第四章 第十五話「幼馴染のお姉さん」

 ほたか先輩との勉強会から数日後。

 先輩のためもあって山の勉強に本気になっていた私は、下校後も勉強をしようと思って図書館に向かっていた。

 山をキャラだと思えば、意外と面白いように知識が頭に入ってくる。

 先輩が貸してくれた本が私好みの解説本だったせいもあり、続きが気になって図書館で探そうと思っていたのだ。



 しかし結論から言うと、この日は図書館に行くことができなかった。

 図書館がすぐ目の前だというその時、バスから慌てるように降りた女の人がたくさんの荷物を歩道にばらまいてしまったからだ。


「あの、大丈夫ですか?」


 目の前のアクシデントを見て見ぬふりなんてできず、私は慌てて駆け寄る。

 女の人は大学生ぐらいだろうか。

 私よりも年上の雰囲気で、パンツスタイルの長い脚がかっこいい。

 赤みがかったポニーテールの髪を揺らしながら、地面に散らばった荷物を拾い集めていた。


「拾うの、手伝います!」


 そう言って最初に拾ったのはオタバッグだった。

 オタバッグとは、自分の好きな作品の推しキャラのグッズなどを大量にデコレーションした鞄のことだ。『痛バッグ』とも呼ばれ、オタクではない一般人に見られると辛い気持ちになるのは言うまでもない。


「ぎゃ! 恥ずかしいから見ないでーっ!」


 持ち主の女の人も辛い気持ちになったのか、叫びながらオタバッグを抱きしめるように隠してしまった。

 その時はじめてお互いの顔を見合わせたのだが、あまりにも意外な再会で驚くことになった。


「あれ? ましろっち?」

陽彩ひいろさんだ! 久しぶり!」


 彼女の名前は『ひじり 陽彩ひいろ』さんといって、私の家の隣に住んでいた幼馴染のお姉さんだ。

 陽彩さんはこの春から大学の近くに引っ越してしまったので、二か月以上は会っていなかったと思う。

 理系が得意な秀才で、今年から東京の有名な情報系大学に行っているはず。

 確か、ゲーム開発のプログラマーが夢だと言っていた。


「東京に引っ越したんじゃなかったの?」

「実家の用事で帰ってきたんだよ~。週末までは出雲にいる予定なんだー」


 そう言って、陽彩さんは歯を見せてニシシと笑った。



 △ ▲ △ ▲ △



 歩道に散らばった荷物を拾い集めたあと、私は陽彩さんの多すぎる荷物を分担して持ちながら家に帰ることにした。


「荷物もってくれて、ありがとね!」

「いいんだよ~。陽彩さんの家はお隣だし、すっごく大荷物だもんね。……それより、ゴールデンウィーク過ぎてからの帰省って珍しいね」

「亡くなったおじいちゃんの法事があるんだよー。何も律義に命日に合わせず、土日にやってくれればいいのにさ~」

「あはは……。大変だね……」


 法事と聞くと、あまちゃん先生に由来を教えてもらった法事パンのことを思い出す。

 陽彩さんの家も法事のお返しはアンパンなのかな。

 そんなことをぼんやり考えていると、陽彩さんが私の着ている制服をじっと見つめはじめた。


「ところでその制服、八重校でしょ? 入試、結構大変だったでしょー?」


 入試のことを思い出すとトラウマがよみがえってくる。

 あまりの緊張で頭の中が真っ白になり、ケアレスミスが積み重なって散々な結果だった。

 補欠入学とは言え、合格できたのが嘘のようでもある。


「あぅぅ……。思い出したくない……」

「あははっ。ましろっちの『あぅぅ』、可愛いなあ~。でもまさか私の母校に入学するとはね~」

「陽彩さんも八重校だったの? うちの卒業生だったなんて、知らなかったよー!」

「ましろっちは三歳も離れてるし、私たちって二次元の話しかしてなかった気がするもんね」


 そう言って、陽彩さんはニシシと笑った。


 陽彩さんは生粋のオタクだ。

 その道の師匠とも言っていい。

 陽彩さんのゲーム趣味の影響で色々な作品に出合い、私は立派なオタクになってしまった。

 今となってはイラストとプログラマーで道が分かれてしまったけど、作品を愛する気持ちはオタバッグを見る限り何も変わっていなくて安心できた。


「ところで、ましろっちは部活どう? 八重校って部活必須だし、大変でしょー?」


 陽彩さんは私の部活嫌いを知っているので、心配そうに聞いてくれる。

 でも今の私はとても満ち足りた気分なので、満面の笑顔で答えた。


「楽しいですよ~。すごく素敵な先輩や仲間に囲まれて、充実してます!」

「そっか、よかったよー! ましろっちって、人と競争するのがすごく嫌いだったでしょ? ましろっちが楽しめるんなら、いい仲間に恵まれたんだねー」

「えへへ」


 いい仲間と言われると、素直に嬉しくなってくる。

 すると、陽彩さんは急に切なげな表情になって、遠い空を見つめ始めた。


「……私はうまくやれてなかったから、後輩に申し訳なかったな」

「どういうこと?」

「普通は毎年のように部員が入るもんでしょ? でも私の一コ下の学年は誰も入らなかったから、私が引退する時には当時の一年生に次期部長を押し付けることになっちゃったんだ。勧誘がうまくいかなかったこと、いまだに後悔してるよ……」


