第34話 抱擁は顔を隠すにはちょうどいい

 

「ごっめんロシュラニオン様! よく分かんないけど何か忘れたっぽい!」


 夕焼けに染まる執務室の中で、クラウンはロシュラニオンの付き人として舞い戻った。道化師は両手から紙吹雪を撒き散らし、書類を確認していた王子の前に立っている。


 ロシュラニオンは顔を上げ、紙吹雪の向こうに立つクラウンを見つめた。赤い両目は道化師の姿を凝視し、ゆっくりと見開かれていくのだ。


 夕焼けを背にしたロシュラニオンは席を立つ。彼はいつも通りの速度で歩き、何を考えているか分からない顔で道化師を見下ろした。


 紙吹雪は床に散らばり、クラウンは声高く笑っている。


「ほんとごめんねー! 自分でもあったま痛いな~位の感覚だし、何を忘れたかも分からないんだけどさ! あ、君に無事戻れって言われたことはちゃんと覚えてたから報告してるんだよ? 僕ってえらーい! 怒られること覚悟してるんだもんね!!」


 クラウンの手から赤い花弁が零れ、紙吹雪のように再び宙へ投げられる。それをロシュラニオンは頭から被り、床には赤が増えていった。


 ロシュラニオンはクラウンの行動をとがめることなく、静かに付き人を見下ろしている。クラウンは持っていた赤い花弁を撒き終わってしまい、無言で両腕を振るのだ。


「……何を忘れているのか分からないのに、よく忘れていると気づいたな」


「周りの反応でねー! ナル先輩がぁ、僕が知らない僕を教えてくれたりー、副団長が何やら気を使って声をかけてくれたりもしたんだよね!」


 クラウンは片足立ちになり、爪先で優雅に回って見せる。踊るような仕草は何も問題ないと言う印象を与えようとする。道化師自身はそれを望んでおり、心配しなくていいと暗に言っていた。


「ミール・ヴェールから何か聞いたのか」


「んっとねー、聞いてはないけど確認された! ロマと話せたかってことと、ミール副団長と話したことをね! あと、図鑑を渡されたってことも言われたけど覚えてない!」


 優雅に両腕を動かし、爪先で回転し続けるクラウン。その動きは道化師の陽気さとは別だとロシュラニオンは感じていた。今の道化師の動きは他者を喜ばせるのではなく、他者を魅了する美しさを持った動きだ。


