第五章 第十九話「試練の始まり」
大会の準備ができるのも今日が最後。
ザックの
私はペグのチェックをしようと、袋からハンマーとペグを取り出す。
本数の不足はないか、変に曲がっているペグはないか……道具の確認は大切な仕事だ。
「あ……ペグが土だらけ……」
アルミ製のペグには大量の土が付着している。
これは先日の嵐の日、テントを張っていた校庭の土だろう。
土を落とそうと、私は部室の外に出た。
部室棟の前の広場には、ほたか先輩が植えたヒマワリ植木鉢が置いてある。
部室の窓から眺められなくなったので先輩は残念がってたけど、落下の心配がないので、ここに移したのは正解だと思った。
十日前は小さな芽しかなかったヒマワリも、今では四つとも順調に成長してきている。
大会で不在になっている間の水やりは小桃ちゃんにお願いしたので、大会が終わったらたくさんお礼をしよう。
(それにしても、いよいよ大会かぁ……)
ぼんやりと思いにふけりながら、ペグを叩いてこびりついた土を落とす。
この一カ月は色々とあった。
入部するだけでもドタバタし、靴選びで思わぬハプニングがあり、キャンプで
(あぅぅ……。胸がヤバイ……)
みんなのことを思い出すだけで心臓が高鳴ってしまう。
顔面が熱い。
まさか自分の内面がここまで揺れ動くなんて、思ってもみなかった。
「あらあら。
ふいに背後から話しかけられ、本当に心臓が口から飛び出るかと思った。
とっさに振り向くと、そこにはあまちゃん先生が立っている。
「ど……どうしたの?」
「部室にいらっしゃ~い。校長がいらっしゃってるわよぉ」
「……校長先生が?」
校長先生が部室に来るなんて初めてだ。
審査を厳しくするように言っていたことと関係するのだろうか?
私は胸騒ぎがして、部室へと走った。
△ ▲ △ ▲ △
(デ……デカいっ!)
部室に入って一番最初に目に飛び込んできたのは、巨大な背中だった。
高身長の美嶺をゆうに超える巨体。
縦も横も大きい上に、決して太っているわけではない。
まるでアメコミヒーローのような逆三角形の上半身に、スーツ越しでも分かる 四肢の筋肉の隆起。そして盛り上がった広背筋の圧力がすさまじい。
スカートをはいているので、かろうじて女性だと分かる。
怖いので遠巻きにみんなの元に向かうと、怖そうな目が見えた。
(校長先生って……
ヘビのように鋭いまなざしは、確かに五竜一族の目だった。
「ふむ。これで全員だね?」
校長先生は遥か上から見下ろすように、私たちを見回す。
「四人かい……。今年もギリギリというわけだ」
「あ……あの。五竜校長……。今日はどうしていらっしゃったんでしょうか?」
ほたか先輩が縮こまりながら話している。
千景さんはすでにおびえ切って、寝袋にくるまって震えていた。
「この部は何年も実績が伴わず、部員も減り続けている。山を愛したアタシが作った登山部なのに……なんとも嘆かわしいことだよ」
校長先生は腕を組むなり、大きなため息をついた。
「
言いかけて、校長先生は私たちをにらみつける。
この瞬間に、私は理解した。
これが、ほたか先輩が浮かない顔をしていた原因だ。
(もしかして、廃部? そんな……。せっかくみんなと仲良くなったのに!)
私は恐怖で胸が張り裂けそうになる。
そして、校長先生はゆっくりと口を開いた。
「……素晴らしい成果が出せなければ、アタシ直々に鍛えさせてもらう。……クマと戦えるほどの筋肉を身に着けるんだ」
クマ?
筋肉?
あまりにも予想外の単語が飛び出て、あっけにとられる。
「あぅぅ? ……ムキムキマッチョになるってことですか?」
「おや。初耳という感じだねぇ。……ああ、そうだ。筋肉はすべてを解決するからね」
私が……筋肉モリモリの女の子に?
