第六章 第二十一話「星空の下の約束」
『わたくしが同じ行動をしても、相手が恐怖で逃げ出す姿しか思い浮かびませんね』
そう言って立ち去っていく五竜さんの背中は、いつもの彼女らしくない寂しさを感じさせた。
だからなのだろう。
急いでいるにも関わらず、気が付いた時には五竜さんを呼び止めていた。
「……なんでしょうか?」
彼女も急いでいるのだろう。首をひねり、視線だけをこちらに向ける。
そのたたずまいにビビってしまい、呼び止めた時の勢いが消えてしまった。
「ご、五竜さんが怖いのは本当ですがっ……。い……今の五竜さんには仲間がいるから、それで十分かなぁ……って、思うんです……けど」
「それは我が部のメンバーのこと……ですか?」
「は……はい。……それとも、今の仲間では不満……だったり、するのかなぁ……って」
私はなんとか言葉を絞り出した。
五竜さんに見つめられると、捕食者を前にした獲物のような気持ちになって、委縮してしまう。
しかし五竜さんからは威圧感なんてものはなかった。
私から視線を外すと、首を振りながらため息をつく。
「不満なんて、とんでもない。
そう言って、再び歩み始めようとした。
しかし私は疑問に思う。
話題に出たのは双子の姉妹の話だけ。
もう一人の事には触れていない。
五竜さんに視線を送っていた、もう一人の女の子の事に。
「……つくしさんは?」
「部長? なぜその名が出るのです?」
私がふっとその名を出すと、五竜さんは立ち止まり、今度は全身をこちらに向けた。
明らかに、さっきよりも注意を引いたと感じる。
だから、私はツッコんでたずねる。
「だって、二人はすごく親しそうだったから……」
五竜さんの動かなかった表情は、その問いによって明らかに
「とんでもない。部長がわたくしを好きなわけないでしょう。……彼女は体力バカの我々三人に不足する技能を持つので、編成しているだけです。彼女だって、好きでわたくしなんかに近寄りはしませんよ」
「でも、小休止のときに『あ~ん』って言いながらおやつを食べさせてくれてましたよ?」
「……よく見ていましたね。あれは……わたくしが怖いから、演じているだけですよ。愛とは言えません。そもそも、わたくしはそう簡単に他人に好かれるような人間ではない。……そのぐらいは分かっています」
「そんな……」
「もういいですか? 就寝時間もあと十五分後だ」
取りつく島がないとは、このことかもしれない。
五竜さんは私に反論の余地を与えないまま、「では」と言い、去ってしまった。
△ ▲ △ ▲ △
私は五竜さんからもらった情報を頼りに、炊事場の近くのアスレチックジムへと向かった。
月の光が出ているので、ヘッドライトで照らされていない場所も意外と明るい。
木々の間を駆けていく中で、さっきまでの五竜さんとのやり取りが引っかかっていた。
つくしさんは演じているだけだと、五竜さんは言った。
でも、それは絶対に違うと、私の直感がささやく。
つくしさんと話す限り、わざわざ演技するような人には思えなかった。
だから、五竜さんが一方的に思い込んでいる気がする。
それにしても……五竜さんのあの強さとは裏腹の、自己肯定感の低さは何なんだろう。
妙にアンバランスな危うさを感じた。
そうこうしているうちに、様々な形をしたアスレチックジムが暗闇の中に浮かび上がる。
その中の一つ。丸太を低い足場のように並べた遊具の上に、よく知っている愛らしい人影が腰かけていた。
五竜さんから聞いていた通り、空を見上げている。
「千景さん!」
「ま、ましろさん! どうして……慌てて?」
千景さんはまさか呼びに来られるとは思ってなかったようで、驚いている。
「時間ですよ! 就寝時間。あと十五分でテントに戻らなきゃ……」
「え……? あ!」
千景さんも慌ててヘッドライトの光を腕時計に向け、今の状況を把握したようだ。
「時間を……忘れてた……」
「私も、マッサージで気合いを入れすぎちゃいましたっ。すみません!」
「だ、大丈夫。ボクこそ……戻らなくて、ごめんなさい。あの……その。……気持ち、良すぎて」
そう言いながら、千景さんは恥ずかしそうにうつむいている。
肩をすぼめている様子を見ると、先輩であることを忘れてしまいそうになる。
「……私のマッサージ、変……でしたか?」
「へ……変じゃ、ない。ボクの心臓が、動きすぎただけ。……やっぱり、病気?」
「心音、聞いてみましょうか?」
「ダ、ダメ。ましろさん、エッチです」
千景さんは両手を胸にあててガードする。
それでも、ようやく私の顔を見てくれたので、うれしくなった。
「えへへ~。そう言えば、ここで何をしてたんですか?」
「夜空を……見てた」
千景さんはヘッドライトを消して、頭上をまっすぐに指さす。
