第五章「百合の花を胸に秘め」

第五章 第一話「ましろの新たなヒミツ」

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 密室は私の吐息だけで満たされていた。

 いつものようにカーテンを閉め切ったまま、私は手を動かし続ける。


「うへへ……そのふくらはぎ、最高ですよ……」


 ついつい言葉が漏れ出てしまった。

 滑らかに膨らむラインは最高にそそられる。そしてオーバーニーソックスに締め付けられる太ももの食い込みも忘れてはいけない。短いスカートときれいなおへそも大切だ。


「千景さんのお胸はもっと大きかったかな……。ほたか先輩と美嶺みれいは……うん。いい感じ」


 モデルの特徴は正確にトレースしなければ意味がない。

 弥山みせんの頂上で撮った写真を片手に、バランスが整っているのかを入念にチェックした。


「ふへへ……最高のできばえ……」


 ついに私の煩悩全開のイラストの線画が完成した。

 色塗りはパソコンに取り込んでから始めるとして、現段階ではとても満足できる。

 衣装はふりふりフリルが可愛いアイドル風にデザインしてみた。私を含めた四人がイチャつく絵で、全員が頬を赤らめているのもポイントだ。

 でも、やっぱり現実のみんなと比べれば、まだまだ魅力が表現しきれていないと思う。

 写真を見るだけで、胸がむずむずして頬が熱くなってしまった。



「……なにやってんだ、私?」

 急に自分が客観的に見えてきた。


 今日は休日の午前。

 朝からずっと自宅の自分の部屋に一人でこもって、一枚の絵を描き続けていた。

 恥ずかしいイラストを描いていたせいか、冷静になると背後が気になってくる。

 家族の誰かがのぞいていないか気になってあたりを見回した。


 部屋の壁二面を覆う大きな本棚には無数のマンガがひしめき合っているが、見える場所に置いてあるのは無難な書籍関連と映像関連だけ。

 見られると恥ずかしいオタク関連のグッズはすべてベッドの下の棚に隠してある。

 そして家族が忍び込んだ様子もなく、胸をなでおろした。


 急に冷静になったのは、きっと手元の写真に写っているみんながカメラ方向……つまり私を見ているせいだ。

 私は頭を抱えながら床に倒れ込み、恥ずかしさのあまりに転がりまわる。


 今の今まで恋心を知らなかった私が、まさか同性の女の子に恋するなんて思わなかった。

 しかも三人同時に!

 自分がここまで惚れっぽいなんて、知りたくなかった。

 ほたか先輩の言葉で気付かされてしまったのだ。


「……だいたい、私がど真ん中ってどういうこと? 左右と背中から抱きしめられてるなんて、うぬぼれすぎか? 私のバカバカ、お馬鹿!」


 すると、ドンドンと扉をたたく音が響き、お母さんがふいに顔をのぞかせた。


「ましろー。なにを一人で大騒ぎしてるの!」

「あぅぅ。お母さん! 部屋に近づかないでって言ったじゃん!」

つるぎさんの家に行く時間が過ぎてるでしょ? 今日、遊びに行くんじゃなかったの?」


 ふと壁にかけている時計を見ると、午前十時を指している。

 今日は美嶺の家に遊びに行く約束をしていたけれど、到着の予定がまさに十時だった。


「うわ! もうこんな時間! 急がなきゃ……」


 私はすぐに着替えて、お気に入りのトートバッグを手に持つ。

 部屋を出ようとした時、机の中にしまい込んだ妄想ノートのことを思い出した。


「……そうだ。妄想ノートも見せてって言われてたんだ」


 美嶺は入部した日にノートをチラッと見ただけだったので、じっくり見たいと言っていた。

 性癖を赤裸々に描いているので全く恥ずかしくないと言えば嘘になるけど、美嶺になら見られてもいいかなと思えてくる。

 少し遅れるとメールで連絡したあと、妄想ノートをトートバッグに詰め込み、家を出発した。



 私はこの時、気が付くべきだった。

 描いたばかりの百合イラストを、いつもの癖で妄想ノートに挟んでいたことを。

 三人に恋しちゃってるなんて絶対に悟られるわけにいかないのに、証拠品を運んでいる自覚がないままに、全力で自転車のペダルを踏み続けた。



 △ ▲ △ ▲ △



 先日の春の嵐メイストームが嘘のように、空は晴れ渡っている。

 私は自転車を駆って、学校の校門前を通り過ぎた。

 そのまま神戸川かんどがわに沿って出雲市の南側に隆起する小山の間を通り抜け、山を大きく迂回しながら緩やかな傾斜を登っていく。


 美嶺の家までは遠い。

 最初に美嶺の家に行ったときは学校の裏山を越えるルートだったので、実を言うと美嶺の家へ自転車で行くのは初めてだ。道のりについては美嶺からあらかじめ説明を受けていたけど、慣れない道を不安に思いながら走らせる。

