第22話 本音は墓まで持っていかない

 

 道化師の仮面は残念ながら二つしかない。一つは以前リオリスに砕かれた仮面。一つは半分が無くなった仮面。


 クラウンがつけたのは、まだ顔を隠す面積が広いひびの入った仮面だ。


 口元まで覆っても声が通るように細工されている仮面は特注品であり、鬼才国きさいこくと言う国でしか取り扱いされていない技術だ。


 ベレスもクラウンも鬼才国の仮面を愛用しており、容易く壊れることはないと踏んでいた。だからこそ、ストックを用意していなかったことが悔やまれる。


 顔にひびが入っている同然のクラウンは、ため息を我慢して衣装を着替え、ミールの部屋へと向かった。仮面を被らず"アスライト"の顔を晒すよりも、まだ割れている方がマシだと考えたのだ。


「あ……ロマは……」


 クラウンは呟いて進行方向を変える。温室と言い先程と言い、ロマキッソが何か話したそうであるのが気がかりなのだ。


 頭の先から爪先まで道化師に戻ったことにより、今の少女の足は軽い。踊るように歩き、跳ねるように進んでいる。


 その姿を見た団員達は笑ってしまい、慣れと言う恐ろしさを感じるのだ。


 青い衣装に身を包んだ美しい踊り子――アスライト。


 彼女は誰が望もうと、姿を現してくれることはない。確かに今日の姿は奇跡であり、一瞬の幻とさえ思えてしまうのだ。


 そして、奇抜な衣装に身を包んだ陽気な道化――クラウン。


 その存在は既に団員達にとって当たり前となっており、弾けるような笑い声は聞いた者を笑顔にしてくれる。


 踊り子も道化師もそこにいる。その証拠に、機嫌が良い時のクラウンの跳ね方は踊り子のそれなのだから。


 道化師の師匠たるベレスは気づきながらも指摘しなかった。指摘することなど誰も望んでいなかった。


 ベレスは、軽い足取りのクラウンがステージに近づくのを確認する。ひび割れた白い仮面は誰かを探す素振りをし、玉乗りをしているロマキッソで止まった。


 ベレスも同じようにロマキッソを確認する。白い少年は両耳を掴んで玉乗りに集中しており、声をかけるべきタイミングないことは見て取れた。


 クラウンは何も言わず、ベレスに手を振って歩き去る。ベレスも手を振り、ナイフジャグリングを再開していた。


 ふと、床に着地したロマキッソは耳を握り締めている。握り締めて、震えている。


 首を傾げたベレスはナイフを指の間に挟み、ジャグリングを中断した。


「どうしたぁ? ロマ君よぉ」


「ぇ、ぁ、あ、な、なんでもない」


 眉を下げたロマは再び大玉に乗りバランスを取る。ベレスは暫し考える素振りを見せたが、何も言わずにナイフを投げた。


「おーい、副団長! きーたよー!」


「入りなさい」


「あいあい!」


 クラウンが声高く入室したのは、ミールの私室。道化はフードを外している副団長を見てから、彼の手元の分厚い本に視線を投げた。


 本はミールの手の上で広げられており、道化は跳ねるように近づいている。


「副団長、話ってなーんだ」


 クラウンの背中には陽気な空気が流れている。花でも咲くような、陽光でもさしているような、そんな空気。


 ミールはその姿を上から下まで確認し、鉤爪のついた足を組んでいた。


「……ヒントをやろうと思ってな」


「ヒント? 何々ヒントって、僕なにか問題出されてたっけ!」


 クラウンは両手を大げさに広げてみる。長くならないと聞いているミールの話の後、ロシュラニオンとの最初の挨拶はどうしようかと頭の片隅で考えているせいだ。


 道化師は考え事を隠す時ほどリアクションが大きくなる。それを知っているミールは本を閉じた。彼は、今日も二つの目を包帯で隠している。


 クラウンは背中で両手を組み、黒い顔を見つめていた。


 雨がよく降っている。


 地面を緩くし、歩く者の足に絡みつくような泥を作っている。


 銀の瞳を細めたミールは、クラウンから視線を逸らしはしなかった。


「――ロシュラニオン王子の、記憶を奪った者のヒントだ」


 肌寒い空気がより冷える。


 雨音がうるさくなり、轟さえもが流れ始める。


 クラウンは黙り、黙り、黙って、黙った。


 頭の中で言葉の理解をする。


 咀嚼し、飲み込み、うなじが引き攣った瞬間――道化の足がしなったのだ。


 ミールの眼前で止められた弾丸のような蹴り。


 それはあと数mm動かせば副団長の嘴を割る所であるが、ミールは微動だにしていなかった。


「……副団長、私さぁ、その案件に関しての冗談とかは大っ嫌いなわけっすよ」


