第45話 それは確かに罰だった

 

「……心が痛かったねぇ」


「そうねぇ……」


 夕暮れのレットモル。国を囲う土壁に隣接した林の中で。クラウンとランスノークはお互いを抱き締め、髪を撫で合っていた。頬を寄せている二人の空気は疲労困憊ひろうこんぱいと言ったところだ。


 二人の前に座るレキナリスとリオリスは苦笑しており、ロシュラニオンは胡坐あぐらをかいて深いため息を吐いている。


 団員三人はそれぞれ正装をしており、それは初めて訪れる国の統治者達に挨拶をする時しか着ないものだ。大国などは衣装では城に入れてくれない、会ってくれないと言うこともザラにある為、郷に入っては郷に従え。そこは相手に合わせると言う礼儀である。


 クラウンは仮面に正装とアンバランスさが否めないが、それでも団員全員が同じ格好をして一律に頭を下げる姿は美しくすらあったとロシュラニオンは記憶していた。


 * * *


 ――団員全員が正装をして王と王妃に謁見に来た時。各騎士団の団長と副団長、従者も全てが集まった広間の緊張感は計り知れなかった。


 最前列にて頭を下げたのはリオリスとレキナリス、そしてクラウン。その両脇にガラとミールが膝をつき、団員達も顔を上げることは無かった。


「話はランスノークとロシュラニオンから聞いた。先んじて語ることを許そう、ガラ・テンティア」


 ザルドクスは赤い双眼を細めながらガラを見下ろす。団員達は頭を下げ続け、団長は噛み締めるように言葉を吐いた。


「ザルドクス王、フィラム王妃。並びにレットモル騎士団の方々、城に住まわれる従者の方々。この度は我等イリスサーカス団の団員が起こした事件により、ランスノーク王女とロシュラニオン王子の御身を傷つける事態を招いた事、団員一同謝罪に参りました。頭を下げるだけで許されることではないと重々承知しております。我らはどのような罰も受け入れる所存です」


 右目に黒い眼帯を付けたガラをザルドクスは見つめている。団長は再び深く頭を下げ、王は並ぶ三人の団員へと視線を向けた。


「レキナリス、リオリス、クラウン、顔を上げなさい。此度こたびの件を終えた君達は何を望んでいるか――誠の言葉が私は聞きたい」


 伏せていた目を開けて、静かに顔を上げた三人。


 レキナリスは指から糸を零し、宙に白い文字を綴る。震える腕を無視して、王妃はその震えを確かに見つめながら。


 〈八年前の事件も昨夜の事件も、私の弱さが招いた事です。心臓が弱かった私のせいでリオリスは事件を起こしました。心が弱かった私は死こそが救いになると逃げ、ランスノーク王女とロシュラニオン王子に傷を残しました。どうか、私の弱さに対する罰を〉


 クラウンは仮面に触れ、片手は強く握り締められる。青い髪と瞳をそこに隠し続けるのは王子の為であると、王は知っていた。


「私はロシュラニオン王子の付き人でありながら彼を守ることも止めることも出来ず、ランスノーク王女にも癒えぬ傷を残してしまいました。王子に逆に守られてしまいました。どうか、私の愚かさに対する罰を」


 リオリスは黄金の左目で王と王妃を見つめ、そこには白と黒の景色しか映らない。王も王妃も同じ色に染まり、その口は結ばれたままであった。


「私はイセルブルーの事件を引き起こし、あの日城にいた方々に氷の傷を残しました。九つだったロシュラニオン王子の記憶を奪いました。それを隠して昨日まで過ごし、再び王子を襲いました。記憶を奪おうと考えて実行し、城に住む皆を眠らせました」


 リオリスはそこで呼吸を一つ挟む。王も王妃も催促することはせず、少年は左胸を毟るような動作をした。その黄金の左目は歪み、彼は腰を折っていく。


 手を前に揃えて額を床につけた少年は、思い出してしまったから。初めて会った自分に手を伸ばしてくれた王と王妃を。自分と握手をしてくれた幼いランスノークと――ロシュラニオンを。


「どうか私に……許されてはいけない俺に――罰をください」


 王が望むのは誠の言葉だとリオリスは言い聞かせ、言葉を選ぶ。


 レキナリスは文字を消して前に手を揃え、クラウンも仮面を床に触れさせた。


 彼らは自分への罰を望む。自分の弱さに、愚かさに、自分自身に罰を望む。


 ガラは目を伏せて団員達と共に頭を下げ、団員達もより深く腰を折った。団長は深く吸った息を声として吐き出している。


「罰を受けるべきは彼らだけではありません。我等サーカス団員――家族全員が、罰を受けねばなりません」


 普段感情を読ませないミールの声が、この時ばかりは強くなった。


「私は唯一、知りながら止めなかった者です。私はこの子達を止めることも出来た。ランスノーク王女とロシュラニオン王子を守ることも、傷つけないことも出来たのにそうしなかった。どうか、私に最も重い罰を」


