第40話 書き足される物語

 

 ある所に、白紙の王子様と彼を幸せにしたい道化師がいました。


 王子様は強くなることで幸せになれると思いました。道化師はその願いを叶える為に傍にいました。


 王子様は道化師が泣くことが大嫌いでした。道化師は王子様が傷つくことが大嫌いでした。


 だから彼らは決めていました。


 王子様は道化師を泣かせる原因を作った犯人と自分自身を。道化師は王子様を傷つけた犯人と自分自身を、決して許しはしないと。


 ある日。記憶を奪われた王子様は信じていた友達に裏切られていました。だから戦いました。


 ある日。右目を捧げた道化師は大切な人を殺した犯人に気が付きました。だから戦いました。


 二人共犯人を信じてたけど戦いました。信じていたかったけど戦いました。犯人にだって信念があったから。


 王子様は大切な人を泣かせる元凶を作った犯人が許せませんでした。泣かせてしまった自分も許せませんでした。


 道化師は大切な人を殺された恨みを忘れられませんでした。もう一度襲うなど見過ごすことが出来ませんでした。


 彼らと戦っていた犯人は、大切な人に刺されて諦めました。守られてきた人は泣きながら犯人を抱き締めました。


 そのまま二人は氷漬けになり、見届けた王女様は言いました。


 ――これは救いなの


 そうして犯人とその兄は眠りにつきました。深く深く、二度と目覚めない深い眠りに。


 王子様と道化師は自分達を傷つけようとした者がいなくなり、王女様が治める国で前を向いて生き始めましたとさ。


 めでたしめでたし。


「――そんな救い、反吐が出る」


 クラウンの中には煮え切らない感情が渦巻いていた。それは一種の怒気にも見え、黒髪を掻き毟る姿は荒々しい。


「こんな終わりで堪るか。こんな最期で堪るか。誰も幸せになんてなってねぇじゃねぇかッ!!」


 青い左目に怒りを乗せたクラウンが見る相手――ミールは何も言わない。


 ロシュラニオンはクラウンの背を見つめ、ランスノークはコルニクスについて思い出していた。


 〈導きの種族――コルニクス。黒い四つの翼と羽毛に覆われた体。三つの銀色の瞳はそれぞれ相手の姿と、心と、考えを映す。彼らは導くことを望む者からの願いを受けて、導かれる者にまじないをかける〉


 かつて青い少女が涙ながらに懇願した相手。眠ってしまった王子が起きることを願って、起きることを怖がる少年を幸せにしたいのだと願って、友達にはならないと誓いを立てて。


 ――逸話では、政権争いをした王様に頼まれて、彼の方に民を導いたり、身分が違う相手に恋をした女性に頼まれて、相手の心を彼女の方へ導いたり――子どもが不治の病にかかった親から頼まれて、導いたりしたんだって


