第23話 外堀を埋めていくスタイル

 クラウンの心臓は焦っていた。


 濡れた地面を蹴り上げ、肩やカツラが濡れることはいとわず、本だけは濡らさないように道化は走る。


 何処かで雷が鳴っていた。


 空が光り、外を歩くような者は誰もいない。


 薄暗い外を駆けるのはクラウンだけであり、彼女は一心に城を目指すのだ。


 ミールの言葉が頭の中を回っている。


 ――ロシュラニオン様を襲った者。イセルブルーを城に植えた者。そいつが再び動きそうだと言ったんだ


 クラウンの心臓が不規則に驚き、冷や汗が背中を流れてしまう。


 道化は珍しく息を切らせながら城への道を駆け抜け、城内へ飛び込んだ。


 傘を無造作に畳んで近くを通った従者に押し付け、挨拶もそこそこに城の中を駆けていく。


 道化は階段を跳ねるように上がり、八年前の肌寒さを思い出していた。


 あの日もそうだった。息を吸う度に肺が凍りそうになり、温まろうと筋肉が震え、手足の感覚が薄れていく。


 まるで昨日の事のように思い出せる、事件の日。


 クラウンは奥歯を噛み締めて廊下を滑り、ロシュラニオンの部屋の前にやって来た。


 凍えた日もその扉の前にいた騎士達。ルリノとダンヴェンはクラウンの勢いに目を丸くし、道化師は二人に詰め寄った。


「王子の部屋、誰も入ってない!?」


「あ、あぁ」


「入っていないが、どうしたクラウン」


 ルリノとダンヴェンは、クラウンもリオリスもいない時の番。団員達が公演に出ている時や、ロシュラニオンが部屋を離れている時に着いており、それ以外は騎士としての稽古や警備にいそしむ者達だ。


 彼らは、自分達に「着替えてくる!」と叫んだ青い少女と目の前の道化を重ね、目を瞬かせていた。


 クラウンは息を整えながら首を横に振る。


 扉に手を置いた道化師は、凍ったそこを蹴破った感覚を思い出した。


「なんでも、ない」


 そのまま道化師は扉を押し開ける。ダンヴェンとルリノは顔を見合わせつつも稽古場へと戻り、入室したクラウンは扉を閉めた。


「クラウン」


 机に資料を広げていたロシュラニオン。彼は頬にガーゼを、頬に湿布を貼っており、クラウンが付けたそれらの傷以外変わった所はなさそうだ。


 クラウンはその姿を見て膝から力が抜け、王子は慌てて駆け寄った。


「おい、どうした、お前らしくもない」


 膝を着いてクラウンの仮面を撫でたロシュラニオン。ひびが入った仮面に王子は気づき、道化は彼の手を握っていた。


 ゆっくりと、そこにいることを確かめるように。クラウンはロシュラニオンの手に触れる。


 王子は道化師の行動を見つめ、クラウンは祈るように両手でロシュラニオンの手を握った。本を床に落として、視界が微かに滲んでしまいながら。


 仮面の額に握った手を当て、背中を丸め、息を吐いたクラウン。


「……無事だな、王子様」


「……あぁ、無事だ」


「いるよな、ここに」


「いるだろう、目の前に」


「なら……いいや」


「……クラウン」


 ロシュラニオンの手を握るクラウンは、震えている。そこにいる温かさを確認して、王子を目視して、離さないように両手で掴んで。


 クラウンは、あの日伝えた言葉を浮かべていた。


 ――ラニ、ラニも出よう。君もみんなも無事で、初めて良かったって言えるんだから


 少女はそう伝えた。騎士や踊り子のことを心配した少年に、確かに伝えたのだ。


 その後だ。何もかもを壊された。何もかもを奪った誰か。


 少女はその者に殴られた。誰かも知らない者に負けて、少年の手を離してしまったのだ。


 クラウンはそこで思い出す。あの時のロシュラニオンの表情を。


 自分が振り返る前。近づいて来た者を見た時の、王子の表情を。


 組み上がった仮定にクラウンは悪寒を感じ、ロシュラニオンに手を握り返されていた。


「何があった、話せ」


 ロシュラニオンの赤い瞳が道化師に命令する。決して強い声ではない。諭すような柔らかな声で。


 クラウンは顔を上げ、静かに頷いていた。


 * * *


「事件を起こした者をミール・ヴェールは知っていて、犯人が再び動き出そうとしていることも知っていると」


「……うい」


 クラウンは本を抱えて頷き、自分の今の体勢に理解が追い付いていない。


 椅子に座っているロシュラニオンは、眉間に皺を寄せながら思案しているご様子だ。


「……副団長のこと、怒る?」


「……いや、ミール・ヴェールなら理由があっての事だろう。そう会ったこともないが、レットモルの貿易団筆頭の副団長だ。行動には意味があると思っている」


 クラウンは予想外の回答に驚くが、だからこそ自分の中に燻っていた感情を抑えていくことが出来た。


 ――クラウン、感情に呑まれるな。冷静である部分を持て。俺は、犯人が誰かを教える気はない。お前自身で見つけだせ。その本を使って


 ミールの言葉をクラウンはゆっくり反芻する。ミールは確かに犯人を隠しているが、それを隠し続けることはしなかった。ヒントを与え、クラウンに「自分で見つけろ」としたのだ。


