第六章 第十九話「すごく、カチカチですね」

「ましろちゃん……。マッサージしてもらうなんて、やっぱり悪いよぉ」

「いえいえ! みんなの元気が私の元気ですから! 横になってなって!」


 明日は今日より大変になるというので、疲れを癒してもらうため、みんなの体をマッサージすることにした。

 夜になって冷えてきているので、テントの中で寝袋を敷き、ゆったりと寝そべってもらう。

 ランタンのオレンジ色の光が周囲を包み込み、気持ちも暖かくなってきた。


梓川あずさがわさんからどうぞ。寝不足で辛いはずっすから」

「うん。まずは、ほたかから」


 美嶺みれいと千景さんに勧められるまま、私はほたかさんの背中に手を当てる。


「じゃあ……ましろちゃん。お願いします……」

「ほたかさんは寝不足だから、たぶん首筋から肩、肩甲骨あたりがこってると思うんですよ~」


 そう言いながら、私は首の付け根に親指を押し付けた。


「んっ……んっ……」

「あ~。やっぱりカチカチですね。私もよく寝不足になるから、分かるんですよ。柔らか~く。柔らか~く……」


 ほたかさんの背中は寝不足に加えて、ザックの重みに耐えてたせいだろう。

 筋肉がとても張り詰めている。

 この緊張感を解きほぐさないと、眠りも浅いままになってしまう。

 こわばった筋肉を手の体温で温めながら、疲労物質を押し流すように揉みほぐしていった。


「う……ん……んふぅ……」


 だんだんと、ほたかさんの声が色っぽさを増してくる。

 いい感じ。これはいい感じだ。

 このままリラックスして欲しいので、私は強い刺激を与えないように、さざ波のようなイメージで指を動かしていく。

 すると、ほたかさんからはいつの間にか寝息が聞こえ始めた。


「あれ。梓川さん、寝ちゃったぞ」

「そうだね……。よっぽど疲れてたのかな……」


 ほたかさんはうつぶせになりながら、本当に安らかな顔で目を閉じている。

 マッサージをして、本当によかった。



 ほたかさんの次は美嶺だ。

 美嶺はとにかく重い荷物を背負って下山したので、太ももに疲労がたまっているに違いない。

 寝袋の上にうつぶせに寝てもらい、私は美嶺の足元に座る。


 目の前には長くきれいな両脚と、小ぶりで引き締まったお尻。

 それを見ただけでたまらなくなり、「えいっ」お尻と太ももの境目を両手でつかんだ。


 美嶺は「ひゃぅん……」と、らしからぬ声を上げる。


「ま、ましろ! 変なところに触るなよ~」

「ちゃんとしたマッサージだよ~。美嶺、太ももがパンパンになってるよ~」


 適当な説明をしながら、美嶺の体の上で指を滑らせていく。

 すると、本当に脚全体の筋肉が張り詰めていた。


「これは、けっこう頑張る必要がありそう……。ほたかさんが寝てるから、おっきな声を出しちゃダメだよぉ~」

「出さねえよ!」


 ほう。なかなか強気だ。

 これはやりがいがあるというもの。


「そうはいくかな~? うりゃっ」


 私は固くなった太ももの裏に指をめり込ませた。

 美嶺はたまらず「んあっ!」と大きな声を上げる。

 やっぱり私の指には我慢ができないようだ。私はだんだん興奮してきて、お尻、太もも、ふくらはぎを攻めたてる。


「ほらほらほらっ」

「あんっあんっあああーっ」


「美嶺さんもましろさんも、静かに」


 面白いように美嶺がよがるので、調子に乗りすぎた。

 千景さんは「しーっ」と口に指をあてている。


「スミマセン……」

「あぅぅ。ごめんなさい……」


「……しかし、ましろのマッサージってすごく気持ちいいな」

「そ、そう? 自分が疲れてる時を思い出して揉んでるだけなんだけど……」


 千景さんに注意されたので、今度はふざけずにマッサージする。

 リズミカルに指圧すると、美嶺も満足そうにうなづいている。


「やっぱり手先が器用だから、上手なんじゃないか? う~、そこそこ。気持ちいいー」

「手先が器用と言えば、千景さんも凄いですよね?」

「ボク?」

「以前、揉んでもらったとき。あれはすごくリラックスできたんですよ~」


 それは初めてのキャンプのとき。

 海の見えるベンチに座っているとき、千景さんが私の肩を揉んでくれたのだ。

 思い出すだけで、あのとろけるような快感がよみがえってきた。


「アタシの見てないところで、また……」

「まあまあ。千景さんは本当にすごいんだから!」


 ヤキモチを焼きかける美嶺をなだめながら、千景さんに手招きをした。


「千景さん! ちょっと美嶺を揉んでみてください」

「う……うん」