 教えてもらっていた看板を左に曲がり、急な坂道を自転車を押しながら歩いていくと、ようやく林に囲まれた可愛いログハウスが見えてきた。

 ここが美嶺の家だ。

 山好きのご両親が建てた、こだわりの家。

 初めて来たときは暗かったので、木漏れ日の中のログハウスはとても新鮮に見えた。


「おお~。ようこそ!」


 美嶺が玄関先で出迎えてくれる。

 私服の美嶺は意外にもカッコよかった。

 てっきりオタTシャツで全身をコーディネートしていると思い込んでいたけど、タイトなパンツスタイルで爽やかな青いシャツを着こなしている。

 でもシャツの柄だと思っていたものはよくよく見るとシャツ越しに透けて見えるキャラTシャツであり、やはり期待を裏切らない美嶺であった。


「ちょっと息を整えさせて……。坂道がキツかったよぉ……」

「ごめんな~。こんな山の中で」

「大丈夫……。それより、見せたいものって何?」

「まあ、アタシの部屋まで来いよ」


 美嶺は歯を見せてニッと笑った。




「あうぅぅ……。ちょっとこれは……凄すぎる」


 オタク要素をなるべく隠そうとしている私の部屋と違い、美嶺の部屋は濃密なオタクグッズの殿堂と化していた。

 あらゆる壁や天井にはポスターが飾られ、壁の端と端をつなぐワイヤーからは缶バッジやキーホルダー、ラバーストラップがぶら下がっている。

 棚にはマンガやライトノベルやブルーレイディスクのみならず、フィギュアやアクリルスタンド、キャラのぬいぐるみまでが飾られていた。

 そして何よりも目を引いたのは、美嶺が推しているキャラの等身大ポップ。

 収集対象の作品は多様で、かつディープだった。


 私があっけに取られて部屋を眺め見ていると、美嶺は押し入れの中からひとつの大きな段ボールを取り出した。

 私はその箱の外装を見るだけで興奮してしまう。


「そ……それは噂のアニメくじのコンプリートセット!」

「ああ。ついに届いたんだ」


 アニメくじは文字通り、くじを買って当たったアイテムしかもらえない。

 くじ運が悪い私は当たりが引けるわけがないので、期待を打ち砕かれるのが嫌でラインナップに目を通してもいなかった。

 しかし美嶺は力ずくですべてをゲットしたわけだ。

 ……自転車を買うためのアルバイトで得たお給料を全額つぎ込んで。


「どうだ?」


 美嶺は自慢げに私の顔を見つめる。

 そうか……。

 美嶺はこれを見せたかったんだ。

 私はいま、とても高価な絵を描く道具『液晶ペンタブレット』を買うために貯金しているので、いくらグッズが欲しくても買うことが出来ない。

 だからこそ、目の前のコンプリートセットはうらやましい。


「いいだろ?」

「……いい。最高にうらやましい……」


 私は思わずつばを飲み込んだ。

 すると、美嶺は箱の中から一つの箱を取り出し、私の手に握らせた。


「F賞のこれ。やるよ」


 ふと手元を見ると、そこには私が推しているキャラのグッズがあった。


「ま……まさかのアクリルスタンド? しかも新規絵が……ついに!」


 私の推しキャラはライバルキャラの上司という設定なので、グッズ化の本流を絶妙に外れている。グッズが出ることはあきらめていたので、これは予想外の喜びだった。


「……ほ、本当にいいの?」

「いいんだよ。ましろが喜ぶんなら、それが一番なんだ」

「ああぁぁあぁぁあ……ありがとう! ありがとう!」


 私は感動とうれしさのあまりに、美嶺に抱き着いた。

 美嶺は顔を赤らめつつも、抵抗しない。

 だから、思う存分に感謝を伝え続けた。


 しばらくすると、美嶺がモジモジしながら私に視線を向け、つぶやく。


「あの……それでな。……イ、イラスト……見せてくれる……か?」


 そう言えば妄想ノートを見せてほしいと頼まれていたんだ。

 別に特別な理由なんてなくても美嶺には見せるのに、こうしてグッズを交換してくれるなんて、美嶺の律義さが感じられる。


「もちろんだよ!」


 私はプレゼントのお礼を言いながら鞄にしまうと、妄想ノートを軽く確認しようと思って鞄の中でバインダーを少し広げた。

 ……広げたのだが、私の手は硬直してしまった。


「あぅ……」

「どうした? 忘れたのか?」


 美嶺が鞄の中をのぞき込もうとするが、慌てて遠ざける。

 そして、改めてバインダーの中に視線を送る。

 そこにはさっき描いたばかりの百合イラストが挟まれていた。

 明らかに登山部のみんなをモデルにしたと分かるイラストで、結構エッチで、私がみんなの中心で想いを寄せられているという内容。

 こんなものを美嶺に見られるわけにいかない。


「な……なんでもない。忘れて……ないよ」


 口ごもりながら美嶺の顔を見る。

 言葉に出さないけれど「まだか、まだか」と聞こえてくるように目で訴えかけてくる。

 どうする?

 どうしよう?



 ここから始まるのは、私の試練の物語。

 オタクの神様はどこまで非情なのでしょうか――。

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