第36話 自分なんて信じられない

 

 クラウンもロシュラニオンも、リオリスが犯人であると言うことは半信半疑であった。


 忘れてしまったクラウンの中には団員が犯人であると言う仮定すらなかった。ただリオリスを見ると頭が痛いと感じ、黄金の瞳を持った兄弟の種族が言えなかった。


 それだけの疑問と違和感が道化師に纏わりついていたが、クラウンは考えないようにしたのだ。自分の背中を押して共に付き人となり、笑って成長してきた家族が、まさか殺したくて堪らなかった犯人など。


 クラウンの脳裏には八年前の事件が浮かんだ。


 レキナリスの看病をしていたこと。ピクナルが額の濡れタオルを変え、ベレスが薬草をせんじ、自分は薬草と共に食べられる粥を作っていたこと。


 その記憶が確かにあった。あったからこそ嫌になった。


 どれだけ思い出したくても、あの日、あの場所にリオリスはいなかったのだから。レキナリスの事が大好きな、リオリスが。


 クラウンは忘れてしまった。


 自分に残っている記憶と残っていなければおかしい記憶を足して、考えて、悩んで、意を決してリオリスと対峙した夜があったなど。


 リオリスがどうしてロシュラニオンを襲ったのか。何を求めていたのか。知ってしまったのに忘れてしまったことを。


 ロシュラニオンは多くの図鑑をクラウン達が貿易に出ている間に確認した。寝る間も惜しんで書庫の図鑑に目を通し、緑の髪を持ち、黄金の双眼で世界を見る種族を探した。強固な糸を使う種族を見つけたかった。