 千景さんは私と交代すると、美嶺の両脚の間にちょこんと座り、太ももに触れる。

 そのとたん、美嶺の口からは「ふあぁっ……」と切ないため息が漏れだした。


「なんだこれ。……え? なんか、溶ける……」

「でしょっ? 千景さんの指は『神の指』なんだよ!」


 私は興奮しながら美嶺の反応を待つ。

 しかし、美嶺はあっという間に恍惚こうこつとした表情になり、溶けるようにぐったりとしてしまった。


「あれ? ……美嶺?」

「……反応が、ない」


 美嶺もほたかさんと同様に、寝袋の上でノックダウンしてしまった。


「寝ちゃったんですかね? ……さすがは千景さん」


 美嶺の溶けるような寝顔を見ていると、カフェのプリンを食べたあとにふやけてしまったことを思い出す。

 あの魅惑のプリンといい、千景さんの指といい、伊吹いぶき家の女性は魔法を持っているのかもしれない。



 そして、ほたかさんと美嶺のマッサージが終わったということは、ただ一つのことを意味している。

 私は両手をニギニギと動かしながら、千景さんに迫った。


「ましろさん。……その指は?」

「もちろん、最後は千景さんですよ~。ふっふっふ」


 美嶺とほたかさんは眠っている。

 これは、私を止められる者は誰もいない……ということを意味していた。


「徹底的にやりますよ~」

「あの……。ボクは大丈夫。だいじょう……あんっ」


 すかさず千景さんの背後をとり、肩に指をあてる。

 そこには、こわばって固くなった筋肉があった。


「千景さんは肩が凝ってるんじゃないかなぁって思ってたんですよ~。案の定、カッチカチじゃないですかぁ~」

「それは……その……」

「いいんです。いいんです。重いのはよ~く分かります」


 千景さんの肩が凝っているのは胸が大きいせいだろう。

 私も少し大きめだから、その気持ちはよくわかる。

 私の胸がグレープフルーツ二つ分の重さだとすれば、千景さんぐらいの大きさになると、中くらいのメロン二つ分の重さにもなると聞いたことがある。

 こんなものがくっつきっぱなしだから、肩が凝らないわけがない。


 そして、気になることはもう一点あった。


「……千景さんって少し猫背っぽいので、それも肩こりの原因かもしれませんね」

「猫背……かな?」


「よく背中が丸まってますよ。胸が重いからかな? ……その姿勢って慢性的にアゴが上がるので、首と肩の負担が大きいんですよ~」

「ましろさん、詳しいです」


「……まあ、千景さんほどじゃないですけど、私も肩がこりやすいので……。だから、背筋を伸ばすために、ちょっと強めに引っ張りますねっ」


 私は千景さんの両肩をつかみ、後ろに反らせた。

 千景さんも「んっ……んんんっ……」とうなりながら、私に身を任せてくれる。


「そうそう。基本姿勢はアゴを引いて、胸を前に突き出すように。お尻は突き出さないように気を付けてくださいね」

「この姿勢……背中とお腹が、辛いです」


「それは筋力が弱まってるんですよ~」

「あ、あと……胸を前に出すの、恥ずかしい……」


 そう言って、千景さんの頬がほんのりと赤くなった。


 そうだったんだ。

 猫背だったのは胸の大きさを隠そうとしていたからのようだった。

 胸が大きいと、大きいなりの悩みがあるものだ。


「恥ずかしくないですよ~。千景さんは素敵です。文字通り、胸を張ってくださいよ~」


 私はそう言いながら、肩を揉み続ける。

 千景さんは目をつむり、気持ちよさそうに声を上げ始めた。


「んっ……んっ……んっ……」


 千景さんの声が可愛くてしかたない。


「ん……んふ……あっ……」


 声が……すごく色っぽい。

 頬の赤さがさっきよりも強くなってきた気がする。


「肩の力……抜いていいんですよ。……そんなに緊張しないで」

「でも……なんか、気分が変」


「いいから、私に身を任せてください」

「だ……だめ。ふっ……ん……ふぅぅ……」



 このままずっと揉み続けたいと思っていた時、急に千景さんが息を吐き出し、立ち上がった。


「ど、どうしたんですか?」


 その視線は宙を泳ぎ、頬は赤く染まっている。

 胸に手を当て、体をよじらせ、何かを我慢しているように感じた。


 千景さんは私を見ないまま、テントの入り口を開く。


「よ……夜風に……あたってきます」


 そう言い残し、夜の暗がりに姿を消してしまった。

 ちょっとやりすぎてしまったかもしれない……。

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