 陽彩さんはプログラマー志望だから、高校でもそれ系の部活に入っていたのだろうか。

 部員が少ない部活というと登山部も同じだけど、やっぱり部活によっては部員の確保も大変なのかもしれない。

 ほたか先輩も勧誘に必死だったし、来年は自分の苦労なのかと思うと、不安になった。


「ていうか、次期部長を押し付けるってことは、陽彩さんって部長だったの? じゃあ、部員もオタク教育されて大変だったかも~」

「ひどいなぁ、ましろっち。私がオタク教育したのはましろっちだけ! さすがに学校ではそんなことしないって。これでも『憧れのお姉さまキャラ』で通ってたんだよー」


 そう言って、陽彩さんは自慢げに胸を叩いた。


「え~? 陽彩さんが憧れのお姉さま? それはないよ~」

「コイツ! そんなこと言う口はコレか?」

「あぅぅ。ごめんなひゃい~」


 私がからかったものだから、陽彩さんは笑いながら私の頬っぺたをつねった。

 こんなやり取りも久しぶりだ。

 陽彩さんが部長をやっている部活も、さぞや賑やかで楽しかっただろうなと思った。


「でも、確かに一年生なのに部長をお願いされると、プレッシャーはすごそう……」

「そうなんだよ……。卒業するから任せるしかなかったけど、元々うちの部に入りたくて入った子じゃなかったから心配だなぁ……」

「どういうことなの?」

「部活自体に入るのを最後まで嫌がったせいで、強制的に担任の先生が顧問をしてる部に入れられちゃったんだよ。それが私の部」


 その話を聞いて、猛烈な既視感デジャヴに襲われた。

 なんか、私みたいな人だ……。


 私も入部自体を嫌がり続けて逃げていたわけなので、そっくりだった。

 その人は最後まで逃げ切ったわけだし、私よりも凄いかもしれない。


「まあ、活動内容自体には昔から興味を持ってたみたいだから、すんなり馴染んでくれたんだけどね……」


 そう言って、陽彩さんはまた遠い空を見つめ始めた。



 その時だった。

 背後から自転車のブレーキ音が響いたと思ったとき、なじみのあるのんびりした声が呼びかけてきた。


「あ、ましろちゃ~ん。こんなところで会うなんて偶然だね!」


 振り返ると、自転車に乗ったほたか先輩がいた。

 さっきまで部活で一緒だったけど、下校後に会うのも新鮮な気分になる。


「ほたか先輩はこっちに用事ですか?」

「うん。スーパーに買い物に行くとこなの! ママは料理で手を離せないんだけど、足りないものがあったって言ってて」


 そう言って、ほたか先輩は微笑んだ。

 すると、急に陽彩さんがほたか先輩に抱き着いてしまった。


「ほたかちゃん! 久しぶり!」

「え……陽彩先輩? 東京に行ったんじゃ……」


 ほたか先輩も陽彩さんのことを知っているようだ。

 陽彩さんはしばらくの間ほたか先輩をぎゅっと抱きしめた後、ほたか先輩の肩や背中をさすり始める。


「お、なんかちょっと見ないうちに体がさらに仕上がってる? あんまり無理して鍛えちゃダメだよー?」

「そうですね……。千景ちゃんにも注意されちゃってます」

「千景ちゃんは元気?」

「はい! 千景ちゃんにはいつも助けてもらってます」

「そっかそっか。ほたかちゃんと一緒なら心配ないね」


 陽彩さんはほたか先輩と親しそうに話している。

 そのやり取りを、私は少し離れた場所からじっと見つめ続けていた。


 陽彩さんは、まるでほたか先輩とずっと一緒だったような雰囲気を感じる。

 それに千景さんの実家のお店についても知っているようだ。

 この状況を見れば、おのずと一つの答えが浮かび上がってくるようだった。


「……もしかして陽彩さんって、登山部の元部長?」

「あれ、よくわかったね~。どっかにヒントでも出してたっけ?」

「え? えええ~~っ?」

「それにしてもビックリだよ~。ましろちゃんが陽彩さんと知り合いだったなんて!」


 陽彩さんとほたか先輩は屈託なく笑っている。

 きっと陽彩さんは気が付いていないのだ。

 ほたか先輩の赤裸々な過去を、登山部の後輩にペラペラとしゃべってしまった事実を。

 

 ほたか先輩も私と同じように部活から逃げていたらしい。

 今の先輩のことを思うと、それが意外で仕方がない。

 私はあんぐりと口を開けながら、隣り合って立っている二人のお姉さんを見つめ続けた。

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