飛ばされた部隊-2

 船団が横須賀を出港して十数時間後、船団は八丈島近海で錨泊していた。

 本来なら、寄り道せずに硫黄島まで行ってしまいたいところだが、輸送船の鈍足さが文字通り足を引っ張っていた。


 一応、その点は織り込み済みとはいえ、潜水艦からの攻撃を警戒してか、輸送船のほとんどは浅瀬に出来るだけ近づいて錨を下ろしていた。

 護衛の冬月と竹は探信儀ソナーを海中に降ろし、対潜警戒に余念がなかった。

 また、利根に搭載してある三座水偵も発進し、周辺の警戒に当たっていた。


 そんな海軍の緊張を余所に、船倉から甲板に出てきた将校が一人いた。

 桟橋で長門を見つめていた澤村中尉だ。

 澤村は、胸にかけている救命胴衣を煩わしそうに横へずらすと、腰のポケットから煙草を取り出して火を点けた。


 煙草を吸いながら澤村は、辺りを見回してみた。

 自分が乗っている輸送船や、周りに錨泊している輸送船の甲板には陸兵があふれていた。

 澤村と同じように、狭苦しい船倉から甲板へ出て日光浴してみたり、煙草を吸ったりと穏やかな時間を過ごしているようだった。


 澤村充さわむらみつる中尉は、生まれは静岡で貿易社員の息子として生まれた。

 父の仕事の関係もあり、幼少期から英語を叩きこまれたおかげで、英語には堪能だった

 

 その後、十八歳で志願兵として陸軍に入営し、一等兵に昇進した後に陸軍士官学校への入学を希望、受理されている。

 折しも、日中戦争が激化の一途を辿っていたこともあり、採用人数が増員されていたこともあったからである。

 そして太平洋戦争緒戦の香港作戦から、澤村は見習士官として戦闘に参加している。

 当時は、古参兵から侮られていたようだが、戦闘を経験してからはメキメキと成長し、香港を攻略した際に少尉に任官された。


 それから転戦してジャワ島の戦いに従事したが、バンドン要塞で英軍との戦闘中に白兵戦が発生した。

 その戦闘で左頬と首の右側に被弾した澤村は、人事不省に陥った。

 次に澤村が気付いたとき既に後方の野戦病院に収容されていたが、怪我の状態が酷かったため病院船にて本土へと帰還させられている。


 ちなみに戦闘に参加していた当時伍長だった真田も澤村と同じ白兵戦で左足を負傷しており、同じ病院船で一緒に本土へ帰還している。

 本土に帰ってから病院内で話すうちに意気投合した二人は、将校と下士官という枠組みを超えて友人として話すようになった。


 その後復帰した澤村は、真田を自分の従卒にしたいと上官に掛け合って了承された。

 それからは、退院後に中尉に任官された澤村と軍曹に昇進した真田の二人は、一個中隊を任されて訓練に励んでいた。


 澤村は本土に帰還してしばらく経った後で、英語が堪能という事を理由に師団司令部に引き抜かれそうになったが、これを固辞している。


 「師団司令部なんかに居たら、お前らと離れてしまうからな」


 司令部付を固辞した際に、中隊の面々からは不思議がられたが上のような言葉を澤村は笑って話していた。

 その言葉を聞いた中隊の兵士たちはお互い顔を見合わせて笑っていた。

 気の良い連中が揃っている中隊だった。


 少し昔のことを考えながら煙草を吸っていた澤村だったが、そこに来客が一名訪れた。

 