 それはきっと"彼女"の動き。道化師が生まれることにより、いなくなってしまった踊り子の動き。ロシュラニオンが知らない青い少女の動き。


 ロシュラニオンは無音で手を握り締め、目を瞑る。


 クラウンは動きを止め、肩をすくめながらロシュラニオンの顔を覗き込んだ。親の顔色を伺うような、心配そうな動きで。


「……頭痛以外に不調はあるか」


「いんや、無いよ。とっても元気な健康体だ」


「そうか」


 正直に答えた道化に王子は息を吐いた。肩から静かに力を抜きながら。


 赤い双眼が開かれる。夕焼けを背にした赤は深い色になっており、クラウンはそれに魅入ってしまった。


「――クラウン」


 呼ばれるだけで。


 クラウンは、自分が許されていると悟ってしまう。


 王子は道化を怒っていない。王子の瞳も声も道化師を責めていない。


 クラウンは体から力を抜き、ロシュラニオンの腕が伸ばされる姿を見ていた。


 道化師の視界から夕焼けが消える。彼女より背が高くなった少年によって、隠されてしまったから。


 新しい仮面の黒髪に王子の指が埋まる。背中に回されたもう片方の腕は、道化師を引き留めるように力が込められた。


「よく、戻った」


 クラウンの肩が震える。


 ロシュラニオンは目を瞑り、クラウンの肩に顔を埋めた。


 道化師の体が迷っていると王子は確かに気づいている。自分の背中に腕を回すかどうか、どう答えるべきかを思案していることがロシュラニオンには伝わっていた。


 だから彼は命令する。お願いではなく命令を。


 自分と友達にならないと決めている道化師が、自分に触れてくれる手段として。


「手を、背中に回せ」


「……お願いかな?」


「命令だ」


「……そっかぁ」


 クラウンは努めて笑う。ぎこちなくならないように。命令ならば仕方ないと言い聞かせて。


 ロシュラニオンの背中に回された手は柔らかく、王子を落ち着かせるように動いていた。


「怒られると思ってたんだけどなぁ」


「何故そう思った」


「約束を破ったことに変わりはないからさ。無事、戻れなかったわけだし」


「戻って来たならそれでいい」


 ロシュラニオンは息を吐き、クラウンの頭を叩いておく。道化師は肩を揺らして笑い、王子の背中を掴んでいた。


 開かれた赤い双眼が濁っているとも知らないで。


 ロシュラニオンは重なった自分達の影を見つめている。


 腕の中にいる道化師が、眠っていた自分を起こした当人であると知りながら。自分を起こす為に右目を捧げたのだと理解しながら。


 腕に力を込めた王子に、道化師は言葉を探す。仮面は王子の胸に埋められており、クラウンの手は離すようにロシュラニオンに伝えていた。


「おーい王子様、そろそろ苦しいなぁ」


「そうか」


「あれ、遠回し過ぎて気づかないかなー、離して欲しいって言ってるんですけど!」


「近くで大きな声を出すな。耳に響く」


「なんとごめんね! 離せば解決だから! さぁ腕を開くんだよ!」


「……」


「急に黙るのやめてくれよな!」


 クラウンは背中に回した手で軽くロシュラニオンを叩き続ける。それでも道化師が離されることは無く、話題を変えるしかないと折れるのもクラウンなのだ。


「ねぇねぇロシュラニオン様ー、ミール副団長が渡した図鑑ってなぁにー?」


 ロシュラニオンは即答しない。思案して、思考して、黙っている。


「僕の手元にはなかったから王子が持ってるんでしょー! 見せてほしいなー!」


 クラウンを抱き締めるロシュラニオン。


 王子は静かに影を見つめ、言い聞かせるような声を零した。


「また明日、見せてやる」


「えぇぇ、今日がいいな~」


「約束を破った付き人への罰だ」


「手厳しい! その時に話した内容も~?」


「そうだな」


 クラウンは不満そうに跳ねたが、ロシュラニオンの腕に押さえつけられる。それに道化師は息を吐き、足元に散らばった紙吹雪と花弁が揺らされた。


「その花弁は何の花なんだ」


「ラニオンだよ。ほら、沢山の色がある可愛い花!」


「……俺の名前の元だったな」


「わぁお知ってたんだ! 花言葉は「希望が訪れる」なんだぜー?」


「そうか」


 ロシュラニオンはクラウンを離し、楽しそうに両手を振った道化師を見下ろす。それから足元に散らばった花弁に視線を移し、付き人に言っておいた。


「きちんと片付けておけよ」


「ふふふ、瞬きの間に消してやろう!」


 ロシュラニオンはクラウンを見つめ、本当に手を打ち合わせるだけで花や紙吹雪を消した事には驚いてしまう。道化師は王子の表情を見て、誇らしそうにお辞儀をした。


 ロシュラニオンは息を吐き、自分が驚いた事を付き人に指摘させない。


「確認だが、お前は図鑑を見ていた記憶がそのまま抜けているのか」


「そうなんだよねぇ、図鑑って何だよって感じ!」


「温室での話は」


「……そっちは覚えてまーす」


「なら良い」


(クラウンの頭から消えたのは、犯人に繋がる事柄だけか)


 ロシュラニオンは判断し、自分の仕事を手伝おうとした道化師に頼み事をした。


 * * *


 深い夜にレットモルが沈む時間。城内の所々には明かりが灯されていたが、それを一つ一つ消して歩く影がある。


 廊下の端や扉の前、曲がり角に薄黄色の花を置きながら。花瓶一杯に溜められた水は花に効力を発揮させ、嗅いだ従者や騎士達を深い眠りに誘っていく。何の抵抗もなく、ゆっくりと。


