第33話 嵐の前の陽気さ

 

 多くの貿易団が毎日レットモルに帰ってくる。


 様々な国から帰還し、レットモルの花を使って染められた衣服や食器を輸出し、新たな食材や品を輸入して。


 その日帰還した中には一際ひときわ賑やかな貿易団があり、街の方が騒がしくなっていた。


「サーカスだ!」


「サーカス団が帰ってきたー!」


 満面の笑顔で国民に手を振っている荷台の者達――イリスサーカス団。彼らは他の貿易団さえも笑顔にする陽気さでレットモルに帰ってくる。


 現王と現王妃は未だに他国で外交中である現在。街の陽気さを聞きながら、ロシュラニオンは国王代理を務めるランスノークの右腕に近い立場で職務に励んでいた。


「ロシュ、クラウンに会いに行っても良いのよ?」


「今日は帰って来た貿易団が多いので確認することも多いんです。ご厚意だけ受け取っておきます」


 朗らかに笑うランスノークに会釈し、ロシュラニオンは貿易品の一覧表を抱えている。貿易団から報告を受けた騎士達は貿易路の問題点や、天候により進路が遅れた話などを王子に伝えていた。


 張り詰めた集中力で仕事をこなす弟を見た姉は、仕方がなさそうに息を吐いている。


「公私混同しない主義なのよね、あの子」


「良い事ではないですか」


 ニアは微笑み、彼筆頭の数人の従者と共に王女も仕事に戻って行く。


 城下では門での検品を終え、テントに荷台を止めたサーカス団一行が仕分けの仕事に勤めていた。


 クラウンはリオリスを確認しながら仕事をし、時折痛む頭に眉を寄せる。


「よぉ、みんな無事か~」


「ベレス、レキ、ミール、留守をありがとう。全員無事さ。そっちは変わりなかったか?」


「そりゃあ良かった。こっちも平和な毎日だったぜ~」


 ベレスは飄々とした態度で出迎え、ガラと勢いよく抱擁を交わしている。それを皮切りにテントには賑わいが戻って行き、土産話に花が咲くのだ。


 ミールは腕を吊っている以外は怪我も治っており、レキナリスも軽い荷物を抱えようとしている。


「あ、レキ、そのにも、」


 クラウンの声を聞き、レキナリスは顔を上げる。


 黄金の瞳を見た道化師は、走った額の痛みに言葉を止めた。仮面の額を押さえてクラウンの動きが停止する。


 肩で深呼吸をしたクラウンを見て、レキナリスの顔色が変わった。青年は道化師に駆け寄りかけたが、その間に入ったのはリオリスだ。


「兄さん、その荷物はクラウンのなんだ。面白い本があったって数冊買っててね」


「リオ……」


「ほら、箱にも書いてあるから」


 笑顔のリオリスは兄から荷物を受け取る。確かに箱には〈クラウンの本だよ!〉と冗談めかした文字があり、レキナリスはそれを確認した。


「あー……そうなんだよ。花図鑑とか色々気晴らしになりそうなのがあったからさぁ、買っちゃった」


 クラウンは額を叩いてから箱を受け取り、レキナリスは言葉を探す。


 青年の向こうではガラが城に向かおうとしていた。


「それじゃ、俺は報告書持っていくから。市場に直接下ろす品と、城に一度献上する新貿易品に分けといてくれー」


 報告書を振りながら指示を出したガラに団員達は返事をする。


 全員が団長に視線を向ける中で、レキナリスだけは弟を見ていた。笑顔で返事をし、担当の荷物を抱えたリオリスを。


「なに? 兄さん」


 リオリスは笑っている。いつも通り、穏やかに。


