現代百物語 第30話 追いかけてくる女
河野章
第1話 夢の中で
「ここに来るまでにですね」
「何だお前から話すなんて珍しい」
谷本新也(アラヤ)が話し出すと、友人兼高校時代の先輩でもある藤崎柊輔が驚いた顔をした。2人は藤崎の部屋でいつもどおり飲んでいた。
「僕だっておしゃべりくらいしますよ。……ここに来る途中、とても綺麗な人を見かけたんですよ」
「ほお」
「……その顔は信じていないでしょう。本当に綺麗だったんですよ、こんな人がこの世にいるのかっていくらい。……赤いワンピースに長い黒髪で。それが全然派手じゃないんです」
「ふうん……」
「ああいう美人と話が出来たらなぁと思いますよね……」
「……それはどうかな」
「え? 美人は嫌いですか、藤崎さん」
「そうじゃなくて」
藤崎が苦笑する。杯を掲げて、新也を指差す。そしてニヤリと笑った。
「お前は女運が絶望的に悪い」
「な……っ」
すごく失礼なことを言われたのは分かったが、過去を思い返してみれば返す言葉が新也にはなかった。
その夜、これは夢だと分かる夢を谷本新也(アラヤ)は見ていた。
新也は何の変哲もない住宅街をただ歩いていた。
靴を履いて、外出用の上着も着ている。
周囲はほんのり明るく暑くも寒くもなかった。
周りの風景は新也の知っている箇所を継ぎ接ぎしたものだった。
いつもの高架線下、一杯飲み屋の場所には駅前の花屋がある。いつも行くコンビニは家の近くの小さなスーパーに変わっている。不思議な感覚だった。よく知っているのに、知らない街。
新也は最初、当てもなく歩い続けていた。
夢だと分かっているのだ。どこに行ったって良いだろう。
しかし、気づけば自宅の方向へと向かっていた。道を曲がり坂を下って、こちらだろうという方角に足を何となく向ける。
そしていつか通ったトンネルをくぐり抜けようとした。それは今までののどかな景色と比べて唐突だった。
そこに、赤いワンピースを着た女が立っていた。
「え」
新也は思わず声を上げた。
最初は昼間見た女性を夢にみているのかと思ったが、その女は異様な姿だった。
女は全身細いかすり傷だらけで、薄汚れた赤いワンピースを身にまとっていた。
長い黒髪は汗で濡れて、額や首筋に張り付いている。足元は裸足で、傷ついているのか血や泥で真っ赤だった。
そしてだらりとさげた右手には刃の鋭い包丁。
「っ……」
やっぱり昼間の女性は異形のものだったのかと、新也は一歩後ずさった。
それを攻めるように女がトンネルを背景に、顔を上げて奇声を上げた。
きいぃ、ともぎいぃ、ともつかぬ高い声だった。
空へ向かい吠えると、女が猛烈な勢いで新也に向かって走ってきた。
「っ!」
新也は回れ右をして後ろも見ずに駆け出した。
女は凄いスピードで追いかけてくる。
砂利を踏む足音が聞こえる。
横目に振り返ると、包丁の鈍いきらめきがすぐそこまで追ってきていた。
「うわ!」
目が覚めた。
新也は飛び起きると思わず周囲を見渡した。何もいない。
しかし、心臓は全力疾走したように早い鼓動を打っている。冬だと言うのにじっとりとした嫌な汗もかいていた。
「よかった……」
新也はどさっと布団に身を投げだした。仰向けで、天井を仰ぎ見る。
深呼吸をした。
しかしそれでは終わらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます