第31話 姉には勝てない

 

「ロシュ! ミール・ヴェールの目を潰しに行きましょう!」


「いや、行きませんよ」


 サーカス団が貿易に出ている間。騎士達と共に貿易品の仕分け確認をしていたロシュラニオンの元に、笑顔のランスノークがやって来た。動きやすようなドレスに上着を羽織り、今すぐにでも城から飛び出せそうな勢いで。


 王女の両手指の間には小型ナイフが四本ずつ握られており、後ろでは遠い目をしたニアが立っていた。ロシュラニオンはため息を吐き、傍にいた騎士達は全員同じことを思っている。


(何も聞いてない)


(王女は今日も美しく聡明だ)


(だから何も聞いてない)


(俺達はなんっにも聞いてないッ)


 騎士達の瞳とニアの瞳が交差する。彼らは何も言わずに頷き合い、ロシュラニオンは空気を察していた。


「姉さん、今日の職務の進み具合はいかがですか」


「済ませてあるに決まっているじゃない。貿易の値段交渉でいらっしゃった方々とはきちんと和解して契約継続もしたし、他国との情報交流会の日程調整も終わったわ。以前からお願いしていた布製品の貿易増量の資料も作成済みだし、お父様達が外交からお戻りになられるお日にちの連絡もいただきました。完璧だとニアのお墨付きでね」


「そうですか。お疲れ様です」


 ロシュラニオンは無表情に姉を見下ろし、頭の中では若干引いている。今の時間はまだ昼を過ぎた程度。王女に課せられていた仕事は今日の朝振り分けられた筈だが、彼女は午前中だけで全て片付けたと言うではないか。


 王子はニアに視線を投げる。執事長は頷いており、王女は楽しそうに笑うだけだ。


「ありがとう。さ、貴方の仕事も手伝ってあげるから、早く終わらせて早くテントに行きましょう!」


「いや、手伝っていただかなくて結構です。こちらはこちらで済ませますので」


「そう言わないで」


 ランスノークの手の中でナイフが計八本も煌めいている。ロシュラニオンは微かに冷や汗をかきながら、年齢的にも地位的にも上にいる彼女をどうかわそうかと考えていた。


「手伝うにしても、そのような物を両手に持っていては何も、」


「あら、大丈夫よ。これは貴方に私の本気を伝える為の演出。抜き身でナイフなんて持ち歩かないわ」


 笑顔の王女は上着をひるがえし、その内側についているホルスターにナイフを仕舞う。


 瞬きの間の早業に流石のロシュラニオンも口を結んだ。王女の暗器所持について言いくるめられた両親を若干恨みながら。


 子どもに甘く、温和なレットモルの現王と現王妃は、今頃水の幻想郷と謳われる国で公務をしていることだろう。


 弟は姉から視線を逸らしつつ、勢いよく捕まれた二の腕を振り払うことは出来なかった。


「ロシュラニオン、お姉ちゃんの言うこと聞きなさい」


「拒否権の受理を願います」


「ならば現王代理の命令権を行使します」


「職権乱用です」


 ロシュラニオンは後退しながら顔を逸らし続け、ランスノークは笑顔で詰め寄っている。


 騎士達は遠い目をしながらキアローナ姉弟を見つめ、ニアは天を少しだけ仰いでいた。


「ろ、ロシュラニオン様、ランスノーク様……」


「皆さんはどうぞ仕事を続けてください。お二人のことは私が」


「ニアさん……頼みます」


 咳払いして背筋を正した執事長は姉弟の間にやんわりと入っていく。一度離れていた二人の距離が戻りつつあることを、今だけは素直に喜べずに。


「ランスノーク様、ロシュラニオン様を捕まえていても仕事が遅れるだけですよ」


「だから私が手伝うと言っているじゃない」


「結構です」


「もー、ロシュ!」


 * * *


 結局、ロシュラニオンはランスノークに引きずられながらテントに来ていた。


 彼にとってサーカス団のテントはクラウンの家と言う認知に近い。今まで総騎士団長が公演を見たことはなく、足を向ける暇があれば鍛錬や勉強に使っていたのだから。


 だが、今日は誰でもない姉の頼み。


 彼女は満面の笑顔で、鼻歌すら歌ってしまいそうな勢いだ。


「姉さん、怪我をしている相手を闇討ちするのは如何いかがなものかと思うのですが」


「怪我を既にしているからこそよ。一か所や二か所増えたところで変わらないでしょう?」


 ランスノークと言う王女は、ミール・ヴェールのことになると考えが飛躍する。


 ロシュラニオンは重々承知しながら、ニアや騎士達の付き添いは断って正解だったとも考えていた。


 騎士達の中でのランスノークのイメージは、才色兼備の美しき王女様。


 だからこそ、これから王になる彼女のイメージを崩すことは良くないと弟は考え、ニアを付き添わせるのも気が引けた。ミールとランスノークが関わる事柄に執事を付き合わせ続けると、いつかあの真面目な男の胃に穴が開くと思ったのだ。総騎士団長であり半仕事中毒者であるロシュラニオンが、だ。