 「一緒にいいですか?澤村中尉」


 澤村が振り返ると、そこには桟橋で言葉を交わした真田軍曹が煙草をもって立っていた。

 ガッチリとした図体を申し訳なさそうに縮めながら聞いて来る様には少し笑いが込み上げてくる。


 「おう、真田か。構わんぞ」


 そう言って澤村は顎をしゃくりながら自分の隣を促す。「失礼します」と言いながら煙草に火を点けようとする真田だったが、マッチが湿気っていたのか中々火が付かない。

 見かねた澤村が自分の持っていたマッチを取り出し火を点けると、真田の前に差し出した。


 「申し訳ありません、中尉殿」

 「早くしろ。指が熱い」


 笑いながら急かす澤村に慌てて真田が咥えた煙草を火に近づける。無事に火が点いた煙草を一吸いして大きく紫煙を吐き出した。

 残った火で再び澤村が煙草に火を点けると、見届けたかのようにマッチの火が小さくなって消えた。

 それからしばらく黙って海を見つめていた二人だったが、唐突に真田が口を開いた。


 「ここまではなんとか無事に来られましたね」

 「ああ、敵の潜水艦も出てこなかったしな。だが、まだ半分以上残ってる」

 「そうですね。このまま真っすぐ硫黄島へ行きたいところですが…」

 「先の事は分からん。もしかしたら一分後には海水浴しているかもしれん」

 「不吉な事言わんでください。アメさんの機動部隊だって南下すればいるはずなんですから」

 「それもそうだな。陸戦ならいざ知らず、海の上じゃ陸軍は役立たずだ」

 「精強を誇る帝國陸軍は、陸戦において世界一ですか?」

 

 二人は話しながら甲板を見る。

 見えるのは人員不足で大規模招集された成人にも満たない子供と、自分達より年を食った兵隊たちだった。

 とても戦争初期に精強を誇っていたようには見えない帝國陸軍がそこにあった。


 「ジャワに一緒に上陸した連中に比べたら、はっきり言って大人と子供の差があります」

 「さすが歴戦の下士官だ。言う事が違うな」


 真田のハッキリとした現状の指摘に、冗談交じりに澤村が返すが真田はニコリともせずに、ただジッと兵隊たちを見つめていた。


 真田道直さなだみちなおは生まれは静岡、育ちは九州で福岡にあった炭鉱で働いていた。

 二十歳になって徴兵検査のため静岡に戻り、そこで甲種合格の通知を受けて真田の軍隊生活が始まった。


 入営してから二年後、日中戦争が開戦し真田は中国戦線に送られた。

 点と線を争う戦いだったが、なんとか戦い抜いた真田は、上官の推薦があり特別教育を受けた後、上等兵に昇進していた。

 その後、真田の所属する連隊は南方作戦に従事するために内地へ帰還したが、既に伍長勤務上等兵となっていた真田は兵長に昇進した。


 真田自身も自分に出来ることを精一杯やっていただけだったのだが、それが上の目に留まりとんとん拍子に昇進していった。

 もちろん実力だけではなく、日中戦争で下士官が不足したという事実も重なっている。

 それはともかく、真田がこなす仕事と責任は目に見えて増えていったが、それでも嫌とは言えなかった真田は寡黙に任務に取り組んだ。

 そして香港作戦が決まった時、精勤ぶりが認められ伍長へと昇進した。


 寡黙で生真面目、そして後輩の面倒見がよい。これが真田に対する評価だった。

 実際、真田の指揮する班はよく訓練され、統率がとれていた。

 加えて私的制裁をほとんどと言っていいほど行っていないことも、部下からは信頼される要因となっていた。


 話を戻そう。

 甲板で話し込んでいた二人の間に、突如として強い風が吹き抜けた。

 突風は船を左右に揺らし、甲板で立ち話をしていた兵士たちの中にはよろけて転ぶ者もいた。

 舷側の柵に寄りかかっていた澤村と真田の二人は、よろけることは無かったが両手で柵を握りしめた。


 「おっとっと…。ときに真田、お前船酔いする性質タチか?」

 「さぁ?香港に行ったときは陸路でしたし、ジャワ上陸ではあまり酔わなかったですが…」

 「さっき船員たちが話していたのを小耳にはさんだが、夜になったら低気圧にぶつかるらしい…。嵐になるぞ」

 「……今のうちに昼寝でもしときますか」

 「ああ、今夜は長い夜になるぞ」


 澤村が真田の肩を軽く叩いて、「お先に」と声を掛けて船室へと降りていった。

 真田は澤村が船室に降りるのを敬礼で見送った後、残りの煙草をゆっくりと吸い終えると、煙草を海へ投げ捨てた。

 そして、自分の寝台がある最下層の船倉へと扉を潜ってラッタルを降りていった。

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