第30話 誰も言葉にしない今日
「いやっほぅ! 今日の公演も大成功だねー!」
「はいはいクラウン、静かにね」
貿易先の国にて。公演を成功させ、連日拍手喝采を貰う団員達。クラウンは新しい仮面でジャグリングや、イリュージョンの補助を行いご満悦のご様子だ。
ピクナルは跳ねる道化の頭を水の毛先で撫でる。今日も花形の前には差し入れが積まれており、それはまだ一つとして開けられていなかった。
「ナル先輩、日に日に差し入れ増えてね?」
「そろそろ制限を設けようかしら」
「それは団長が怒るやつですね~」
「お客さんからの厚意を無下にするなって? 笑っちゃうわね」
ピクナルは微笑しながら一つのリボンを解いていく。クラウンは近くの丸椅子に腰かけ、花形の様子を観察していた。
「ナル~、差し入れ追加されたよー! 貴方ももう少し見送りに参加すればいいのに」
「ありがとうバレ、メーラ。見送りは今くらいで丁度いいのよ。みんな固まって大渋滞した過去を忘れた?」
「そうだね。あの頃は凄かった」
差し入れを両腕に抱え、控室にやって来た二人の団員。ダンサーのバレバッドと、天気読みのメーラだ。
メーラはクラウンの頭に飛び移り、咥えていた差し入れをピクナルの手に乗せた。
今のバレバッドは昼下がりの陽光のような、黄色がかった白い肌をしている。差し
入れを積んだ彼女は、クラウンの仮面を指先で叩いていた。
「ねーぇークラウン。レットモル以外でなら踊り子に戻ってもよくない? 宙で舞う貴方と地で舞う私で演目作りたいのよー」
「きーこえーませーん」
「もー! 貴方すごく美人だったじゃない! 訓練にはいつでも付き合うし、どうすれば貴方が踊りやすいかも一緒に考えるから―!」
バレバッドは駄々を捏ね、彼女の頭にメーラは戻る。鮮やかな色合いが混ざる二人は美しく、クラウンは逆に提案した。
「バレ先輩が踊ってる時にメーラ先輩が飛べばいいじゃん! ぜーったい綺麗!」
「話し逸らさないで、クラウン。その案は貰うけど」
「横暴だー」
バレバッドはクラウンの仮面を外そうとする。顔を見合わせたメーラとピクナルは息をつき、クラウンは逃げるように立ち上がった。
「俺は道化師なの! クラウンなの!」
「えぇぇぇ!」
「バレ、その辺にしてあげなさいよ。あの子、この件に関しては絶対に折れないから」
ピクナルは肩を落としたバレバッドの頭を撫でる。桜髪の少女は口を尖らせ、花形はその表情を笑っていた。
クラウンは居心地悪そうに仮面を触る。メーラはそれを察し、話題を変えていた。
「クラウン、今日の演目も良かったよ。最近までの思い詰めた感じも一切出ていなかった。問題は解決したって感じかな?」
「わぁ! やった! メーラ先輩大好き! 勿論バレ先輩とナル先輩もね!」
クラウンは一気に楽屋を陽気にする。メーラは目元を和らげ、バレバッドは道化師の腕に抱き着いた。クラウンは桜色の前髪を撫で、空色の怪鳥に首を傾げる。
「てか、僕そんなに思い詰めてた?」
「仮面を付けているのに分かる程な」
「たしかに。最近のクラウンは、こう、怖ーいこと考えてそうだった。誰か殺しちゃいそうなくらい」
「えー、僕そんな怖いこと考えませーん!」
クラウンはおどけながら両腕を広げてみる。
頭の中では、確かに疑問を浮かべながら。
「で、一応聞くんだけどさ、その怖ーい僕は何か言ってた?」
道化師の問いにピクナル達は顔を見合わせる。バレバッドとメーラは不思議そうに首を横に振った。
「特には何も言ってないと思うよ?」
「そうだな。俺達が聞かれていないだけかもしれないが」
「そっかぁ、なら良いんだ!」
クラウンは陽気なフリをして楽屋を出て行こうとする。「ありがとう!」と手を振る道化をピクナルは見つめ、手元にある差し入れを無視した。
「クラウン」
「うん? なぁに~ナル先輩!」
軽い足取りのクラウンをピクナルは廊下で呼び止める。花形は手の中でリボンを丸め、解きを繰り返し、どこか思うところがある顔だ。
「……貴方、聞いたわよね。リオとレキの種族を知らないかって」
ピクナルの透明度の高い瞳が道化師を見る。
瞬間、クラウンの額に痛みが走り、仮面を覆ってしまった。
覚束ない足取りで後退し、クラウンは崩れそうになる。ピクナルは反射的に手を伸ばしたが、彼女は触れるかどうかを迷ってしまった。
触れれば彼女は温まってしまうから。公演終わり、熱気を纏った道化に触れることを花形は確かに恐れてしまったから。
「っと、大丈夫か、クラウン」
だから花形は、クラウンが抱き止められたことを心の底から安堵した。
「ぅわあ……団長だぁ」
「うわぁとは何だ。うわぁとは」
クラウンの背中を支えた背の高い男。団長であるガラは目を瞬かせながら口角を上げ、ピクナルは伸ばした腕を引いていた。
自分の腕を抱き締めて、花形は視線を足元に向ける。揺れる髪や肌は何処か不安げで、クラウンは直ぐに声をかけた。
「ありがとう、ナル先輩、手を伸ばしてくれて」
「……いいえ、クラウン」
ピクナルは苦く笑いながら髪の一部を伸ばす。揺蕩う毛先と握手したクラウンは、手の中で水がぬくもるのを感じていた。
直ぐに手を離し、クラウンはピクナルを見る。花形は微笑んだまま髪を引き、団長はシルクハットのつばを触っていた。
