第2話 追いかけてくる女

 それから毎日、新也は夢の中で女に追いかけられるようになった。

 夢では決まって、新也が道を歩いているところから始まる。そして家へ帰ろうと歩きだしてしばらくすると女が現れるのだった。

 女はあと数歩という所で新也に追いつくことが出来ずに、新也は逃げ切って目が覚める。

 それが数日続いた。

「マズいぞ……」

 ある朝、新也は起きるなり頭を抱えた。

 その日も夢の中の女から逃げ終えたばかりだった。

 夢の中ではどうも女と新也の距離が近づいていていた。

 今はもう、ぎいぃという叫び声とともにすぐ後ろの女の荒い息までが聞こえてきていた。

「このままじゃ家に、招いてしまう……気がする」

 新也は悩んだ。

 夢の中で新也は街を逃げ回るのだが、毎回意図せずして、新也の足は最終的には自宅に向かっていた。

 どこかで安心する場所……と無意識に探しているのかもしれない。

「マズいぞ……」 

 再度呟いて新也は布団に突っ伏した。


 その日はやはり夢で女に追いかけられた。

 新也は意識して自宅を避けようとしたが、先回りをするようにして女に追い詰められていしまう。結局は、自宅に向かって新也は逃げた。

 そして……

「うわぁっ!」

 バンっと勢いよく扉を開けて、新也は夢の中で自宅に逃げ込んだ。

 急いで鉄製の扉を閉めて鍵をかける。はあはあと息をして、玄関にもたれかかった。

 途端、ガキンッと金属が金属にぶつかる音がすぐ背後でした。

 新也はびっくりして立ち上がる。

 女が包丁で玄関扉を叩いているようだった。

 新也は息を整えて、再度、玄関に鍵がかかっていることを確かめる。

 自室にそろりと入って、音を立てないようにそっとベッドへ腰掛けた。

 扉を叩く音は続いている。

 溜息を吐くと、そこで目が覚めた。

「え」

 目の前に女がいた。

 起き上がろうとする新也の真上に、四つん這いで鋭く光る包丁を振りかざしている。

「うわぁ!」

 新也は腕を突き出し足で蹴り上げて、のしかかっていた女を横へ突き飛ばした。

 女がギャッと叫んで転がる。

 どうして、どうしてここに女がいるんだ。

「綺麗だって言ったのに!必ず……追いついて、やるからな!」

 起き上がりながら女が、女とは思えぬほどの野太い声で叫んだ。

 パニックになりかけながら新也は後ろも見ずに駆け出した。

 玄関へたどり着き鍵をもどかしく開けて、

「……え?」

 新也は今度こそ、はっと目を覚ました。

 いつもの部屋の天井がほの白く見えた。周囲はまだほの暗い。

 ばっと起き出して周囲を伺う。何も変わったことはない。自分の部屋だ。

 今までが全て夢……だったのだ。

「はあ……」

 溜息をつく。

 スマホで時刻を見るとまだ夜明け近い5時だった。妙な時間に起きてしまった。

 今日も逃げ切れたが、部屋に入られてしまった。

 明日からはどうしたら良いだろう。

 藤崎の顔がふいに思い浮かぶ。一瞬ラインをと思いかけたが、この時刻ではな……と思いとどまる。

「……コンビニでも行くか」

 起きて仕事の支度をするにも寝直すにも中途半端だった。

 暇つぶしに外に出よう。さっと上着を羽織ってスマホと財布をポケットへ入れる。

 そこでふと気づいた。

 『追いついてやる』と女は言った。実際に夢で新也は追いつかれて、部屋に入られたというのに。『追いついてやる』と。

 嫌な予感がした。

「……」

 玄関までの短い廊下を静かに新也は進んだ。

 まだ、追いつかれていないんだとしたら、あの女は今どこにいるんだ。

 玄関にたどり着き、裸足で三和土に下りる。

 そっと覗き穴を覗いた。

「っ」

 俯いた女がいた。

 真っ赤な、薄汚れたスカート姿に裸足。右手にはだらりと包丁を握っている。激しく歯ぎしりするように頭がガクガクと揺れていた。汗やホコリにまみれた長い髪が頬に張り付き、表情は見えない。

 ぎいぃと、特徴的な鳴き声が扉越しにも聞こえた。

「……」

 足音を忍ばせて、新也は後ずさった。音を立ててはいけない。新矢は部屋へと戻った。

 いつもの自分の起床時間まで待ってみようと思った。

 そこから夜明けまで。

 女は新也の家の前で立ち続けた。

 けれど日が昇り、彼女の足元に日が届く頃、新也が改めて覗き穴を覗いてみると彼女が足元から消えて行くところだった。

 それからもう、女は新也の夢には出てきてはいない。



【end】

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現代百物語 第30話 追いかけてくる女 河野章 @konoakira

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