 だからクラウンは、怒りを飲んで考えることを選んだ。ロシュラニオンの隣に戻り、彼の無事に安堵し、探すことを再開したのだ。


 しかし。けれども。


 それを始める前に、クラウンは確認しておきたいことがあった。


「……あのさ、王子様、どーでも良いんだけど……」


「どうでもいいなら口を開くな」


「いや、ごめん、どうでも良くないから口を開かせて」


 眉間に皺を寄せたままのロシュラニオン。


 クラウンは、そんな王子の膝に座らされていた。


 ロシュラニオンが椅子に座った所までは良かった。


 その隣にクラウンが立ったのもいつも通りであった。


 だが、立ったままのクラウンの腕をロシュラニオンが掴み、自分の膝に座らせたのは初めてだった。


 それだけで道化師の頭には疑問符が飛ぶわけである。


 クラウンは頭を散らかし、気づけば腰に手を回され、ロシュラニオンを見上げた。


 色々と言いたいことはいったが、王子がまるで何も間違っていないと言う態度で「それで、何があった」と問えば、道化は話すしかないのだ。


 話している間、感情が煮えていたクラウンは落ち着きを取り戻していた。突拍子のない状態に驚いた結果、半周回って冷静になれたと言ってもいいだろう。


 ロシュラニオンは片腕をクラウンの腰に回したままであり、道化師は意を決した。


「この体勢おかしくないか」


「どこかおかしいのか」


 クラウンの言葉にロシュラニオンは間髪入れずに答えてみせる。


 仮面を押さえたクラウンは、思っていた以上に自分と王子に身長差があったことも相まって、思考が纏まらなかった。


 クラウンはロシュラニオンの左膝に座らされている。顔の横には王子の首元があり、下手をすれば彼の腕に覆い隠される程の体躯差だ。


「いや、どこがって、全部がさぁ」


「お前は俺が嫌いか?」


「はぁ?」


 ロシュラニオンは無表情にクラウンを見下ろしている。気づけば眉間の皺が取れている王子は、純粋な疑問でもぶつけたような態度だ。


「いや、今それ関係ないと思うんですけど」


「俺は、嫌いな奴を膝に乗せる趣味はない」


 ロシュラニオンの物言いにクラウンは呆けてしまう。空気は唖然としたと物語っており、王子は真顔で続けていた。


「好きな奴しか乗せない」


「……ぃや、おい」


「お前は、嫌いな奴の膝に暴れず乗るか?」


 クラウンの思考が停止する。体も芯まで固まったように動かなくなり、ロシュラニオンは道化の耳を見ていた。


「の……ら、なぃ、けど」


 雨音に負けそうな声量で、クラウンは絞り出す。


 ロシュラニオンはその答えを聞いて暫し黙り、クラウンはぎこちなく本を机に置いた。


「おち、つかな、ぃ。と言うか、集中、出来なくなってきたから、」


「下ろさないまま話を続けるぞ」


「おい!!」


 クラウンは暴れかけたが、ロシュラニオンに抱き締められて大人しくなる。


 王子は自分で持って来た資料をなぞり、事件があった日を指し示した。


「イセルブルーの事件があった日の門番の報告書だ。城にかけてあるまじないに異常はなく、不審人物も目撃されていない」


 止まっていた思考を急速に働かせ、クラウンは資料に目を向ける。ロシュラニオンも平静であり、クラウンは仮面に指を当てていた。


「事件当日、不審者の侵入は確認されてないってことか? でもまじないを掻い潜れる種族なんて、それこそ山程いるだろ」


「あぁ。だがまじないを抜けても騎士の目がある。誰かが侵入したにせよ、誰も見ていないと言うのはどうなんだ。事件が起こる前から、城の警備は隙がない配置や人選なんだぞ。ここまで固める必要があるのかと時折驚く程にな」


 ロシュラニオンは警備騎士の名前が連なった報告書を見て、誰がいつ、何処を警備していたかを確認する。


 クラウンはそれを聞き、「あぁ……」と思い出したように呟くのだ。


 王子は道化師の態度に気が付き、言葉の先を促している。


「何が言いたい」


「……記憶を無くす前の、君の話も関わるよ」


「構わない」


 ロシュラニオンは息を吐き、クラウンは仮面を指先で叩く。それから資料に目を向け、重たい口を開けたのだ。


「お前が七歳の時、城を無断で抜け出したことがあった。それを機に王様は、城の警備に子どもが抜け出せてしまう隙があるって気づいて、警備体制を見直したらしいよ。それから城の警備は虫一匹、まして部外者なんて入れさせる隙は無いように訓練されてた筈だ」


「……抜け出した」


「そ、抜け出した。しかも書き置きは〈直ぐ帰ります〉だったかな」


 ロシュラニオンは知らない自分に呆れ、少しだけ恥ずかしさも感じてしまう。


 クラウンは名前を教えてくれた常連の王子を思い出して、笑ってしまっていた。


「で、その言い方だと、俺とお前はその頃からの付き合いだと」


「あーあー止めとけ。無駄に詮索すると頭が痛むぜ王子様」


 確認した王子は頬を痙攣させて額を押さえている。道化師は飄々と言い聞かせ、主が肩から力を抜くのを確認した。


 同時に、道化も王子も気づいている。


 自分達の会話を詰めていって分かることは、と言うことなのだと。


「さーて……考えたくない話になってきたよぉ」


 クラウンは目を細めて、ミールが渡してきた本を開く。


 それは種族についての図鑑であり、今までクラウンが読んだことのないものだ。


「……ヒントが優しくないぜ、副団長」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る