第六章 第二十話「月夜の巡り合い」

「千景さん……。遅いなぁ……」


 千景さんがテントを出て行ってから十五分以上は経っていたと思う。

 なかなか戻らない千景さんを探して、私はキャンプ場をうろついていた。


 千景さんをマッサージできるからといって、少し調子に乗りすぎた……。

 恥ずかしがり屋と分かっていたのに、ついついアヤシイ言葉遣いで迫ってしまったので、恥ずかしすぎて飛び出してしまったんだろう。

 今頃、どこか木の陰に隠れて息を整えているのかもしれない。


 そう考えてキャンプ場の近くの木々の中を見回っていたけど、千景さんの姿はまったく見つけることができなかった。

 もしやと思って管理棟セントラルロッジの近くやトイレ、炊事場などを探してみるけど、それでも見つからない。

 かといって大きな声で探し回るとキャンプしてる人の迷惑になるし、そういう迷惑行為は減点だとルールブックにも書いてあった。

 就寝時刻である夜九時を過ぎてもテントの外をうろついてると減点になるし、登山大会はなかなかに厳しい。


 気になって腕時計を見ると、あと三十分ぐらいしか残っていないことが分かった。



「おや。ましろさんではありませんか」


 困りながらキャンプ場の周りをさまよっていると、五竜さんに声をかけられた。

 五竜さんは一人で立っていて、両脇に白いボトルを抱えている。


「あ、五竜さん。……それはなんですか?」

「ああ、このポリタンですか。明日の朝食用に、水を用意しておこうと思いまして」

「今から明日の準備! ……さすがですね」


 さすがは強いと言われている松江国引高校。こういうちょっとした工夫の積み重ねが、スムーズな行動を生んでいるのかもしれない。

 こういう手際の良さは真似しようと思った。


「ところで。もう就寝時間が近いのに、息を乱していますね。……何かお探しですか?」

「い……いえ。あの。……千景さんを、探してて……」


 ライバル相手に正直に言おうか悩んだけど、時間の余裕もないので、仕方ない。

 そのように手短に伝えると、五竜さんは「ああ」とつぶやきながらうなづいた。


「見かけましたよ。ぼんやりと夜空を見上げているように見えました」

「よかった~!」


 本当によかった。

 少なくとも事件や事故に巻き込まれている心配はなさそうだ。

 私はほっと安堵し、ついつい笑みがこぼれてしまう。


「千景さん、どこにいましたか?」

「ふむ。……教えてもいいですが、情報には価値がある。ましろさんの情報と交換ではいかがでしょうか?」


 その時、五竜さんの眼鏡に月の光が反射し、きらりと光った。

 情報をカードに交渉を持ち掛ける。……それはまるで、五竜さんと初めて出会ったショッピングモールでの出来事の再来だった。


「じょ……情報と交換、ですか?」

「ええ。就寝時刻を過ぎたのに用もなくテントを出ていると減点です。急いだほうがいいので、わたくしの取引に乗ってでも情報を得たほうが、賢明ですよ」


 そう言って、五竜さんはずいっと顔を接近させてきた。

 その威圧感は私の頭上をふたするようで、息苦しささえある。


「私の情報って言っても、わ、私はごく普通の女子高生ですよ……」

「ごく普通なんてとんでもない。お仲間全員の愛情を一身に引き寄せる様子は『女王』と呼ぶにふさわしい。……わたくしが知りたいのは、ましろさんがお仲間の皆さんを攻略した、その秘訣ひけつです」


「攻略って、ゲームみたいに言わないでくださいっ」

「これは申し訳ありません。ついつい、ね。……『心を射止めた秘訣』と言い換えさせてください」

「ひけつ……? そんなの……」


 女王だなんて言われるのは心外だ。

 そんな言い方、私を中心にまわる上下関係みたいでイヤだ。

 私が大好きなみんなは、それぞれが素敵な『個』であって、しもべなんかじゃない。

 もっと対等な関係でいたいのだ――。


 その時、ふと千景さんの事を考えた。


 そういえば、どうやって千景さんと友達になれたんだっけ?

 私はあの時、何をしたんだっけ?

 その問いが、伊吹アウトドアスポーツの倉庫の中の光景を呼び起こさせてくれる。


『そのウィッグ……。着けるの、やめませんか?』


 銀髪のウィッグという……素顔を隠す道具で、自ら苦しんでいた千景さん。

 その事実に気が付き、千景さんに元気になってもらいたい一心から投げかけた言葉。

 あれがきっかけで、状況が動き始めたんだ。


 ウィッグを大切にしている千景さんに言えば、嫌がられるかもしれない。

 だけど、嫌われてでも、千景さん本来の素敵さに気が付いてほしい。

 あの言葉は……そんな、嫌われる覚悟のもとで放った言葉だった。



 その時の想いを胸に、私は五竜さんと対面する。


「……心を射止める秘訣なんて、ありません」


 私は眼前に迫る五竜さんの目に食らいつくように、背筋を伸ばす。

 額と額がぶつかり、目と目の間に火花が散るような感覚が襲った。

 温度を感じない五竜さんの目が怖い。

 だけど、私とみんなとの間にある絆を『攻略』だなんて言葉で言われたくない。


「……ひとつだけ言えるのは、自分がどんなに嫌われてでも、相手を大切にする。それだけを想って行動したことです。……あとは、たまたまみんなが優しくて、私の変なところを受け入れてくれただけ……。秘訣なんて、ありませんっ」


「自分がどんなに嫌われてでも、相手を大切にする?」

「……はい」


 私は胸を張って、そう言った。

 言い切った。

 本当に私にはそれしかできない。

 ただ、愚直に相手を理解し、身を寄せることしかできない。


 しかし、五竜さんは不気味な笑い声をあげ始めた。


「ふふ。ふふふ。それはね、ましろさんのような可愛い女の子だから言えることですよ」


 そう言って私と密着した額を離すと、普段通りにゆらりと立つ。

 そのたたずまいは、どこか寂しげだった。


「か、可愛い? ……私が、ですか?」

「可愛いですよ。……ましろさんがフリーであれば、とっくに口説いているぐらいです」

「あ……ぅぅ……」


 全くの真顔で、五竜さんは断定する。

 自分の容姿を褒められることに慣れてないので、恥ずかしくなってしまう。


 でも、この「可愛い」は私を動揺させるテクニックなのだろう。

 必死に冷静さを取り戻し、五竜さんを見つめた。


 五竜さんの表情は、やはりどことなく寂しそうに見える。

 ……決して、月明かりに照らされているからだけではないと思う。


「わたくしが同じ行動をしても、相手が恐怖で逃げ出す姿しか思い浮かびませんね。……わたくしには縁のない攻略法だと分かっただけでも、収穫でした。ありがとうございます」


 そして五竜さんは背を向け、暗闇の奥に指をさす。


「伊吹千景さんの居場所ですが、ここから南側の炊事場の近くにアスレチックジムがあります。……そこに腰かけていらっしゃいましたよ」


 そして、五竜さんは「おやすみなさい」と言って、立ち去ろうとした。

 その後姿を見ると、なんだか切ない気持ちがこみあげてくる。


「まっ……待ってください!」


 次の瞬間、五竜さんを呼び止めている自分が、そこにいた。

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