私も千景さんにならってライトを消し、空を見上げる。
すると、その視線の先には満天の星空が広がっていた。
街の中で見る夜空とは全く違い、星の数は何十倍も、何百倍も多く見える。
その雄大な景色に、思わず見とれてしまった。
「……すごい」
どんな形容詞を並べる気も起きないぐらいに、ただただ圧倒的な星空。
「うん。これも山の良さ……だったんだな、と」
千景さんの言葉は、ちょっと変だった。
おそらく何度もキャンプしたことがあるはずなのに、初めて知ったような雰囲気だ。
「……どうしたんですか? ようやく気が付いたような感じがしますけど……」
「元々は……夜は好きじゃ、なかった。……暗くて、ボクみたいだし。……でも、ましろさんに『ウィッグを外そう』……と言われた日から、夜も悪くないな……って」
黒や夜というものは、千景さんにとっては自分自身の象徴のようなものだ。
千景さんは暗い自分を隠すために銀髪のウィッグを身に着け、『ヒカリさん』という別人に変身していた。
だから、「夜も悪くない」という言葉は、千景さんが自分自身を受け入れる言葉なのだ。
その言葉を聞けて、私は嬉しくなる。
そして、あの友達になった日の事を千景さんも思い出していたんだと分かって、絆のようなものを感じずにはいられなかった。
千景さんは魅入るように空を見上げている。
「夜空って……意外とキラキラしてて、素敵」
「そうですね~。それと同じぐらいに、千景さんも素敵ですよ」
「ち……ちがう。ボク、あんなに大きくないし、素敵じゃない」
「自信を持ってください! 千景さんの後ろを歩いてて、すっごく安心するんですよ!」
「そ……それは、よかった。……でも、もっとちゃんと……うまくしゃべりたい。恥ずかしいの、直したい」
千景さんはうつむき、小さくため息をついた。
「今日も……ほたかがバテた時、なにもできなかった」
ほたかさんがバテた時……。
それを聞いて、私はハッとした。
そう言えばあの時、千景さんは涙ぐみながらウィッグを取り出そうとしていた。
学校で変身する練習をしていたのは、大会本番でみんなの役に立つためだと言っていた。それなのに、イザというときに変身できなかったわけで、千景さんの悔しさは想像を絶するものなのかもしれない。
「千景さん……。無理しなくていいんですよ。それぞれ得意なことを分担すればいいんです」
「でも……ボクも、変わりたい」
千景さんは固く口を結び、真剣なまなざしを私に向ける。
その目を見て、いつの間にか千景さんを守る対象だと思っていたことに気が付き、恥ずかしくなった。
千景さんは恥ずかしがり屋なだけで、人の何倍もの努力をしている凄い人だ。
そんな千景さんに、私は何が言えるんだろう。
うまい言葉なんて思いつかない。
その時、ふいにさっきの五竜さんとのやり取りが思い出された。
『自分がどんなに嫌われてでも、相手を大切にする』
まあ、わざと嫌われる必要なんてないんだけど、大事なのは千景さんの想いを大切にすることだ。
変わるということは大変なエネルギーが必要だけど、千景さんは変わりたいと言っている。
私はできる限りの応援やお手伝いをしたいと思った。
「私、千景さんを応援します! どうしても声に出せないことがあったら、私やみんなに教えてください。千景さんの代わりに言うことはいくらでもできるので!」
「教える……?」
「ええ! 私なんて、勢いで変な行動をすることが多いので、なんだか最近は失敗しても平気になってきたんです。千景さんが言いにくかったり行動しにくいことでも、私を使ってくれれば、結構なんでもできるんじゃないかな~って!」
最近は色々あったから、行動力にだけは自信が出てきた。
私は両腕でガッツポーズをして、大げさに笑う。
「ましろさん……ありがとう」
千景さんは嬉しそうに微笑んでくれる。
今の私には、その微笑みで十分だった。
△ ▲ △ ▲ △
その後、ギリギリ消灯一分前に私たちはテントに戻ることができた。
二人きりで星空を見上げるロマンチックな体験も、時間が限られているのが恨めしい。
だから、眠っている二人を起こさないように、千景さんに耳うちする。
「別の合宿で、ゆっくりと星空を見る時間を作るって、どうでしょう? 大会だと、寝る時間がすごく早いので……」
その提案を耳にすると、千景さんの顔がパアッと明るくなった。
「うん。……すごく、いい」
「じゃあ、明日にでも二人に相談してみましょうか~」
千景さんもうなづいて微笑む。
まだ大会が終わってないけど、星を見る合宿が楽しみで仕方なくなった。
今日はいい夢が見れるかもしれない。
寝袋に入った後は千景さんと手をつなぎあい、目を閉じた。
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