 飄々としている筈のベレスの言葉は、今だけは凛と部屋に響いていく。


「我等団員は最も身近にいたにも関わらず、気付けなかった者達です」


 麗しのピクナルの声は、深い後悔の色を滲ませていた。


「止められなかったのはミールだけではありません。叱れなかったのは、我等全員でございます」


 リオリスは奥歯を噛み締め、レキナリスもクラウンも頭を下げ続ける。


 ザルドクスは口を微かに開け、フィラムの顔には悲痛の色が浮かんだ。


「全員、顔を上げなさい」


 おごそかな空気を纏ったまま歩み出したザルドクス。彼の言葉に団員達は一拍置き、ゆっくりと顔を上げていった。


 リオリスの前にザルドクスは立ち、かと思えば膝を折ってしまう。その姿に少年は慌てたが王に肩を掴まれ、同じ目線にされては抵抗も出来ない。


「君達は本当に――仕方がない子だ」


 ザルドクスはリオリスの眼帯を撫で、泣き出しそうな顔で笑ってしまう。黄金の左目は見開かれ、王はそんな少年を見つめていた。


「リオリス、君は大切な人の為に駆けたのだろう。一人で悩んで、一人で決めて、一人で抱えて来たのだろ」


 赤い双眼はレキナリスに向かう。青年は口を結び、王は慈しむ瞳を向けていた。


「レキナリス、君は最後に走れたのだろう。自分で飛び出して、罪の意識にさいなまれながら、その償い方を探したんだろう」


 王の穏やかな声はクラウンにも向けられる。道化師は手を握り締め、ザルドクスは眉を下げてしまうのだ。


「クラウン――いや、アスライト。君を愚かなどと誰が思うだろう。自分自身を罰し続ける君を、誰が罰せられるだろう」


 三人の肩が小さく揺れる。ザルドクスはリオリスの緑の髪に指を差し込み、仕方が無さそうに笑うのだ。


「君達は昔から、言い訳をしない子だ。自分が悪いと認められる素直な心を持った子だ。大人が叱る前に自分を叱ってしまう、どうしようもない子ども達だ。大人を頼れないまま育ってしまって……いいや、違うね。頼り方を知らないまま、育ってしまったんだね」


 リオリスの唇が震える。レキナリスは視線を迷わせ、クラウンは呼吸を微かに乱していた。


 ザルドクスはそんな三人を見て、やはりどうして、笑ってしまう。


「どうして一言、「大丈夫」ではなく――「助けて」を言ってくれなかったんだい」


 三人の目が見開かれる。ザルドクスの手は温かくリオリスの頭を撫で、少年のモノクロの視界が滲み始めてしまった。


「ミール、この子達を見ていてくれてありがとう。君はいつも、子ども達の傍にいてくれた」


「……いただけの存在です、王よ」


「いないといるでは大きく違う。君はいつもこの子達を信じて、見守っていたんだろう」


 ミールは嘴を閉じて言葉を探す。王は俯いたリオリスから零れた雫を見て拳を固く握った。ミールは王達の心と考えを見ないように心掛けている。


「……私は、王女と王子の目を抉りました」


「娘と息子の願いを聞いてくれて、ありがとう。君にもつらい思いをさせた」


「王よ」


「ミール。君は子ども達の可能性を摘み取ることなく信じ続けた、立派な存在だ」


 副団長の言葉が止まる。ミールは嘴を閉じると、それ以上の事は何も言いはしなかった。


 フィラムはガラの肩に手を添えながら膝を着き、微笑んでいる。団長は王妃の涙跡に気付いており、奥歯を固く噛んだのだ。


「本当に、私達は駄目な大人になってしまったわね、ガラ」


「……フィラム王妃」


「臆することなく右目を差し出したあの子達から話を聞くまで、何も気づかなかっただなんて。あまつさえ、子ども達に頭を下げさせて、罰を望ませてしまったわ」


 道化師が王妃の言葉に訂正を入れかける。しかしランスノークが首を横に振るのを見たクラウンは、何も出来ないまま手を握り締めてしまうのだ。


「気づけなかったくせに罰を与えるだなんて、私達には出来ないのにね」


 フィラムの視線はザルドクスに向かう。王は立ち上がり、王妃も共に身を引いた。


 部屋には低く威厳ある王の言葉が響いていく。


「騎士団は日々の業務に加えて一から鍛え直せ。自分達を恥じて悔やむのならば、悔やまぬ強さを磨け。昨日の自分で満足するな。今日の自分を驕るな。明日の自分が誇れる自分であれ」