「私が冗談を言ったことが今まであったか」


 ひびが入った仮面の奥。そこにある青い瞳が冷えていく。


 部屋の気温も下がり続ける感覚があり、クラウンが発する空気は鋭さを孕んでいた。


 全く興味が無い相手であれば、数秒で殺してしまいそうな雰囲気と言ってもいい。


「ねぇ、副団長、さっきの言い方……わざと?」


「何のことだ」


 ミールは顔の前にある足を柔く下ろさせる。


 クラウンは下ろした靴裏で副団長の足を踏んだ。逃がさないと言わんばかりの態度にミールは目を細めるが、文句を吐くことはしない。


 歪に脱力した道化は、首をかたむけた。体の横に下ろされた両手の指が鳴る。


「とぼけないでくれる?」


「私は至極真面目だとも」


 クラウンの仮面がミールに迫る。


 嘴と仮面が僅かに触れて小さく鳴れば、外の雨音が強くなったような気さえした。


 道化の指が、また鳴った。


「じゃあ聞くよ、ミール副団長。貴方のさっきの言い方は――と受け取るが、違うか?」


 銀の瞳は動じない。


 クラウンは副団長の足を踏みにじる。


 昔々、深海の青い髪を踏みにじった時のように。容赦なく、酷く嫌悪するように。


 副団長の黒い嘴は、悪びれない様子で開かれた。


「だったらどうする?」


 雨音が強くなる。


 強くなり、強くなり、強くなり。雷鳴が近づいた。


 クラウンはミールの首に両手を添え、指には微かに力が籠っていく。真綿で首を絞めるような締め方だ。


「なんで隠してた」


「考えてごらんよ」


 銀の瞳は、仮面の奥の青い瞳を射抜いている。


 姿と考え、心を見透かすことが出来るコルニクス。導きの種族は椅子から立ち上がらず、踏まれている足に目も向けない。


 クラウンは奥歯を噛み締め、頭の中が沸騰していく感覚にさいなまれた。


 指先が震え、呼吸は荒く、思考は纏まらない。


 彼女の目の前にいる副団長は、道化が幼少期より慕っていた相手だ。


 ガラのように豪快で、団員を先導するようなカリスマ性を持っている訳ではない。


 静かに全体を観察し、傍に居て欲しいと思う者の傍に立ち、光りを当ててくれる影の立役者。


 それがクラウンの知るミール・ヴェールである。決して大衆の前に姿を現すことは無いが、それでもサーカス団の事を考え、団員を想い、未熟なアスライトの願いを聞き届けた大きな存在。


 そんな副団長は、道化師が王子の記憶を奪った者を探していると知っていた。知らない筈がなかった。古書店で頭を撫でた時も、夜警を交代する時も、ミールは黙ってクラウンを見守っていたのだから。


 それが、ここに来てどうだ。


 クラウンには、ミールが酷く遠く、理解出来ない者のように見えてしまう。


 浅くなった呼吸では脳に酸素が回せなくなり、ミールの三本目の腕が伸びた。


 道化師の背中を撫でる手がある。


 それは少女が右目の喪失に震えていた時と同じ、温かな手だから。


 クラウンは、ミールの首から両手を離したのだ。


「なんで……副団長……なんで、そんな、黙って……」


 道化師が見下ろす副団長は表情を変えない。無表情を維持するコルニクスは、やはり何を考えているか悟らせないのだ。


「沈黙が必要な時もある」


「なん、だよ……それ」


 クラウンの掌は、軽くミールの頬を叩く。全く痛みを与えないそれに副団長は目を伏せ、道化の背中を撫で続けた。


「俺は答えを教えてはやれない。だが、ヒントは与えようと思った」


「……ふざけんなよ」


 クラウンはまたミールの頬を叩く。先程よりも力が入ったそれはミールの顔を揺らし、道化の肩は震えていた。


「黙ってんなら、墓まで持っていけよ。偽るなら、偽ったことを突き通せよ。嘘を嘘だって、気づかせんなよッ」


 クラウンは拳を握って振り上げる。


 ミールはそれを見上げ、避けも受けもする素振りが無い。


 道化師は奥歯を噛み締めると、振り下ろした拳で――自分の太ももを殴っていた。


 深い呼吸が聞こえる。震える吐息が零される。


 副団長は道化師の姿を見つめ、クラウンはその場に崩れるように座り込んだ。


 胡坐あぐらをかいて、両手で仮面を覆い、自分を落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。


 彼女は言った。嘘を嘘だと気づかせるなと。


 だがよくよく記憶を辿ってみれば、ミールが嘘をついたことはなかったのだ。


 ――ねぇ、副団長


 かつて、青い少女が裏方補佐をしていた時を思い出す。


 ――記憶を奪う種族、知ってる?