 レキナリスの唇が震えてしまう。視線は泳ぎ、自信が無さげに俯いて。


 兄弟の様子に首を傾げたロマキッソは、微かに頭痛を覚えながらテントへと向かった。白い彼を追い掛けたのは黒い上着を纏った副団長だ。


「ロマ、クラウンとは話せたか」


「クラウンと……?」


 不思議そうに目を瞬かせたロマキッソ。少年の目には純粋な疑問の色が浮かび、貿易に出る前の怯えた色は無くなっていた。


 それを見たミールはくちばしつぐみ、微かに銀の目を細めている。ロマキッソは困ったように耳を震えさせ、その場を右往左往してしまっていた。


「ぇ、えっと、何か、お話しないといけないことが、ぁあ、ありましたっけ。ご、ごめんなさい、ごめんなさい、今回クラウンとはあんまり話してなくて。ぇ、ぁ、公演の話はしました。僕は玉乗りを、クラウンはジャグリングを、お互いにもっと教え合おうって」


 しどろもどろに答えるロマキッソ。彼の様子は不安げだが、この八年間纏っていた不安は消えていた。


 八年間抱えて来た秘密を、ロマキッソは全て忘れてしまった。それは奇しくも不安を取り除く行為となり、黙る選択肢をしてきた彼の交友関係に大きな障害も残さなかった。


 忘れたことが、ロマキッソにとっては救いなのだ。


 怯えなくていいから。不安がらなくていいから。


 大きな事件を起こした犯人が家族の中にいると怯え、自分が知っていると犯人に気付かれることに怯え、犯人が毎日笑っている姿に怯え。


 怯えていた彼の心に唯一気付いたのは、目を持つミールだ。そして副団長は犯人の動きにも気づいていた。


 だからこそ、話してはどうかとロマキッソに寄り添ってしまった結果が今日なのだろう。


 ミールは目を伏せ、何か失敗したのだと不安そうなロマキッソの頭を撫でた。


「そうか。頼んでいたことは何も無いさ。クラウンの元気が無い気がしていたからな。お前が話しかけてくれたなら良かった」


「は、はい」


 ミールの言葉に緊張を解いたロマキッソ。少年は目元を染めて安心し、副団長は頭を強めに撫でてやった。


「二人で新しく共演でもする予定か?」


「そ、そう、考え中なんです。玉乗りとジャグリングをこう、コラボして? みて? なんて、構想中です」


「面白そうだ」


「が、頑張ります。副団長は、怪我の具合は……」


「もう大丈夫だ。あと数日で腕も元に戻るだろう」


 ロマキッソは体全体から力を抜き、ミールは背中を押してやる。会釈してテントに向かった少年を見送り、副団長の瞳には道化師の姿が映るのだ。


 クラウンは自分の荷物を最後に回し、貿易品の仕分けに入っている。道化師の頭には天気読みのメーラが留まり、夜の天気を報告していた。


「メーラせんぱーい、今日の夜は晴れる感じですかー?」


「晴れるよ。満天の星空が見られることを保証しよう」


「やったー! 夜警で合羽かっぱ着なくていいー!」


「はいはいクラウン、口ばかり動かさず手を動かして」


「あいあい先輩!」


 メーラは苦笑しながら飛び立ち、小走りするバレバッドの肩に留まっていた。


「メーラ手伝ってよぉ!」


「バレ、見てごらんよこの鍵づめ。これで品を掴んだら傷がつくだろうね」


「わーん! メーラとの新しい公演内容、早く詰めていきたいのにー!!」


 騒がしくテントに入ったバレバッドとメーラを見送り、クラウンは自分が担当する品々を見下ろしてみる。意外にも、道化師が担当するのは書物などの文化的価値が高いものが多いのだ。


