バーチャルプラザの思い出
柚木呂高
バーチャルプラザの思い出
1999年、ノストラダムスの大予言の通り世界に恐怖の大王たる戦略核兵器が、理性のタガが外れた人類の手によって大地に降り注いだ。すでに予兆はあった。人類全体が日々のニュースや空気感から危険を察知し、人類が袋小路に行き詰まったことをそれとなく自覚していた。そして死の匂いが文明中から漂い出すと、その昔、黒死病が流行ったときのように人々は好色になった。男たちは常に女を求め、女もまた未だ嘗てないほど男たちを誘惑した。人々は毎秒恋をし、容姿の美醜もなく、抱き合い、狂乱し、口づけを交わした。そして多くの人々が愛し合う中、核兵器は滅亡的な閃光を放った。強い光に目を閉じていても抱き合う相手の骨が透けて見えるようだった。
そこで僕らは産まれた。母親を持たず、ただ、その特殊な光によって齎された生命体として。恐ろしい人工の光が人の命を奪う中、僕らはその光の隠された負の力の副作用として命を授かったのだ。落下するミサイル、それを背景に射精される精子、拡散する種子。その世紀末的で美しい情景を想像すると僕は感動する。こうして僕ら、精子人間が産まれた。卵子との結合を果たさず、成長した僕たち新しい人類。しかし僕らは歓迎されたわけではなかった。
多大な破壊のあと、人々はただ生きるのに必死になった。文化を立て直し、国を立て直し、人間関係を立て直した。ただやはり人類の文明は衰退した。そんな中で僕らは負の遺産として残念ながら差別の対象となった。
僕らの見た目は殆ど人間だが、人とのコミュニケーションが重要だった。そのコミュニケーションはサンプリングと呼ばれるもので、基本的にはただ会話やちょっとしたスキンシップでいいのだが、それを日常的に行うことで人間の形を維持することができる。それができない人はどうなるのか、精子の形に近い状態に近づいていき、身体機能が低下して死に至る。また人の形を維持していても、精子の名残りだろうか、尾てい骨が普通の人より長く、お尻を見られると精子人間か否かを判別することができた。スキニーパンツなど履けばしっぽのシルエットが浮き出てしまうので、多くの精子人間は緩やかなパンツやスカートを穿くこと好んだ。
戦争が落ち着き、精子人間たちは成長すると、学校へ通った。一応僕らは科学的見地から基本的人権の尊重の対象となっていた。学校側はいじめなどの問題が起きるのを懸念して、精子人間の生徒が誰があるかを公表したりはしなかった。お陰で僕はいじめられずに済んでいた。だが、他の精子人間はその限りではない。隣のクラスの中村くんはわけもなく殴られたり、掃除用具入れに一晩中閉じ込められたりしていた。多くの精子人間には父親しかいなかったが、当時付き合っていた女性がいた人はそのまま結婚に至り、家庭をもつ者も少なくなかった。僕の家庭がまさにそれで、幸いなことに僕には両親がいた。だが中村くんは父親しかおらず、そういう家庭をもつ人はまず精子人間であることを疑われてしまうのだ。
時は経ち2010年を越えた頃、僕は11歳、少しの自我に目覚め、嗜好するものの傾向が判ってきて、言語を通してものを考えたり、悩んだり、恋をしたりした。そんな中で特に僕の興味を引いたものがあった。大戦以前の文化であるポップミュージックやAOR、ミューザックなどの音楽、或いはブラウン管のデスクトップPC、マッキントッシュ、そして僕が生まれる以前の様々なデザインやアートに多大な郷愁感を覚えるようになっていた。父親や母親の青春を彩るそれらの文化、爆弾の閃光で焼けて淡く色落ちしたそれらの文化が、僕の中で最高にクールに思えた。
12歳の誕生日、両親は僕にMacBookをプレゼントしてくれた。一番スペックが低く、1~2世代型落ちのそのコンピュータを使って、僕は大好きな1990年代の音楽を低回転で再生し、加工し、ビートを付け足す遊びに夢中になった。僕らの性質だろうか、サンプリングは性に合ってた。インターネットを使ってそれを共有し、共感してくれる仲間と共に音で遊んだ。それらのコミュニティはバーチャルプラザと呼ばれ、他にも多くの精子人間と思われる人が参加しており、僕らは郷愁と新鮮さを両立した新しい世代を体感していた。
僕らの作った音楽は静かなブームとなっていた。音楽愛好家の間で話題になり、徐々にその魅力が語られるようになった。曰くインターネット世代による加速主義であるとか、テクノロジー資本主義の人気を促進するパスティーシュだとか言われた。もちろんそんなことを言われても僕らは子供だから理解できなかったし、自分たちで自分たちの音楽を説明することもできなかった。けれど、精子人間である僕らの作品が世に問いかけ、認められたのはとても嬉しかった。
翌年僕らは破壊された伊勢丹の廃墟近くにできたコーヒーショップで、オフ会をした。集まると誰一人大人がいなくて、お互いがまだ中学生だということに笑ってしまった。誰も1990年の音楽なんてリアルタイムで知らなかった。大戦以前の世界はまるで昔話のように遠くて、多く命が失われてまるで神話のように感じていた。僕らは神話を再構築しているんだ。オフ会に参加した誰かがそう言った。僕たちは頷いて、未知のパワーが体に溢れてくるように感じていた。
僕は自分が精子人間であることをカミングアウトした。するとそれに続くように何人かも自分もそうだと告白をした。そうでない人が僕らは一生友達だと言った。僕は胸にずっと秘密にしていて支えていたものが洗浄されていくように感じて涙を流した。ひとりの人間の少女が僕にハンカチを貸してくれた。そのハンカチはいい匂いがした。高校にあがると彼女は僕の恋人になった。
僕たちの音楽のムーブメントは気付いたら終わっていた。それとともに仲間たちが次々と死んでいった。最近やっとわかったことだけれど、僕たちは普通の人間よりもずっと短命で、長生きしてもせいぜい20歳程度までしか生きられないらしい。18歳の夜、僕たちは自分たちが主催するイベントで、クラブからインターネットにストリーム配信をした。僕たちは精子人間であると。
僕たちは精子人間で、様々な差別を受けながら、2010年にある音楽的潮流を起こした。ムーブメント自体はアンダーグランドのまま3年も経たずに死んでしまったが、その音楽の種子は拡散し既に多くのポップミュージックの中で芽生え、新しい形になって花開いている。僕らは雨の振る中、ネオンが窓の水滴に滲むような美しい時代の神話を築いた。どうか忘れないで欲しい。僕らがいたことを。その音楽が、あなた達の音楽の中に浸透していったことを。
僕たちは幸福だ。普通の人間は皆、最初は自分自身が世界の中心で、成長するにつれてどんどんそこから離されていき、最後には世界の端っこで死を迎えるのに。僕らは青春の真っ只中、一つの文化の証人となって生を全うできるのだから。
彼女はもちろん泣いていた。別れが辛いんだ。僕も別れは辛いけれどね。人生そのものが輝いていたのは幸運だった。今はそのことを喜んでいたいんだ。
――精子人間で、あるVaporwaveアーティストのインタビューより。
バーチャルプラザの思い出 柚木呂高 @yuzukiroko
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