確かに適度なシェイプアップができればうれしいけど、『素晴らしい成果』が出せなければ、校長先生のような鋼のボディを手に入れることになるらしい。
私が反応に困っていると、ほたか先輩が悲痛な叫び声をあげた。
「校長! それは待ってくださいっ! 絶対に結果を残すので、みんなをムキムキにはしないでぇ……」
「梓川……。その言葉は本当だな?」
「……次の大会で結果を出しますので、みんなの体は可愛いままでお願いします!」
「天城君にも厳しく審査するように言ってある。……甘めの審査は期待しないことだ」
「もちろんです!」
必死に食い下がる先輩の言葉に納得してくれたのか、校長先生の口元にはようやく笑みがこぼれた。
「……ふむ。その意気や良し! 素晴らしい成果を期待している!」
そして、身をひるがえして去っていく。
その立ち去る姿は王者の貫禄を感じさせた。
△ ▲ △ ▲ △
「みんな……今まで黙っててごめんねっ!」
ほたか先輩は深々と頭を下げた。
校長先生からは結構前から告げられていたけど、みんなに言えずにいたらしい。
「ほたか先輩、気にしないでください~! 私なんて『負けたら廃部だ』って言われるかと思ったので、全然たいしたことないですよぉ」
「うん。……『部費の大幅削減』って言われなくて、良かった」
千景さんも、校長先生がいなくなったので、ようやく寝袋から這い出てきた。
そして、ほっと胸をなでおろしている。
それにしても、さすがはうちの学校のボス。
結果が出せないなら筋肉で解決だ、とは……文字通りの力技だ。
「そういえばムキムキになるのって、ほたか先輩としては望むところじゃないんですか?」
「お姉さんはもちろんいいけど……。でも、千景ちゃんとましろちゃんがムキムキになるのは絶対に見たくないのぉ!」
「そ……そうだったんですか? てっきり先輩は、私をムキムキにしようとしてるのかと……」
「違うよぉ! ましろちゃんは、そのふわふわな所が魅力なのっ!」
そんなに強く宣言されると、恥ずかしくなってしまう……。
すると、美嶺が自分を指さしている。
「あの……アタシはムキムキでいいんすか?」
「……うん。美嶺ちゃんはお姉さんといっしょで、筋肉の道を行くつもりなんだよね?」
「あぅぅ~! ほたか先輩も、これ以上ムキムキにならないでくださいよ~」
何度も強調するけど、ほたか先輩は今ぐらいの肉体美が最高にきれいなので、鍛えすぎないでいただきたい!
「ましろ……。アタシはいいのかよ?」
「うん。美嶺はたくましい腹筋がすごく素敵だから、止めないよ!」
「うぐぐ……。なんかアタシだけ仲間外れみたいじゃんかよー」
美嶺は唇を尖らせてふてくされる。
私たちは楽しく笑いあった。
「ほたか。大会前だから、部長として……何か抱負でも」
「えっ……。えっと……。急にふられると、困っちゃうなっ」
千景さんに話を振られ、ほたか先輩は慌て始める。
そしてしばらく考え込んだ後、微笑んで言った。
「みんな、怪我せずお山を楽しもうねっ!」
それはほたか先輩らしい、とても穏やかな抱負だった。
「……勝利って言わなくていいんすか?」
「あ、そっか。負けるとましろちゃんと千景ちゃんがムキムキになっちゃうもんね……」
ほたか先輩はあらためて声を張り上げた。
「じゃ、じゃあ。勝利を目指してがんばろ~っ」
大会直前の掛け声だというのに、とてものんびりした声だ。
でも、むやみに競うのが苦手な私にとっては、このぐらいが心地いい。
「はいっ。がんばりましょ~」
私も応えるように手を振り上げる。
登山部の部室に咲き乱れる百合の花園。
この素敵なみんなをムキムキマッチョにしないためにも、頑張ろうと心に誓う。
さあ、いよいよ県大会の開始です!
第五章「百合の花を胸に秘め」 完
==========
【後書き】
県大会に向ける準備を描く第五章が完結しました!
もし「面白い!」、「続きが気になる!」と思っていただけましたら、作品のフォローと評価をぜひよろしくお願いいたします!
本作を書き進めるモチベーションとなります!
いよいよ、県大会となる第六章へと続きます。
次話からの新展開にご期待ください!
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