力を抜きながら。


 クラウンは目まぐるしく頭の中で言葉を考えるが、見る限りは人形のように微動だにしていない。


 王子は道化師の脳天に額を乗せて何も喋らない。時折クラウンはロシュラニオンが寝たと思って動きかけたが、その度に腕に力を入れられた。


「……どしたの、ロシュラニオン様」


 クラウンは冷や汗をかきながら思考する。王子が自分を部屋に入れてそのまま出て来なかったなど笑い話では済まないからだ。いくら自分が付き人と言えど、付き人でいるかどうか熟考して欲しいと王妃に言われたその夜にだ。ルリノとダンヴェンと言う証人までいる中で。


「ね~ぇ~」


「……クラウン」


「お、反応してくれてありがとう!!」


 喜ぶクラウンからロシュラニオンは離れない。王子は息を少し吐き、道化師を抱き締めていた。


「お前は、付き人を止めたいと思うか」


 問いかけるロシュラニオン。クラウンは唇を震わせ、自分を抱き締め続ける腕に触れられずにいた。


「……王妃様が何か言ったのかなー」


「……少し、な」


「そうかそうか」


 クラウンは肩を竦め、ロシュラニオンは黒い髪に頬を埋める。王子の言葉は問いかけだった筈なのに、その腕は道化師を離す素振りなどないのだ。


「私はさあ、君が傷つかなければ幸せなわけですよ」


 道化師は王子に体重を極力かけないよう努めている。その努力を知りながら抱き締め続ける王子は黙って耳を傾けていた。


「君が怪我しなくて、泣かなくて――笑ってくれてたら、それが嬉しい」


 クラウンはロシュラニオンから離れようと彼を押す。けれどもロシュラニオンは腕を離さず、それでも押されるままに倒れたのだ。


 ベッドに転がるロシュラニオンをクラウンは見下ろしている。黒い髪はいつかのように白い面を滑り、王子は隠された青い瞳を見つけていた。


 王子の額に痛みが走り、冷や汗が滲み出る。


 道化師はそれを見て笑い、仮面の奥の瞳を伏せていた。


「馬鹿だよなぁ。君が痛くないことを望むのに、君を痛くさせるのは私の青だなんて」


 クラウンは笑っている。言いたい言葉は飲み込んで。言わなければ知られないからと自分に言い聞かせて。


 道化師に手を回したままの王子は腕に力を入れる。無気力に倒れこんだクラウンは息を吐き、ロシュラニオンの体温に目を伏せ続けていた。


「ならば、その痛みに慣れてやるさ」


「無理すんなバーカ」


「そうすれば、お前は俺の傍にいることを迷わないだろ」


 ロシュラニオンはクラウンの仮面の外そうとして、それを道化師は拒否している。


 ロシュラニオンは息を吐き、クラウンを半ば引き摺りながらベッドに転がり直していた。クラウンは起き上がろうとするがそれを王子は許さない。


「王子様~、私も眠いんで帰りますー! 付き人云々の話はまた明日ってね!」


「ここで寝ればいい」


「そんなこと許されませーん!」


 クラウンは駄々を言い出したロシュラニオンに息を吐く。緩みそうな顔に力を入れて。例え誰から見えないとしても。


 その時、道化師も王子もテラスにやって来た者の気配を感じていた。直ぐに二人は起き上がり、クラウンはクラブを、ロシュラニオンは剣を握る。ルリノとダンヴェンを呼ぼうとクラウンは動きかけたが、それを止めたのはロシュラニオンその人だ。


「……顔見知りの客人のようだ」


 ロシュラニオンは窓を見つめ、そこは三度ノックされる。クラウンは足音を立てずにカーテンを少しだけ開け、闇に紛れている来訪者に息を吐いた。


「……テラスからの訪問は止めてよ、副団長」


「廊下を通るよりも飛んだ方が早くてな。正門で入城許可は貰ったから問題ない」


 クラウンはロシュラニオンを確認し、王子は副団長を入室させる。


 ミールは疲れた顔でロシュラニオンの前に立ち、その手の中には――黄金の眼球が握られていた。


「――は?」


 クラウンから声が漏れ、ロシュラニオンが目を見開く。


 ミールの瞳には金色の光りが混ざっており、彼は確かに言ったのだ。


「ロシュラニオン王子。私は貴方を導きに来ました――レキナリスからの願いを受けて」

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