「クラウン」


「あ、ミール副団長おっひさー!」


 両腕を広げたクラウンは、勢いよくミールに抱き着こうとして停止する。包帯で吊られた副団長の手を撫でた道化師はどこか居心地が悪そうだ。


「……何かあったのか」


 ミールは確認し、クラウンは腕を組んでしまっている。思案する姿に副団長は嫌な予感を覚え、それは杞憂では終わらない。


「――多分私、何か忘れてるんだ。ミール副団長」


 クラウンはミールが微かに息を呑んだ音を聞く。道化師は額を押さえ、歯痒そうな雰囲気だ。


「……私が怪我をしたのは覚えているか」


「それは覚えてる。足場が崩れたんだ」


「その前、ロマキッソと話そうとしていたことは」


「ロマと……? いいや、覚えてない……」


「……私と部屋で話したことも、図鑑を渡したこともか」


「ミール副団長と貿易に出る前話したのは……城が最後、じゃないのか……図鑑って何」


 クラウンは痛む額に冷や汗をかき、指に力を込めて仮面を押さえている。


 首筋から流れた汗を拭った道化師は、犯人との夜の会話も、ロマキッソとの遮られた会話も、ミールから貰った図鑑のことも、それをロシュラニオンと共に見たことも――犯人が団員の中にいると確信したことも忘れていた。


 ミールはそれを知ってしまう。


 副団長は深い呼吸を繰り返し、二本の腕でクラウンの顔を挟んでいた。先日ロシュラニオンにしたような荒さはなく、慈しむ温度がその手には乗っている。


「――そうか」


 クラウンは、ミールの声に目を細めてしまう。


 自分は忘れてはいけないことを忘れてしまったと。奪われてしまったと。


 ――無事、戻れ


 王子との約束を果たせなかったのだと。


 クラウンはミールの手に掌を重ね、静かに肩から力を抜いた。


「……王子様に怒られちゃうなぁ」


「お前が怒られたら、私が王子を怒ってやるさ」


「やめてよね、まるで親ばかだ」


「……そうか」


 ミールは息を吐き、クラウンは努めて笑い声を出す。


 その様子を見つめるリオリスは、自分の腕を掴んだ兄に視線を移したのだ。


「兄さん、今日の体調はどう?」


「……最悪だよ」


 レキナリスは奥歯を噛み、弟の腕を掴む力を強めてしまう。リオリスは微笑みながら、仕分けするべき品が入った箱を見せていた。


「休んでた方がいいよ。仕事は俺がしとくから」


「話しを逸らすな、リオリス」


「心配しないでよ、兄さん」


 リオリスは笑って兄の腕を払っておく。レキナリスの心臓は強く脈打ち、咳き込んだ兄を弟は心配した。荷物を置いて背中を撫で、落ち着かせるように抱き締めて。


「大丈夫、兄さんが不安がる事なんて一つもない」


「リオ、もうやめよう、もうこれ以上はッ」


「安心して。後はミール副団長とロシュだけだ」


 レキナリスの体から血の気が引いていく。頭が一瞬真っ白になった青年は眩暈を覚え、何度も咳き込んでしまったのだ。


 地面にしゃがみこみながら、リオリスはレキナリスを抱き締め続ける。愛おしそうに、愛おしそうに。


「りおッ」


「おぉ、レキ~、大丈夫かぁ?」


「ベレス兄。ちょっと咳が深そうなんだ。一緒にテントまで兄さんを運んでくれる?」


「勿論だぁ」


 レキナリスの背中を支えるベレス。リオリスも兄の背中に手を添え、しかし兄は弟の手を振り払ったのだ。


 確かな拒絶。目に見えた苛立ち。


 ベレスはその姿に驚き、一人で歩き出したレキナリスと、立ち止まっているリオリスを見比べていた。


「……ありがとう、ベレス兄……一人で、行けるから」


「お、おぉ……?」


 ベレスは首を傾げ、黙っているリオリスを見下ろしてしまう。弟の目は酷く静かで、道化師一人が場の空気を読んでしまうのだ。


「お前ら、喧嘩でもしたのかい?」


「……ううん、大丈夫」


 リオリスは笑う。何事も無いように。


 ベレスは頭を抱えながら首を傾げたが、それ以上のことなど、何も言いはしなかった。


 リオリスは見ている。レットモルを見据える美しい城を。


 そこにいる、彼が求めるものを持つ王子を。


「……長引かせない方がいいな」


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