第六章「そして山百合は咲きこぼれる」

第六章 第一話「決戦の始まり」

 六月二日の木曜日。

 県大会の開催地である三瓶山さんべさんのふもとに、私たちはやってきていた。

 会場には昨日から入っており、山のふもとの宿泊施設で一夜を過ごした。

 今は開会式が行われる『三瓶さんべセントラルロッジ』の建物の前に、ザックを背負って向かっているところだ。

 朝八時の空はすでに青く澄み渡っており、今日は気持ちよく登れそうな気がする。



 建物の前の広場にやってくると、すでに選手や審査員の先生が集まっていた。

 およそ三十人ぐらいといったところだろうか。

 女子はまだ私たちだけで、肝心の五竜ごりゅうさんのチームはまだいなかった。


「一クラス分ぐらいの人数ですね~」

「うん。男子は四チーム、女子は二チームが……出場する」


 千景ちかげさんは静かにうなづく。

 登山大会は男子の部も同時に開催されるけど、審査は男女で別々だし、交流があるわけでもないらしい。

 とにかく五竜さんのチームだけを意識すればいいわけだ。

 私たちはなんとなく集団の脇のほうに集まって、ザックを下ろした。

 美嶺みれいは興味深くあたりを見回している。


「陸上とかバスケと比べて、本当に出場校が少ないんすね……」

「負ければ準優勝。勝てば優勝して……全国大会」

「いやいや……。準優勝って聞こえはいいけど、最下位っすよ。負けたくないっすねぇ」


 美嶺は勝負となると、がぜん張り切っているようだ。


 そう言えば、ほたか先輩がずっと静かなことに気が付いた。

 ふと先輩を見ると、表情が重く沈んでいる。


「あれ? ほたか先輩、調子は大丈夫ですか?」

「……。……えっ?」


 ほたか先輩はぼんやりしていたのか、私の声にもワンテンポ遅れている。


「……だ、大丈夫だよっ。こうして会場に来ると、……ちょっと緊張しちゃっただけっ」


 そう言って、ほたか先輩は力なく微笑んだ。


「あー。試合前ってピリピリするっすよね。メシもあんまり喉を通らなくなるし」

「美嶺はもうちょっと緊張しようよ~。朝もお弁当をおかわりしてたし……」


 昨日の夕ご飯と今日の朝ご飯は、あまちゃん先生が手配してくれたお弁当だった。

 余分に用意してくれたお弁当を美嶺が食べ始めたのには、本当にびっくりした。

 大会中に食べるお米は少し多めに持ってきているけど、美嶺なら全部食べてしまいそうだ。



 すると、千景さんがふいに私の前で体を小さく丸めた。

 まるで何かから隠れているようだ。


「……千景さん? 急に隠れてどうしたんですか?」

「……来た」


 恐れるような視線で、私の背後を気にしている。

 その様子を見て、私はすぐに状況を察した。


 五竜さんだ。


 とっさに振り返ると、そこには予想通りに黒髪ロングの長身の女性が立っていた。


「おやおや。わたくしを見るなり隠れるなんて、傷つくではありませんか……」


 そう言いながら、光る眼鏡のレンズの奥から千景さんを見つめている。

 黒い襟付きのシャツに黒い長ズボン。

 全身を黒く染めた長身のいでたちは、異様な迫力をたたえている。


「……いいですね。実にいい。八重垣やえがき高校はレベルが高い美少女ぞろいだ」


 言動が不審者以外のなにものでもない。

 その抑揚のない声は感情が読めない。

 ヘビのような切れ長の目は温度を感じさせないまま、私たちを見つめている。


 千景さんでなくても、その異様な迫力を前に逃げ出したくなった。


「あぅぅ……。五竜さん……」

「会えてうれしいですよ。……ましろ先生」

「せ、先生なんて呼ばないでください……。まだ絵を描くと決まったわけじゃないですし!」


 五竜さんとの勝負に負ければ、五竜さんの言いなりとなって百合作品を描き、ネットで発表する約束だ。

 私が勝ったら諦めてくれるだけで、私にはメリットがない。

 そんな条件の悪い勝負に乗らざるを得なくなった原因は、私が描いたイラストにあった。


 登山部のみんなをモデルに描いてしまった、ちょっとエッチな百合イラスト。

 その絵を見るだけで、私が三人に向ける恋心を一発で見抜かれてしまう。

 この絵のことを公表しないことを条件に、五竜さんは無理やり勝負を申し込んできたのだった。


「……私たち、とっても頑張ってきたんです。ま……負けませんっ!」


 私は精一杯に啖呵たんかを切った。

 それでも五竜さんは顔色一つ変えず、「ふむ」とうなづくばかり。


「……それもそうですね。あさっての今頃には、先生とお呼びしているのも決まっているわけですし。……今の内だけは、ましろさんとお呼びしましょう」

「ましろ先生なんて、永遠に呼ばせねぇよ」


 美嶺が指をポキポキと鳴らして、威嚇いかくするように五竜さんをにらんでいる。


「ましろはアタシが守る」

「美嶺ちゃんも五竜さんも落ち着いてっ」


 ほたか先輩がおろおろしながらなだめているけど、背の高い二人は私の頭の上でにらみ合っているままだ。


(うう……。美嶺が頼もしくてかっこいい……)


 でも、大会会場でストリートファイトを始めてしまうわけにもいかない。

 私は二人の間に割って入ろうとした。



 その時――。

 弱々しい女の子の声が遠くから響いてきた。


天音あまねさん……! 他校の生徒に手を出しては……ダメですよ……」


 天音とは、五竜さんの下の名前だ。

 声のほうを向くと、五竜さんと同じ黒いユニフォームを身にまとった女子が三人やってくる。

 声を上げているのは、その先頭を歩いている小さな女の子のようだった。


 千景さんと同じぐらいに背が低く、登山用のメインザックがひときわ大きく感じられる。

 きっと、この女性が松江まつえ国引くにびき高校の部長・恵那山えなやまつくしさんだろう。

 少しだけ色素の薄い黒髪を耳元で三つ編みにしている。

 つぶらな瞳を見開きながら、よたよたと走り寄ってきた。


「はぁ……はぁ……。天音さん……。何があったの?」


 すでに息を切らしているつくしさんは、五竜さんを見上げながら問い詰めている。

 あまりにも身長差があるので、遠目にみれば大人と幼児にも見える。


「……気にしないでください。部長は何もしなくていいので」

「は……はい」


 表情一つ変えない五竜さんと、部長のはずなのに腰の低いつくしさん。

 他校のことだけど、この二人の関係性が妙に気になった。



 美嶺が落ち着きを取り戻したのも分かり、ほたか先輩が前に出る。


「あ……、ほたかさん。お久しぶりですっ!」

「つくしさん、お久しぶりっ! 今回も楽しく登ろうねっ」

「はい、楽しく登りましょうねっ」


 二人はお互いに下の名前で呼び合う仲のようで、嬉しそうに握手しあっている。

 そして先輩は五竜さんにも、握手を求めるように手を差し伸べた。


「五竜さんも、一緒に楽しく登ろうねっ!」


 しかし、五竜さんは先輩の手を握らない。

 それどころか、まったくの無感情で見下ろしていた。


「楽しく登る? 勝利以外に楽しいものは、百合だけですよ」

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