第五章 第二話「ましろのおもてなし」

「ま……まだか?」


 私の妄想ノートを見たくてワクワクしている美嶺みれいを前にして、私は硬直していた。

 このノートの中には、美嶺に見られるとマズい『登山部のみんなをモデルにした百合イラスト』が入っている。

 特に美嶺はヤキモチ焼きなので、この絵を見ただけで三股しているように勘違いしかねない。


 どうする?

 とてもじゃないけど見せられない。

 その時、私はバインダーの構造を思い出した。

 この妄想ノートはルーズリーフのバインダー。ページを自由に追加できるし、取り外せる。

 危険な百合イラストだけ外してしまえば済む問題だった。

 私は安心して、バインダーの金具を指で押し込んだ。


 パチンという音が響いた時、美嶺がすかさず反応する。


「どうした? なんか外した?」

「き、聞こえた?」

「ああ。パチンって、バインダーの留め具を開いた音だろ? バラバラにしないで、一気に見せてくれよ……」


 美嶺がもどかしそうに見つめてくる。

 その視線を受け止めるだけでドキドキしてしまい、私の頬が熱くなってしまう。

 そして私の動作の一部始終を見つめられているせいで、変なことが出来なくなってしまった。この外したイラストだけ見せないなんて、むしろ怪しまれてしまう。


「い、一回は見たんでしょ? そんなに見たいの?」

「なあ、ましろ……。じらさないでくれよ。そこにあるんだろ?」


 美嶺がすり寄ってくる。

 もうあと十センチも近寄るだけで、鞄の中が見られてしまう。


 その時、私の中で一つのヒラメキがあった。

 美嶺の「バラバラ」という言葉から導き出されたアイデア。

 見せる順番で盛り上げながらバラバラに見せれば、全部で何枚あるかあいまいにできるかもしれない。


「まったく……せっかちさんだなぁ、美嶺は……」


 私は美嶺の肩に手を置き、そのまま指先を首筋から頬へと伝わらせる。

 そして妖艶ようえんな声色で語りかけた。


「ど、どうしたんだ? 急にあやしげな目つきになって……」

「ごちそうを早食いしたら満腹にはなるけど、それだとあまりにもったいないよ?」

「どういうことだよ……」

「美嶺はフルコースの料理を食べたこと、ある? 前菜から始まって、スープ、メイン、デザート……とつづく美食のおもてなし。美嶺からあんな素敵なプレゼントを贈られたのなら、私もその想いに応えるのが道理。美嶺が最大限に楽しめるように、おもてなしをしたくなったんだよ……」

「ましろの……最大限のおもてなし」


 美嶺のつばを飲み込む音が聞こえた。

 完全に適当なことを言ってみたけど、美嶺の心に響いてくれたようだ。

 私は妄想ノートのページをバインダーからすべて外し、即座にメニューを組み立てていく。

 美嶺の好物は把握しているので、その好物が最大の効果を発揮できるように気持ちの盛り上がりを導けばいいのだ。


「まずは前菜、サラダ、スープ! つまり……作品序盤で描かれた二人の上下関係、すれ違い、しかしピンチでの協力関係だよ!」


 関係するイラストをピックアップし、順番に見せていく。

 美嶺は緊張で手をふるわせながらもイラストに見入り始めた。


「おお……。まるで二人の関係性を追体験している気になるな」

「そしてパンで口の中を整えてからのメインディッシュはこれだぁ!」


 私は美嶺の大好物のシチュエーションを颯爽と取り出す。

 これで満足してくれるはずなので、あとは何事もなく妄想ノートの話を切りあげればいい。

 美嶺は予想通りにイラストに食いついた。


「ぐっ……。何気ない肩を組む一コマからの、まさかの決め台詞の絵で盛り上げるとは……」


 彼女の頬が赤らんでくる。

 それは満足してくれている印に他ならない。


「この絵はやっぱりすごいな……。原作の決め台詞の構図と同じなのに、大胆な肌の露出っ! そしてそのシチュエーションを無理なく説明している状況設定。……さすがましろだよ。これが見たかったんだ!」

「で、でしょ?」


 思った以上の良い反応に嬉しくなりながら、私は妄想ノートを片付けようとする。

 しかしその手を美嶺が握りしめた。


「本当にサンキューな。……フルコースと言えば、この絵は魚料理に相当するはず。この流れから口直しのソルベをはさんで肉のメインディッシュだったよな……。まさかこれを超える物を見せてくれるなんて、さすがましろだよ」


 フルコースのメインディッシュで実は魚と肉が別々にあったなんて、美嶺の話を聞くまで知らなかった。

 もうネタ切れだと言おうとしたけど、美嶺は期待の目で私を見ている。

 なんとなく「終わり」なんて言えない空気を感じた。


「あぅ……。なんでそんなにフルコースに詳しいの?」

「マンガの知識だよ。……伊達にいろんな作品を読んでないからさ」

「そ……そう。美嶺の言う通り、本番はこれからだよ~」


 私は笑って見せたけど、内心は冷や汗ダラダラだった。

 これ以上に期待されても、最大火力を出せる絵は出しちゃったわけで、もう何もない。


「じゃ……じゃあソルベ」


 そう言って、ひとまず無難なイラストで場をしのいでみた。

 ソルベって、確かシャーベットのアイスとかそういう奴だった気がする。

 そこまでパンチの強くない絵でもいいはずだ。


「ほぉ……。最新話での見つめ合う二人の場面か。これもいいよな!」


 口ではそう言ってくれてるけど、美嶺の目は次に来るメインディッシュのことしか考えていないように見える。

 完全に手持ちの弾が尽き、絶体絶命になっていた。


 ……こうなったら新規絵! ライブドローイングだ!