 導きとは一つののろいである。


 自分が思う通りに他者を動かす我儘な祈り。自分が思った通りの未来を作る為の傲慢な願望。それを現実にするのが導きであり、それは時に輪廻や運命すらも決定づける。


 自分の目を犠牲にして、誓いと言う楔を立てて。それを背負って生きる覚悟の元で、望む者は自分にとっての成功を、幸せを望むのだ。


 だからミールは自分の力が嫌いだった。コルニクスと言う存在が嫌いだった。自分に願う者が嫌いだった。


 何の代償も無しに他者が付き従う筈がない。何の努力も無しに相手の心を自分に向けさせられる筈もない。何の対価も無しに死ぬ筈の者が生き続けるわけがない。


 これは、神や運命に逆らいたい生き物の傲慢の結果なのだから。


 ミールは他者を導きたくない。良いように導かれたハッピーエンドの物語など作りたくない。


 しかし今彼の目の前に立つのは、いつの日か右目を差し出した少女だから。自分の幸せを願わずに、たった一人の王子を幸せにしたいと願った踊り子だから。


 もう、左目しか残っていない子どもだから。


「願うな――アスライト」


 ミールは静かに諭している。膝を折って少女と視線を合わせることはしない。同じ目線に立てる筈もない。


 彼は止めなかった大人だ。子ども達の結果を見つめたどうしようもない大人だ。子ども達の覚悟を信じた許されない大人だ。


 危険を知って止めなかった。危ないのだと叱らなかった。


 けれども知っていたから。この最期こそレキナリスとリオリスには必要だったのだと。


 凍えるような寒さの中で眠ること。お互いだけを抱き締めて眠る冷たい最期。彼らにとっての死とは、確かにランスノークが言う通りの救いだったのかもしれない。


「また、私は願うよ。貴方に導いて欲しいから」


 仮面を外し、宝石の髪と瞳を晒す少女――アスライト。


 ミールは三つの翼で体を隠し、少しでも時間を稼ぐように目を伏せていた。


「これはレキナリスが望み、リオリスが受け入れた最期だ。それをお前が踏み荒らすな」


「副団長だってここに来た。貴方だって受け入れてないくせに」


 銀の瞳が霜を下ろした繭に向かう。それは月光を浴びて輝くようで、触れてはいけないものだと直ぐに判断出来た。


「アス、他者の死を否定する権利など誰にもない」


「受け入れなきゃいけない義務もない」


「アスライト」


「こんな最期、二人が寂しいままじゃないか!!」


 アスライトは仮面を地面に投げつけ、青い前髪を掻き毟る。ミールは目を細め、黒い翼の中に少女を入れた。黒に隠される青い髪は震えており、それを見ていたロシュラニオンの額には脂汗が浮く。


 ふと銀の瞳が赤の双眼を射抜いた。ロシュラニオンは反射的にランスノークを後ろへ下がらせ、深い呼吸に努めている。


「王子、この子は貴方の付き人だ。命令を。この子がこれ以上騒がぬように」


「副団長ッ!!」


 叫ぶアスライトを抱き締めて、ミールは銀の瞳をロシュラニオンに向けている。王子は汗を拭うと、王女に背中を押されて歩き始めた。


 例えばそうだ。誰しもハッピーエンドが好きだろう。最後にはめでたしめでたしで終わる物語。主要の登場人物が笑顔で終わる寝物語。ランスノークが読み聞かせていた絵本は全て幸せな最後だった。だから幼い日のロシュラニオンも、アスライトも、リオリスも。何の恐怖も不安も無く眠ってしまったのだから。


 今の彼らだってそうだ。


 お互いが大切だった兄弟は、離れることなく眠ることが出来ました。


 犯人を恨んでいた王子様と道化師は、王女様を支えながら国を守り続けました。


「その終わりで良いじゃないか、アス。レキとリオは受け入れている。お前が差し出せる目はあと一つしかない。大きな事件がハッピーエンドで終わるなど、それこそ物語の傲慢だ。これは物語ではない。お前の人生の一欠片、些細な一時にしかならない、だから、」