 一国の王子と王女をそのままの姿で街を歩かせてはいけないと騎士達は渋ったが、ロシュラニオンが手合わせをして黙らせた。現在のレットモルで、ロシュラニオンの剣技を超える者はいないのだ。


 そんな彼を笑顔で従わせられる存在は、腕を掴んで離さないランスノークだけだろう。


「レットモルに残っているのはレキとべレスさん、ミール・ヴェールの三人だったわね」


「姉さん、今一度冷静に考えてください。ミール・ヴェールはイリスサーカス団の副団長であり、裏方総指揮官でもあります。その彼の眼を潰すなど、国の貿易やサーカス団の交流にも影響が出かねません」


「今すでに副団長は貿易に参加出来ていないわ。その事実から、彼が欠員しても裏方は回せるのだと判断しましょう。世代交代ね。それに、彼は普段から三つの目の内二つは閉じて生活しているの。三つ全て無くなろうとどうにでも動けるわ」


「裏方は回っているかもしれませんが、一つでも目が見えるのと全て見えなくなるのとでは雲泥の差です」


「なら二つにしようかしら。私は愚かに優しいから。日頃隠していると言うことは、あの二つの目はいらないのでしょう」


「姉さん……貴方はどうして、そこまで副団長を毛嫌いするのですか」


 ロシュラニオンは深く肩を落とし、ランスノークは口角を上げたまま黙る。静かになった姉に違和感を覚えた弟は、日の光を反射する金髪に目がくらみそうだった。


「――私の大切な友達を、あの男は止めなかったの」


 ランスノークはテントを見つめる。


 テントの中で療養する黒い男を探している。


 ロシュラニオンは口を閉じ、ランスノークは手を握り締めていた。


「彼は止められた。止められたのに止めなかった。大人のくせに。止めなければいけない存在だったのに」


 王女は憎らし気にテントを見つめ、不意に肩から力を抜いた。自分自身を嘲笑あざわらって、深く深く嫌悪しながら。


「私も同罪なのだけどね……私は、ミール・ヴェールと私自身が憎くて堪らないの」


「……その友達は、クラウンですか」


 ロシュラニオンは言葉を探し、素直に自分の疑問を口にする。微笑むランスノークは肯定も否定もしなかった。


 それが、答え。


 無言こそが最大の回答になる。


「あいつは、誰を導いたのですか」


 ロシュラニオンは思い出す。自分の膝に乗せていたクラウンを。道化師は決して誰を導いたのか口にしなかった。右目を誰かの為に無くしたと王子は分っているのに。


 微かに彼は胸に溜まる感情に苛立った。苛立ったが、それをクラウンに伝えはしなかった。


 膝に乗せたクラウンの耳は、絵の具でも付けたように赤くなっていたと気付いていたから。今は自分の腕の中にいてくれるのだと言い聞かせていたから。


 ランスノークは新緑の瞳に弟を映し、艶やかに微笑んだ。


「クラウンは答えなかったのでしょう?」


 その問いに、次に沈黙の肯定を返すのはロシュラニオンだ。


 彼は新緑の瞳から視線を外し、姉は可笑しそうに笑っていた。


「あの子が答えなかったのならば、言わないわ。女の子の秘密だもの」


「……はぁ」


 煮え切らないロシュラニオンは気のない返事を口にする。満面の笑顔を浮かべたランスノークは、弟の腕を引いていた。


「行くわよ、ミール・ヴェールの目を抉らなくっちゃ」


「そんな陽気に言わないでください」


 語尾に音符でもつきそうな物言いでランスノークはテントに入る。


 いざとなれば自分が止めなくてはいけないと王子は固く決意し、何年かぶりにテントの内部を見た。


「おんや、これはこれは、スノー王女にロシュ王子じゃないっすかー」


 テント内で二人を迎え入れたのは照明器具を触っていたべレス。


 道化師の前には一本の腕を首から吊ったミールがおり、銀の目はキアローナ姉弟を確認していた。ランスノークは呼吸をするように凛としたお辞儀をベレスに送っている。


「こんにちは、べレスさん」


「こんにちは~、どうしたんですかねぇ。今日はまだ団員達帰ってきてないんですけどぉ」


「いいですよ、こちらこそ急に押しかけてごめんなさい。私が会いたかったのはミール副団長なのですけど、今お時間よろしいかしら?」


 美しく笑うランスノークを見下ろして、べレスは副団長に視線を向ける。


 団員内でランスノークの感情を知っているのはクラウンとリオリス、レキナリスだけだ。しかし、この敏い道化師は何かしらを肌で感じ取ったらしい。