 追い詰められた時、私の本能が覚醒するのを感じた。

 手持ちの弾がないなら、今から描けばいいのだ!


 私は真っ白の紙を取り出し、鉛筆を走らせ始めた。

 まさかのパフォーマンスに、美嶺は目を見開いて驚いているようだ。

 こういう即興そっきょうのイラストこそ、いつもの妄想力を発揮するチャンス。

 私は美嶺とのいろんな思い出を胸に、ひたすらペンを走らせ続ける。


「このコマはこんな感じで、次はこう!」

「……まさか、四コマ漫画で? しかも……え? お、押し倒して!」

「あぅぅぅうぅぅうっ!」

「す、すごい……。こんな即興で、しかも原作にはないシーンを描き出すなんて。……でも、確かにこのセリフは言いそう! いや、原作に描かれていないだけで、絶対に言ってる!」

「ふんっ……ふんっ……。できた!」


 鼻息荒く描きあげてガッツポーズを決める。

 そして横を振り向くと、美嶺が悶絶しながら床で悶えていた。


「ダメ……。まって。それは無理! 神々しくて目が潰れる!」


 美嶺は悲鳴を上げているが、顔は真っ赤でとても嬉しそうにしている。

 とても満足してくれたことがよくわかった。

 こうなればフルコースの最後まで行くしかない。

 私は当初の目的が何だったのかよくわからなくなったまま、新しい白い紙を出す。

 そして渾身の妄想を吐き出した。


「食らえぇぇ、フルーツとデザート、そして食後のコーヒーだあぁぁあっ!」

「ま……まって。柔らかな抱擁ほうようからの……幸せなキス。そして背中合わせの任務という日常へ戻る……。完璧すぎる」


 その言葉を最後に、美嶺は恍惚こうこつの表情のまま気を失ってしまった。



 △ ▲ △ ▲ △



「ど……どう? 私の全力のおもてなし」


 すべての力を出し切って、私は肩で息をしている。

 一〇分ぐらい倒れていた美嶺はようやく起き上がり、とても満足そうに微笑んだ。


「ありがとう。……最高だったよ。でも……」

「で……でも?」

「デザートとして描かれた最後の三枚、なんかライバルの顔がちょっと女っぽくなってないか? いや、確かに元々中性的な顔立ちのキャラだけどさ、ちょっと顔立ちが違う感じがする……」

「え……そうかな?」


 私はこれでも原作に忠実に描くことを信条にしているので、資料は穴が開くほど見てきた。

 美嶺の意外な反応が信じられず、自分が描いたばかりの絵をまじまじと見る。


 確かに違う。

 そして同時に気が付いてしまった。

 ……キャラを美嶺っぽく描いてしまっていたのだ。

 美嶺が少年的な顔立ちをしているので一見すると分からないが、よくよく見ると胸にも少しふくらみをつけてしまっている。

 きっと美嶺のことを考えすぎていたせいで、頭の中が美嶺でいっぱいになっていたのだ。

 自分の性癖が徐々に百合に変化していることが怖くなった。


「ほ、ほら! 資料を見ずに描いちゃったから、ちょっとずれちゃったかもっ。すぐ直すよっ!」


 そう言って、美嶺の返答を待たずに問答無用で描き直した。


「ご、ごめんな。なんか余計なことを言っちゃって」

「いいんだよ~! そう言う指摘はありがたいんだから、もっと言ってね」


 私はイラストをそそくさと片付けて、作り笑いでごまかす。

 最後はちょっと自滅しかけたけど、百合イラストのことを無事にごまかすことができて安心した。

 すると、私のお腹から空腹の鳴き声が響き渡る。


「えへ……えへへ……。お腹が減っちゃったみたい」


 時計を見ると、いつの間にか午後一時を過ぎていた。


「本当だ。ましろのパフォーマンスに魅入ってたら、もうこんな時間か! どうせだから外に食べに行かないか?」

「ん? いいよ。近くにお店があるの?」

「ほら、バイパス沿いのショッピングモール。あそこはフードコートもオタショップもあるから、どうかな?」


 バイパス沿いというと、市の中心部よりもずっと北のほうだ。

 私の家からなら近いけど、美嶺の家からだと自転車で三十分はかかる。

 徒歩だと二時間近くはかかるんじゃないだろうか。


「歩きだと遠すぎるんじゃないかな……。美嶺は自転車がないでしょ?」


 しかし美嶺は動じてない。

 不敵に笑うと言った。


「ましろの自転車で二人乗りって、どうだ?」

「ふ……二人乗り?」


 さすがはワイルドな美嶺の言うことは違う。

 私はただ、首を縦に振るしかなかった。

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