 誰も兄弟の種族を知らなかったから。自分達が知らないだけであり、兄弟は何の関係も無いと考えていたから。


 しかし、リオリス達の種族が見つかることは無かった。城の誰に聞いても知らないと答え、聡明なランスノークすら「分からない」と言ったのだ。


 知らないことを疑わずに来てしまった。


 知らないことを知らずに歩んでしまった。


 故意に知らされていないのだと気づかないまま、今日まで来てしまった。


 ロシュラニオンは見つけられなかった。レキナリスとリオリスの種族を。姉の傍で微笑む緑の兄の種族を。自分とクラウンを見つめていた緑の弟の種族を。


 見つけられないことが答えだと、王子は知っていた。


 分からないことが真実だと、道化師は分かっていた。


 それでも二人は――王子と付き人は、信じていたかった。


 信じたかった、だけだった。


 だからロシュラニオンはクラウンに頼んだのだ。リオリスから目を離さないことを。


 クラウンはそれを了解し、リオリスを見ていた。


 レキナリスの為に育てているネアシスの花を幾本も摘み、糸で包んだ団員を道化師は見ていた。


 それはレキナリスの為だと思っていた。兄の安眠の為だと思っていた。


 それでもクラウンは不安だったから、ロシュラニオンに予備の仮面を渡していた。


 ――これを付けてて良かったって、思わないことを祈ってる


 ――……そうだな


 ロシュラニオンは仮面を半分に割る許可を貰った。口元だけ隠せるように。視界を確保出来るように。万が一の時、ロシュラニオンが戦い慣れている状態に近づけるように。


 二人は杞憂であることを願って夜を待った。


 何も起こらない夜を願っていた。


 うなじがひりついていたクラウンは、貿易から戻ったばかりでもレキナリスと夜警を交代した。薄幸的に微笑んだ緑の団員に種族は何だったかと聞けないまま。


 道化師は、現在夜警に適していない隣の男を確認した。


「……なんで副団長がいるのかなぁ」


「体がなまりそうなのでな」


 問題ないと言う態度で言い切るミール。未だに一本の腕を吊っている副団長ではあるが、残りの腕には不法入国者が三人掴まれていた。


 クラウンが動くよりも先にミールは音も無く空を舞うから。闇から現れる副団長に不法入国者達は叫べもせず、首を折られたことも分からないまま死んでいくのだ。


 ミールは崖の向こうへ掴んでいた者達を投げる。道化師はそれを横目に見て、城の方へ直ぐに視線を戻していた。


「誰が来るのを待っている」


「彼が来ないことを願ってるんだ」


 ミールは三本の手を打ち合わせて汚れを落とす。クラウンは黒い髪をなびかせ、緑の少年が来ないことを願い続けていた。


 副団長は、道化師が忘れてしまったことに息を吐く。それは呆れた息ではなく、安堵を混ぜた呼吸だった。


 憤怒と憎悪に濡れたクラウンをミールは見ていたくなかったから。黙り続けなかった自分が正しかったのか分からなかったから。


 それでも、何も知らないままの頃と、忘れてしまった今では確かに差異がある。


 知らないならば特定は出来なかっただろう。けれども忘れてしまったのでは、何処どこかで違和感が強まるから。


 話してしまった過去は変わらない。子ども達が傷つく未来も変えられない。


 だからミールは、ネアシスを持って城へ向かう団員を止めないのだ。


 少年には少年の覚悟がある。


 そして、少年を見つけた少女にも覚悟がある。


 どちらも大切な者を守りたいだけだから。他者の明日を願っているだけだから。愛する者の幸せを望んでいる、子どもだから。


 ミールは何も言わない。城を凝視しているクラウンに声をかけず、門に立っていた騎士達が眠った姿も見つめていた。


 クラウンの額が痛んでしまう。


 花を抱えた緑の少年が、騎士達に糸を伸ばす様を見ていれば。


 抜き出された繭を飲み込んだ団員が、口に面を付ける姿を見ていれば。


 いつも笑っている付き人が、城中に花を置いて行く姿を見れば。


 犯人でなければ良いと願っていた家族が、王子の部屋に入ってしまえば。


 仮定を崩すことは出来なくなる。


 頭を抱えたクラウンはロシュラニオンの言葉を思い出した。


 ――もしもリオリスが俺の所に来ても合流はするな


 それは命令だったから、付き人は聞くしかない。どれだけ体が震えても、どれだけ怒りで呼吸が早くなっても。


 ――お前は来なくていい


 それは不器用な王子の気遣いだと道化は知っていた。自分が家族に殺意を向けないように、クラウンの心が抉れてしまわないように。


 ――俺が相手をする


 クラウンはロシュラニオンを信じていた。何もないまま終わってくれると。強くなった彼ならば万が一があっても大丈夫だと。


 クラウンは自分を信じていなかった。頭痛はきっと疲れから。緑の兄弟の種族を忘れてしまったのは自分だけ。


 全て自分の記憶違いで、見当違いで、リオリスは優しい家族のままだと。


 だから窓硝子が割れた瞬間、道化師の体から血の気が引いたのだ。


「行きなさい」


 震えたクラウンの背中を押す手があった。大きな黒い手。優しい手。温かい手。


 道化師は息を呑み、その手は瞬時にクラブを抜いている。


 間違いだと叫ぶ自分がいることを知りながら。間違えるばかりの自分を信じきれないのだと思いながら。


(それでも、それでも、それでもッ、私はッ!)