「――二人はレットモルの民だ」


 ミールの言葉を遮った、ロシュラニオン。


 銀の瞳は王子を射抜き、赤い瞳は揺るがない。


 黒い翼の奥に手を伸ばし、ロシュラニオンはアスライトの腕を掴む。青い髪と黒い眼帯を見た王子は眉間に皺を寄せたが、気絶することなど無かった。


 自分の腕の中に道化師を入れて抱き締める。ロシュラニオンは目を伏せると、落ち着かせるようにアスライトの背中を撫でていた。


 その温かさが道化師の体から力を抜いていく。アスライトはロシュラニオンに縋り、唇を固く結んでいた。


「お前の名前は……アスライトと言うのか」


 ロシュラニオンの額に痛みが走る。その名前を彼は知っているから。探していたから。滲んだ脂汗も飲み込んだ呻き声も、アスライトには分かっていた。


「いいや、私はクラウンだ。そんな名前じゃない。そんな名前で……君を苦しめる名前で、呼ばないで」


「アスライト」


 ロシュラニオンは眉間に皺を刻み、強く道化師を抱き締める。アスライトの腕は震えており、左目は自然と涙を溢れさせてしまうのだ。


「大丈夫。お前はもう、何も捧げなくていい」


 ロシュラニオンの顔が上がる。銀の瞳を見返した赤は強く、だからこそミールは眉間に皺を寄せた。


「ロシュラニオン王子、私は貴方の考えが嫌いです。傲慢で一人よがり、死を冒涜するなど誰が許してくれようか」


「ミール・ヴェール。俺はレットモルの王子であり総騎士団長だ。傲慢でない者が上に立てる筈もない。民を救いたいと思えぬ者に何が守れる」


 問うロシュラニオンは確かに目を細めていく。口角を上げていく。まるでミールを挑発するように、嘲笑あざわらうように。


 ――八年間笑うことが無かった王子がここに来て、この場面で、初めて微笑を浮かべたのだ。


 抱き締められたアスライトはそれを見られない。背を見ているランスノークの瞳にも映らない。


 ただ一人ロシュラニオンの笑みを見たミールは、王子の言葉に、笑顔に、歯ぎしりした。


「死の冒涜などと言う説教は求めない。誰も許してくれなくていいさ。俺は国の民を助ける。次に目覚めた時、死にたくないと思わせる生を歩んでもらう為にもな」


「貴方達は……まるで私が死人を此岸しがんへ導けると決めつけて」


「目と誓いさえあれば、コルニクスに導けないものはないのでしょ?」


 ロシュラニオンの横に並んだ王女――ランスノーク。アスライトは咄嗟に顔を上げるが、青い後頭部は王子の手によって再び押さえつけられた。


 ミールはやはり辟易する。気づいている王女様に、決めたら動かない王子様に。


 ――コルニクスは導く種族。彼らは他者を導きたいと願う者の声を聞き、代償として片目を貰い、誓いを立てさせる。


 ――代償と誓いが揃うことで初めてコルニクスは導く力を得るのだ。導きたいと願う者の思いを糧に、導かれる者にまじないをかけて。代償と誓いさえあれば、彼らに導けない者は何もない。


「――だから、子どもは嫌いなんだ」


 自分が求める結果ではないと満足しない。自分が求める結末ではないと間違いだと糾弾する。


 幸せになって欲しい人が幸せにならないなど認めない。満足に明日を歩いて行けるのに、大事なものを手放してまで他者を願う。


 あまりにも強欲で、傲慢で、我儘で――無垢。


 ミールは頭を抱え、王子と王女に言っていた。


「分かるでしょう。分かる筈だ。貴方達はもう子どもを半分止めている。受け入れる心だって育っている。だから分かってください。導きを望むことはレキナリスの救いにならないと。リオリスの信念を砕くことにはならないと。もしも二人を導いたとして、あの子達は幸せにはなれないでしょう。幸せになれないからこうして眠ったのでしょう」


 ミールは懇願するように吊った腕の包帯を見る。包帯の中を見る。


 どこまでも真っ直ぐ願う姉弟から目を背けたくて。これ以上、誰の目も抉りたくないのだと願いながら。


「幸せにするんだ」


「幸せにするのよ」


 それでも姉弟は願い続けるから。


 ――幸せに、するんだ


 あの日の少女と同じ言葉を吐き出すから。


 ミールの視界が滲んでしまう。


「民が死ぬことを望んでしまった。それはこれから国を治める私達にとって由々しき事態だわ」


「姉さんはレキナリスを起こしたくないのでは?」


「……そうね」


 ランスノークは少しだけ黙る。自分に願っていった友を想って。叶えてやれる願いを阻害しようとする自分を見つめて。


 ――死ぬことが、救いになって堪るかッ


 そう、青い友が叫んでくれたから。


 ランスノークは自分の道を決めていく。


「死は救いではない。そう、先程アスが教えてくれたもの」


 ランスノークは微笑み、ロシュラニオンは腕に力を入れる。今にも暴れて叫び出しそうな道化師を止める為に。


「……死者を生き返らせる。それは禁忌だ。例え二人が起きたとして、そこにいるのはもうレキナリスでもリオリスでもないだろう」


 ミールの頬を涙が伝う。


 死んでしまった者が蘇るなんてことは無いのだと言い聞かせて。起きた二人は今までの二人では無いと念を押して。


「魂がどうなるかも、人格がどうなるかも分からない。それでも貴方達は導きを望むのか」


「あぁ――望むさ」


 ロシュラニオンは迷わない。自分が導こうとするのは、今までとは違う誰かだと知りながら。


 ランスノークは揺るがない。レキナリスに謝罪し、二人の心臓を止めたのがなのだと思考しながら。


「俺は、リオリスとレキナリスが目覚めることを」


「私は、レキナリスの病が治ることを」


 ――二人の導きを、願いましょう

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