「ピクナル」
ガラがピクナルを呼ぶ。それに花形は視線だけ向け、笑う団長に口を結んだ。
武骨な手を伸ばしたガラは、ピクナルの柔らかい前髪を少しだけ撫でる。本当に、触れるか触れないかのギリギリを。ぬくもりが移らない程度の繊細さで。
ピクナルは肩から力を抜き、その目は震えながら伏せられた。
「見てたぞ、ちゃんと。クラウンに手を伸ばそうとしててお前は偉かったよ」
「……それでも、掴めなかったわ」
「俺が間に合ったんだ。お前は掴めなかった自分を責める前に、手を伸ばせた自分を褒めるんだな」
ガラは笑い皺を浮かべている。歯を見せて笑う彼は、確かにこのサーカス団の太陽だ。
ピクナルは息を吐き、手の甲で頭を撫でられたぬくもりを感じている。
一度だけ。
一瞬だけ。
温めてしまわないように。
ガラはピクナルを撫でた手の甲を直ぐに離し、クラウンに言った。
「クラウン、お前ここ最近元気が良いのは褒めてやるが、はしゃぎすぎて倒れるなよ!」
「はぁい! 気を付けまーす!」
クラウンは両手を大きく振り、可笑しそうに歩き去るガラを見る。
彼は直ぐにフープ使いのバンルムや、音響担当のズィーに捕まり、かと思えば照明担当のパロルもやって来た。
(バンルム先輩は、バーキュオン。ズィーと、ペアのタンカンはキスシス……パロルはグリューム、だったよな)
クラウンは、団員に囲まれて大笑いしているガラを見る。
(団長はキノだ。レットモル生まれの、黒髪赤目)
団員達の種族をクラウンは脳内で確認する。
(あれ、なら、リオとレキは……)
クラウンは考えようとして、再び頭痛に苛まれた。
それを流石に訝しんだ道化は、ピクナルに質問した事柄も一切覚えていなかった。
クラウンにとって「覚えていない」事象は酷く不安を植え付ける。彼女が最も嫌いな事と称しても間違いではないだろう。
「ねぇ、ナルせんぱ……」
クラウンはピクナルに質問した時の自分の様子を聞こうとする。
しかし、道化が見た花形は静かに一人を見つめており、それを遮るのは気が引けた。だからこそクラウンは黙ってピクナルの視線を辿るのだ。
「ズィー、今日の音源良かったぞ! タンカンにも後で伝えに行かねぇとな!」
「そうして、そうして! タンカン喜ぶ! 私も嬉しき!」
「あぁ! バンはどうした、今日はフープ落としかけるなんて珍しい、疲れでも溜まってるか?」
「それが……今日のお客様の中に強い香水をつけられている方がおられて……匂いで、感覚が麻痺しました……」
「お前は本当繊細だなぁ、対策考えるか!」
「は、はい!」
団員達の中心でガラは笑っている。一人一人を気遣っては笑い、悩み、最後にはやっぱり笑う。
イリスサーカス団は彼を中心に回り、彼を愛している。
ピクナルはただ黙って、サーカス団の太陽を見つめていた。
「……ナル先輩も近づいて良いと思うなぁ」
クラウンは手から花を出すマジックを披露しつつ、ピクナルを覗き込む。彼女は花を受け取り、儚く笑っていた。
「あの人に近づいたら、温かすぎて蒸発しちゃうわ」
花に額を寄せ、ピクナルは目を伏せる。
クラウンは黙り、自分を撫でてくれる花形の毛先を視界に入れた。
「そう、クラウン、貴方レキ達について質問したの……覚えてないの?」
「いんや! 覚えてるよ覚えてる!! だーいじょうぶ!」
クラウンは空気を明るく晴れさせ、眉間に皺を寄せたピクナルから遠ざかる。跳ねるように花形の元を離れた道化師はもう、振り返ることをしなかった。
ピクナルは手の中の花を見つめ、団長を見る。
それから何も言わず、何も伝えず、楽屋に戻って行った。
跳ねるように歩くクラウンは考える。頭が痛くても考える。吐きそうになっても考える。
自分が忘れてしまったこと。
自分が忘れてはいけなかったこと。
(……まさか、いや待てよ。リオとレキの種族、私、ほんとに、)
「クラウン」
「うお!?」
考え込みそうになったクラウンに声が投げられる。何も身構えずに驚いたクラウンは、今しがた考えていた緑髪の少年が目を丸くする姿を確認した。
「り、リオ……」
「ご、ごめん。考え事してた?」
「いや、大したことじゃない。今日の公演の反省的な!」
「そうなんだ。今日も俺から見れば満点だったよ」
「甘々採点どーも」
「ほんとだって」
お互いを軽く小突き合い、クラウンとリオリスは笑っている。
「リオのアートも日に日に磨きが掛かるよね。今日とか鳥肌たったわ!」
「やったね。原案くれたのは兄さんだから、帰ったら報告しなきゃ」
「原案だしたレキも、現実に作り上げたリオも満点花丸あげちゃう! レキに沢山お土産話をしようじゃないか!」
「クラウンの方が絶対採点、甘いと思うなぁ」
「そんなことないでーす」
二人は気の置けない会話をする。
笑って話に花を咲かせる。
リオリスはクラウンの頭を撫で、黄金の瞳を細めながら。
クラウンはリオリスの足元を見て、胸に浮かんだ疑問を消化できないまま。
「……リオ」
レットモルのテントの中で、レキナリスは繭に籠る。弟の名前を呼んで、弟の考えを知っていて、酷い罪悪感を背負いながら。
兄の黄金の瞳からは、雫が零れ落ちるのだ。
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