 あの時、少女は確かに聞いていた。一番話を振りやすく、理解してくれるかもしれないと思ったミールに。


 彼は言っていない。「知らない」とは答えていない。


 ――聞いてどうする


 質問に質問で返された記憶が、クラウンに蘇る。


 当たり前のように流してしまった。あの頃の自分には、ミールに対して堂々と答える気力が無かったから。


 今なら間違いなく答えられる。「殺したい」のだと。「見つけて、あの子の幸せの邪魔をさせたくない」のだと。


 八年間、成長し続けている感情がクラウンの体内を燃やしている。


 道化は仮面から手を離し、ミールを見上げた。


「なんで今更ヒントなんだよ。答えは教えてくれないくせに」


「……また、動こうとしているからな」


「……は?」


 クラウンの空気が凍てついていく。


 ミールは持っていた本をクラウンに投げ渡し、外の轟を聞いていた。


「ロシュラニオン様を襲った者。イセルブルーを城に植えた者。そいつが再び動きそうだと言ったんだ」


 空気が、凍る。


 ミールはそこで初めて背中に悪寒を感じ、クラウンを見下ろした。


 四本の腕は防衛反応によって翼に戻り、副団長の体を覆い隠す。


 道化師は、ひび割れた仮面で副団長を見つめた。


 彼女の空気は凪いでいる。


 波の無い水面のように。一点の曇りのない硝子のように。


 クラウンは、首を傾けた。


「何それ。殺す」


 静かな声だった。


 低く地を這い、聞いた者の喉を閉じさせるような、威圧感を孕んだ声だった。


 ミールは嘴をつぐみ、首を静かに横に振る。


 クラウンは首を反対側へ傾けて、四肢を脱力させながら立ち上がった。


 気怠げなようで、無気力なようで、それでも殺気を纏った嫌な態度。


 ミールは銀の瞳を細め、二つの目を隠す包帯を外しはしなかった。


「殺す、殺す、絶対殺す。またあの子に手を出す気なら容赦しない。二度と傷つけさせたりしない。絶対殺す。あの子が会う前に殺す。首を折って殺す。足をもいで殺す。腕を引き抜いて殺す。殺す、殺す、殺すッ」


 クラウンの右手が仮面を押さえる。力が入れられた指は仮面のひびを増やし、欠片が落ちていった。


「私がそいつを、殺してやる」


 クラウンの体から憎悪が漏れる。


 声には殺意が、瞳には厭悪えんおが滲み出て、ミールは翼を開けないのだ。


 きっとここで間違えれば、クラウンはミールにすら飛びかかってしまうから。


 何故黙っていたと怒鳴り、教えてくれればもっと早く殺せていたと叫び、どうして今になっても答えないのかと詰め寄るのだ。


「クラウン、感情に呑まれるな。冷静である部分を持て。俺は、犯人が誰かを教える気はない。お前自身で見つけだせ。その本を使って」


「ふざけんなよ副団長。そんな悠長なこと言ってる場合かよ」


「犯人も直ぐには動かない。機会を伺っている。お前がどう動くか、王子がどう動くか、他の者がどう動くか」


「教えろ、答えろ、ミール副団長」


「考え続けろ、アスライト」


「ミール・ヴェールッ!!」


「私は言えない!」


 二人の声は轟に重なり、外で大きく稲光がする。


 クラウンは肩を震わせると、ミールの顔を見つめていた。


 見つめて、見つめて、見つめて。


 本を抱えて踵を返す。


 何も言わずに部屋を出た道化師は、廊下を大股に歩きながら奥歯を噛んだ。


「あんな顔、狡いだろッ」


 クラウンの瞳に残ったミールの表情。


 鉄壁の副団長。揺るがぬ裏方総指揮官。


 その彼が、あのミール・ヴェールは初めて――懇願するような顔をしていたのだ。


 雨脚は強くなるばかり。


 虹色の傘をさしたクラウンは、城に向かって駆け出した。

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