 騎士達の肌が泡立ち、淀みない返事が広間に響く。


「我が城に仕えてくれる者達よ。業務を完璧にこなさなくていい、失敗もしていい、それでも見ないふりだけはしてくれるな。君達の最大の武器は給仕力ではなく、温かさであって欲しいと私は願う」


 従者達の背筋に糸が張り、凛とした返事が揃う。


「イリスサーカス団の団員達。君達が笑わなくてどうする。苦しむ家族に気付けなかったことに罰を望むのであれば、君達はまずその家族を笑顔にすべきだ。国も、貿易相手も、観客も考えなくていい。君達は家族とまず向かい合え」


 団員達の目が見開かれ、返事が絞り出されていく。


「ミール。止めなかった自分を責める前に、信じた自分を褒めてくれ。かつての君に感謝を述べなかった私こそ愚かであり、口先だけの弱き王だ。君のように迷う者に気付ける目を、私はこれから育てていくよ」


 副団長は王と団長を重ね、口癖のような褒め方にこうべを垂れてしまう。


「レキナリス、リオリス、クラウン。罰を望む君達に、私が与えることの出来る罰は一つしかない。どうか許しておくれ」


 三人の視線の先で笑う王がいる。花が咲き乱れる美しい国――レットモルをべる、博愛の王がそこにいる。


「――幸せになりなさい」


 子ども達の呼吸が止まる。


 息を呑む。


 黄金の瞳と青い瞳からは涙が溢れ、唇を噛み締めた彼らは頭を下げた。


「ガラ、どうか頼むよ。この子達がこれ以上、自分を嫌いになってしまわないように。二度と死にたいと思わないように。私と共に考えて、守ってくれ」


 団長の唇が震える。赤い左目は眩しそうに細められ、感情が溢れた返事を口にするのだ。


「必ず」


 * * *


「……幸せって言ってもなぁ」


 リオリスは呟き、クラウンも空を見上げてしまう。道化師は王子の付き人でいることを今一度考えるようにと、王妃に言われたのだ。


 ――アス、貴方の道は貴方が決めて良い。ロシュの幸せだけを、どうか願わないで


 微笑んだ王妃は付き人をやめるように言ったわけではない。クラウンが自由になることを望んだのだ。それに道化師も気づいており、その場での返答は許されなかった。


 少し離れた所に待機している騎士達を見て、クラウンは息を吐く。片目を失ったロシュラニオンは新しい戦い方や死角に入られた時の対処を学びたいと言っていた為、その特訓には付き合いたいところだ。だてに道化師も左目だけで生活している訳ではない。


 けれどもその考え方が既にロシュラニオンを優先しているとクラウンは気付き、頭を抱えた。


 王子は唸る道化師に気付き、静かに思案する。


 ランスノークはクラウンに抱き着いたままレキナリスを見ていた。


「これからは、レキ達を幸せにする方法を考えないといけないわねぇ」


 五人は顔を見合わせ、夕暮れの中で息を吐いている。徹夜明けの中、緊張感に晒され続けた彼らの体力は削られ過ぎていた。


 ランスノークは小さく欠伸をしてしまい、クラウンの黒髪を撫でている。


「作戦会議はまた後日かしらねぇ……」


「うぇあ、さんせーい……私もう正装脱ぎたぁい」


「僕も……」


「お、僕っ子リオ君久しぶりー」


「久しぶりー」


 やる気無さげに手を振り合ったクラウンとリオリス。十数時間前には殴り斬りつた者同士ではあるが、既にそれは終わった事だ。


 苛烈な怒りも、煮えた感情も。相手を知って、死に迫り、許してしまえば飲み込めてしまう。


 少なくともクラウンはそうであり、ロシュラニオンは肩から力を抜いていた。


 レキナリスは王子を見て、右目を無くした友人達も一瞥する。


 キアローナ姉弟はそのあと城へ戻ることにし、クラウンも習慣として着いて行った。


 リオリスとレキナリスはテントへ戻り、いつも以上にテンションが高い団員達にもみくちゃにされてしまう。


 笑うレキナリスは団員の中の黒を探し、テント上部の照明器具の近くで目的の相手を見つけたのだ。


「……なんだい、レキ」


 微かに疲れを声に滲ませたミール。


 レキナリスは苦笑し、ミールの前に座っていた。

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