「すんませんねぇ。実は今、照明の点検をしてるんでー。レキの所で待っててもらってもいいですか? 俺、副団長がいないと点検とか、何したらいいか分らないんですよね~」


 おどけて笑うべレスを見て、ランスノークも微笑み続ける。


「勿論ですわ。今日のレキのご容態はいかが?」


「ここのところ繭に籠ってるんで、声をかけてやってくだせぇ。あいつも喜ぶんで~」


 べレスはのらりくらりと間延びする喋り方をする。それは相手に同調するようであり、さざ波だっていた部分をなだらかにしていくような心地を与えていた。


 だが、それはランスノークにとっては一時しのぎにしかならない。


 王女は微笑んで了解し、弟を連れてテント奥へと歩んで行った。


 べレスは二人に手を振り、見えなくなったところでミールを振り返る。


「ふーくだーんちょ~、あーんた何したんですかぁー?」


「何もしなかったから嫌われてしまったんだよ」


「ありゃりゃ~」


 べレスは軽い雰囲気で腕を組み、ミールは静かに目を伏せる。きっと青い道化師が王女を見れば「副団長は悪くない」と間に入ると予想しながら。


(……私が悪いんだよ――アスライト)


 ミールは脳内で伝え、信念に濡れていた青い瞳を思い出していた。


「……べレス、クラウンを裏方補佐にしてくれても良いんだが」


「師匠としては頷けねぇなぁ~」


「だろうね。冗談だ」


 ミールのため息をランスノークは拾わない。彼女はレキナリスの自室の扉をノックし、返事が無いことに息をついていた。


「レーキー、レキナリス! お見舞いの品は持ってないけど入っていいかしらー?」


「姉さん……」


 ロシュラニオンは本日何度目かも分らないため息を吐く。彼の耳は室内から聞こえる慌ただしい音を拾い、冷や汗をかきながら扉を開けたレキナリスを憐れんでしまった。


「な、なんでスノーとロシュが、え?」


 レキナリスは肩で呼吸し、深く咳き込んでしまう。ランスノークは苦笑しながら団員の背中を摩っていた。


「副団長に用事があったんだけど、少し待つように言われてね。お邪魔でなければ待たせていただいても?」


「あ、ちょ、ちょっと待って。部屋すごいから、ちょ、片付けるッ」


「そんなの気にしないのに」


「俺が! 気に! するの!」


 レキナリスは慌てて扉を閉め、部屋の中は何やら騒がしい。ランスノークは頬に手を添え、ロシュラニオンは「あぁ……」と零していた。


「彼、意外と片づけられないタイプなのかしら」


「まぁ、役柄がアーティストですから、図面などを広げていたのではないですかね」


「そう思っておいてあげましょう」


 ロシュラニオンは隣で肩を竦める姉を確認する。彼女は酷く柔らかに、目元を染めて笑っていた。


 それに弟は何を言わず、咳き込みながら扉を開けたレキナリスを純粋に尊敬したのだ。


「なんか、悪いな、急に」


「いや、大丈夫、です。こっちこそごめん……」


「レキがこんなに可愛い反応をしてくれるなら、急に訪問するのも悪くないわね」


「俺の精神に悪いから止めてよ、スノー」


 眉を寄せて頬を引き攣らせたレキナリス。怒っているか呆れているかと思わせる表情だが、額まで赤くなっていては説得力の欠片もなかった。


 ランスノークは上機嫌でレキナリスの部屋に入り、続こうとしたロシュラニオンは足を止める。廊下の角からこちらを見ていた副団長に気が付いたからだ。


 赤い双眼を瞬きさせた王子は姉と団員を確認する。


 それから足の向きを変えて、首を傾げた姉達に言っておいた。


「少しテント内を見てみたい。レキナリス、姉さんを頼む」


「あら、それだったら私も行くのに」


「姉さんは、急に押しかけられて、部屋を大慌てで整えてくれた彼の気苦労を汲んでやってください」


「いや、俺は別に……」


「それもそうね。これ以上失礼なことしたら流石に悪いわ」


「……君達姉弟は、ほんとにもう……」


 レキナリスは腕を脱力させ、ランスノークは弟に手を振っている。ロシュラニオンは息を吐き、団員の部屋から離れていった。


 彼が曲がった廊下の角にはミールが立っており、ロシュラニオンの目は鋭くなるのだ。


「何か用か」


「少し話がしたいのですが、いいですか」


 ミールの銀の瞳は問いかけるのに有無を言わせない。


 ロシュラニオンは眉間に皺を寄せ、今日は自分に拒否権がない日だと辟易した。

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