 黒いくちばしが道化師の頭を優しくつつく。諭すように、促すように。


 二つの瞳から包帯を解いたコルニクスは、少女の姿を、考えを、心を見ている。


 間違えるばかりの自分を責めている道化師を。自分を信じたくない少女を。自分を殺し続けた踊り子を。


「――アスライト」


 黒い彼が口にする。


 誰よりも、青い少女が死んだことを理解してきた副団長が。


 その死を飲み込み、彼女の決意を邪魔しないようにしてきたミールが。


 初めて、道化師を踊り子の名前で呼んだから。


「君は今まで――間違ったことなどしていない」


 黒い手が道化師の背中を押した。


 黒い嘴が少女の顔を前に向かせた。


 諭す言葉が踊り子の足を動かした。


 だからクラウンは駆けて行く。


 崖を滑り、大地を蹴り、全てを抉る勢いで。


 木の枝を折り、城の壁を蹴り跳んで、窓硝子を叩き壊して。


 彼女は見る。大切な人に刃を向けている犯人を。


 ロシュラニオンに傷を負わせるリオリスを。


 クラウンの体が熱く怒りを宿す。しかし頭は冷静に。冷静さを欠いてはいけないと体が覚えていたから。


 頭の痛みは無視をして、見開かれた黄金の瞳を見つめて、奥歯を噛み締めて。


「リオ――遺言は何が良い?」


 問いながらクラウンは殴る。遺言を言わせる気はなかった。ただの社交辞令だった。


 道化師のクラブは勢いよく団員の側頭部を殴り、リオリスが頭から窓硝子に突っ込んでいる。


 床に足を着いたクラウンは、頬に傷を負っているロシュラニオンを見た。


 彼女の呼吸が止まりかける。視界が滲んで体が震える。指先は痙攣けいれんし、震えた唇は噛み締めて。


 クラウンは壁を殴る。床を殴る。窓枠を殴る。


 勢いよく廊下の各所を壊していく道化師は、張り巡らされていた糸を的確に緩めさせていった。


 王子に近づく為に。傷ついた彼を助ける為だけに。自分の幸せの為だけに。


 ロシュラニオンの前に辿り着いたクラウンは、床に落ちていた硝子片を踏み砕き、膝から力が抜けたのだ。


 家族が犯人だった。信じていたが間違っていた。仮定が正しかった。当たって欲しくないことが当たってしまった。殺したいと思い続けた相手を殴り飛ばせた。


 しかしそれらの事柄よりも、クラウンには大切なことがあるから。


 目の前で、自分の手が届く場所で、大切な人が傷ついてしまった。


(また間違えた。また私は遅かった。こんな時も命令を守ろうとして、駆け付けることに躊躇ちゅうちょして、信じたくて、信じられなくて。私はなんで、私はッ――)