 城内を見回っていた者達の足には力が入らなくなり、叫ぶ間もなく意識が混濁する。既に眠っている者達の眠りはより深くなり、城の中で簡単に起きる者はいなくなった。


 微笑みながら歩く少年がいる。墓に花でも活けるような動作でネアシスを扱いながら。糸で作りだした小瓶に水差しでなみなみと水を注ぐ様は、慈愛の色すら感じさせる。


「眠っている間に終わるよ、大丈夫」


 少年は持っていたネアシスを全て活け終わり、城中に眠りの香りが蔓延まんえんする。少年自身は鬼才国で購入した口を隠す面を付けており、眠る様子はなさそうだ。


 鬼才国性の面の特徴の一つ。声が良く通るように入れられた細工が、吸い込む空気を浄化する作用をするのだ。それを少年は仮面店の店主から教えられていた。


 パラメルの少年――リオリスは微笑み、廊下に倒れた騎士達を通り過ぎていく。


 その足は迷いなく一つの部屋を目指し、そこにも扉の隙間からネアシスの香りは入り込んでいた。


「……八年ぶりか」


 呟くリオリスは軽く指を鳴らしている。


 黄金の瞳に動揺や迷いはなく、一つの目標だけを見つめていた。


「ごめんね、クラウン」


 扉の前で謝る少年。彼は静かに息を吐き、扉の持ち手を掴んでいた。


 サーカス団が帰ってきた今日、他にも多くの貿易団が帰ってきたことを喜びながら。沢山の流れが出来ていた今日ならば、誰もが疲れていると予想出来たから。


 全ては兄の為。少年が愛する兄の為。


 今日もレキナリスの咳は深かった。繭に籠って眠ることが増えているとベレスからも聞かされ、ガラが声をかけても緑の兄は苦く笑うだけだった。


「大丈夫だよ、兄さん」


 リオリスは呟き、道化師と王子への罪悪感を捨てていく。


 兄の為ならば、彼はどんなことでも出来るから。どんな道も進んでしまうから。


 扉を静かに開けたリオリスは、布団にくるまって眠る王子を見る。顔は髪で隠れて見えないが、リオリスが入室したことに気づいていない様子だ。


 後ろ手に扉を閉めたリオリスはカーテンの隙間から射し込む月光を見る。今日の夜警の担当にはクラウンがいたと思い出しながら。


(次の君は、何になるんだろうね)


 王子は踊り子の姿を見られない。恋をしてしまったから。その記憶を無くしてしまったから。無くした相手の影を脳や体が探し回ってしまうから。


 そしてこれから、王子は道化師の姿も見られなくなる。


 リオリスが恋の記憶を奪うから。


 再び記憶を無くすから。


 けれども今回、リオリスはきちんと恋の記憶だけを狙ってきた。幼い日の衝動のままに全ての記憶を奪いはしない。そんなことをしてしまえば、本当に兄が壊れてしまう気がしたから。


 クラウンの記憶を奪ったことにレキナリスは気づいていた。ロマキッソの記憶を奪ったことにも気づいていた。リオリスは言ったのに。


 ――大丈夫だよ、クラウンは犯人に関する記憶だけ。ロマも犯人である俺に関する記憶と、パラメルの記憶を抜いておいたから。シュプースは伝承の種族だけど、少なくともこれでロマから誰かに伝えられることはないよ


 笑ったリオリスに、レキナリスは何も言わなかった。言葉を吐かないまま弟を抱き締めた。力強く、細くなった両腕で。


 昼間を思い出したリオリスは腕を摩り、クラウンとロマキッソの記憶に共通していた図鑑を後で燃やそうとも考えた。いらない芽は摘む主義なのだ。


 少年は王子に視線を戻し、足音を立てないように近づいて行く。


 指先から糸を零して、奥歯を噛んで。


 全ては兄の為。兄に元気になってもらう為。彼にまた、昔のように笑ってもらう為。


 その為の万能薬が育ってくれた。これ以上待てば兄に何が起こるか分からない。もしかしたら明日、目覚めてくれないかもしれない。突然自分の前から消えてしまうかもしれない。


 リオリスはそんな明日に耐えられない。無くならない不安に耐えられない。


 救う手立てがあるのならば、彼は何度だって他者を裏切れる。兄の明日の為ならば、くすぶる不安を消す為ならば、非道に手を染められる。


 リオリスは口を固く結び、黄金の瞳で王子を見つめていた。


 ――リオ! 凄いね!


 そう笑ったロシュラニオンが頭に浮かんでも。


 自分の手を嬉しそうに握ってくれた友達を思い出しても。


 リオリスはもう、戻れない。


 ベッドの傍らに立った少年は、王子に手を伸ばしていた。


「ごめんね――ロシュ」


 小さく小さく、呟いて。


 揺るがぬ覚悟を持ったまま。


 届かない謝罪を吐きながら。


 いや、正しくは――届かないと踏んでいた謝罪を吐きながら。


「――謝るくらいなら、止めてもらおうか」


 リオリスの目の前に勢いよく布団が広げられる。


 それに瞼を大きく開いた少年は、布団を貫く剣先を見ていた。


 リオリスの右の目元を剣が掠めていく。


 血が飛んだ。痛みが走った。状況が理解出来なかった。


 だからパラメルの少年は勢いよく後退し、早鐘を打つ心音を耳の奥で聞くのだ。


「流石だな」


 ベッドから床に降り立ち、貫いた布団を払い落とす――ロシュラニオン。


 彼の顔には道化師の仮面が付けられ、それは鼻と口の部分だけを覆うように切られている。


 王子は討伐に向かう時の服装で、月光を照らす剣を――リオリスに構えていた。


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