 唇を噛み締めたクラウンは、ロシュラニオンの顔を押さえていく。


 砕けた仮面の下。王子の右頬は深く傷つき、止めどなく血が流れている。


 ロシュラニオンは自分の傷を押さえるクラウンを見つめる。


 道化師はすぐさま王子の体を抱えると、割れた窓から外へ飛び出した。


 高さは決して低くはない。クラウンは地面に小道具である風船を投げて大きくし、それをクッションに着地した。


 外にネアシスの香りは零れてきているが眠ってしまう程ではない。王子は面を外し、直ぐに道化師は彼の頬を押さえ直した。


 ロシュラニオンはそこで気づく。


 クラウンの面の下。顎のラインを伝う雫があることに。


 王子の傷に触れる道化の掌は赤く染まり、持っていた布で必死に押さえ、拭い、止血しようと試みている。


「……クラウン」


「ごめん、ごめん、ごめんなさい、ごめん、ごめん。私はいつも間違えて、間違えて、間違えるばかりで」


「傷の事なら俺の弱さだ。お前は何も間違えてない」


「君の命令を守らなかったくせに、君が傷つく所にも間に合わなかった。間違いだらけだ、こんな、こんなッ」


「クラウン」


 ロシュラニオンがクラウンの両頬を挟む。呼吸が荒くなっていた道化師はそこで黙り、王子はゆっくり額を寄せた。


 道化師を落ち着かせる為に。自分を責めなくていいと伝えたくて。自分は無事だと分かってほしくて。


「すまない、俺の命令が悪かった。俺の過信の問題だ。怪我はしたが大事ない。だから、頼むから……自分を責めるな」


 クラウンの指先が震える。赤く染まる手も、布も、その揺れをロシュラニオンに伝えている。


「クラウンが来てくれて、良かった」


 青い目を仮面の下で見開いて。


 クラウンは奥歯を噛み締め、ロシュラニオンの胸に顔を寄せてしまう。


 王子は道化の背中を叩き、窓から糸をクッションに飛び降りた団員を見ていた。


「あー……流石に、さっきのは効いたよクラウン」


 首の骨を鳴らし、側頭部から出血しているリオリス。


 クラウンはすぐさま臨戦態勢を取り、ロシュラニオンを庇うように片腕を広げた。もう片手にはクラブを握り締め、殴った瞬間を思い出しながら。


「お前の糸を破れなくて残念だよ……リオ」


「ぎりぎりだったけどね」


 リオリスは傷口に糸を這わせて応急処置をしていく。クラウンはクラブを握り直し、殴打を糸で防がれたことに気付いていた。


「お前には聞きたいことが沢山ある」


「はは、君には一回語ったんだよ? その記憶は貰っちゃったけど」


「へぇ……それは返してもらえるのかな?」


「無理だね、食べちゃった」


 ひびが入った面を外し、リオリスは舌を見せて笑う。


 クラウンは奥歯を噛み締め、肩は怒りで震えていた。


「ラニの記憶も食べたのか」


 低く地を這う声でクラウンは聞く。


 ロシュラニオンは頬の血を止めながら眉根を寄せ、リオリスは笑い続けていた。


「食べてないよ。大事に仕舞ってある。大切な万能薬だからね。賞味期限が切れていなければ」


「万能薬、だぁ?」


 地面を踏みしめるクラウンは、歪に、嫌な態度でリオリスを見ている。パラメルの少年は両手に糸を纏い、肩を軽く回していた。


「ラニからアスへ。純粋であったかい、輝くような恋の記憶。それが俺達パラメルの万能薬になる」


(恋の記憶、パラメル、ッ)


 クラウンの頭に痛みが走る。リオリスは道化師の反応を見逃さず、笑って両手を広げていた。


「覚えがある? 教えたからね。今夜も忘れてもらうけど。城の廊下が壊れちゃったのはどうやって誤魔化そうかなぁ」


「そうやって誤魔化して、嘘ついて、奪ってきたのか、お前は」


 クラウンは肩で呼吸をし、今すぐリオリスに飛び掛かりたい情動を抑えている。後ろにロシュラニオンがいるから。怪我をした大切な人がいるから。


 リオリスは目を細め、糸で固くした掌を握り締めた。


「それが俺達の生き方だ。種族を隠して、記憶を貰って、食べて生きる。それがパラメルだ」


「だからどの図鑑にも載っていなかったのか。存在がバレないように」


 ロシュラニオンは切れた手の甲に止血に使った布を巻く。道化師の横に剣を持ち直して並んだ王子は、冷静に努めようとしていた。


 リオリスは深呼吸をし、眉を下げて笑っている。


「そうだよ。俺達はいるって知られると駄目だから」


「知られる危険をおかしてまで、お前は俺の記憶を狙ったのか」


「万能薬が欲しいから。新鮮で強く、綺麗な君の恋の記憶が」


 リオリスは勢いよく糸を伸ばす。クラウンとロシュラニオンは同時にそれをかわし、パラメルの少年は避けられたことを気にしない。


 木々に、芝にと糸を投げるリオリス。ロシュラニオンとクラウンの足を止める為。移動先を減らす為。


 クラウンは城の壁を蹴ってリオリスに向かう。重力に従ってクラブを振り落とした道化師は、素早く躱した団員を目で追っていた。


 芝を滑ったクラウンとリオリスが対峙する。お互いがお互いに、守りたい者を背負った者同士。


「その子をもう傷つけるな――殺すぞ、リオリス」


「俺の邪魔しないで――また忘れてよ、クラウン」


 笑ったリオリスの背後から凍てつく殺気が向けられる。


 煌めく剣を躱したリオリスは、自分に向いている赤い瞳を見つめていた。


狂戦士ベルセルク番犬ケルベロスのコンボかぁ……頑張らないとなぁ」

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