第三章 第十二話「美嶺が部活に入った理由」

 シャワーから出た私は足に絆創膏ばんそうこうを貼り、剱さんが用意してくれた服に着替えた。

 剱さんの服は、当然と言うか、自分の体よりも大きくてダボダボだ。

 長袖のパーカーと短パンを借りたけど、パーカーの長さなんて短パンが隠れてしまうぐらいだったので、裸にパーカーだけしか着ていないように錯覚してしまうほどだった。


「悪いな。無難な服はそのぐらいしかなくてな」

「え……。そんなに他のは変なデザインなの?」

「さ、さあな」


 剱さんは歯切れ悪く答えた後、マグカップを私の目の前に置いてくれた。

 湯気が立ち上るカップからは、ココアの甘くていい香りがしてくる。


「母さんが帰ってくるまであと二、三〇分ぐらい時間があるし。……まあ、飲めよ」

「……ありがとう」


 お礼を言った後、カップに口をつける。

 暖かいココアが胸の中を降りていく感触があり、心までもポカポカしてくるようだ。

 しかし、剱さんはなかなか自分のコップに口をつけようとしない。


「ん? 剱さんは飲まないの?」

「……実は、猫舌なんだ。もう少しこのままで……」

「そうなんだ……」


 意外と剱さんも可愛いところがあるんだなって思ったけど、思った通りのことを言っていいのか悩んでしまった。

 剱さんとはくだけた話ができるほど友達っていうわけでもないし、「可愛い」なんて言ったら怒ってしまうかもしれない。

 そんなことを考えているうちに二人とも沈黙してしまっており、なんだか気まずい空気が流れ始めているのを私は感じた。

 剱さんを見ると、なんだか深刻そうな顔をしている。


 二人きりで、テーブルをはさんで座っているこの状況。

 そして、この重苦しい空気……。

 同じような場面が以前にもあった。

 千景さんのお店のカフェで妄想ノートについて話したときと似た空気が漂っているのだ。


 もしかして、剱さんはあの日の続きを始める気なのかもしれない。

 私が緊張で身構えていると、剱さんは口を開いた。


「……空木うつぎは大会に出るの、イヤか?」

「えっ……?」


 妄想ノートの話題ではなかったので、私は一気に拍子抜けしてしまった。

 剱さんが何を聞きたがっているのか分からず、様子をうかがう。


「今日の部活のとき、梓川あずさがわさんと話してただろ? ……空木は競争が嫌いだっていう話をさ。……そんなに嫌いなんだったら、今度の大会にも出ないのかなって思ってさ」

「で……出るよ。ほたか先輩は大会に出てくれるだけで十分だって言ってくれたし、山登りの大会って、割と初心者が多そうで、競争も激しくなさそうだし……」

「ゆるい空気感が居心地がいいっていうわけか?」


 その言葉にハッとしてしまった。

 そう言えば剱さんは強さにこだわっている節がある。

 勝つ気がないようなことを言ってしまったので、逆鱗げきりんに触れてしまったかもしれない。

 怒るんじゃないかと思い、私はいっそう身構えた。


 しかし、剱さんは気が抜けたような表情で遠くを見つめたままだ。


「ま、いいんじゃないか?」


 そう言って、剱さんは怒るどころか、意外にも受け流してくれた。


「うちの学校は部活必須だけど、アタシだって、元々は部活なんかに入る気はなかったからな」

「……そう言えば、剱さんも私と同じで、最後まで部活を決めなかったんだっけ。私と違って体力あるし、運動部に入れば活躍するのは間違いなしなのに」

「なんか、仲間とか絆とかってヤツが面倒くさいんだよな。……部活ってなんか、そういうのを第一にする空気があるだろ? だから、どこにも入る気なんてなかったんだ」

「へえ……」


 そう言えば、四月の初めの頃に剱さんを見かけた時、いつも一人でいた気がする。

 しかし、そうだとすると今の状況に矛盾が生じてしまう。


「……あぅ? じゃあ、どうして登山部に入ったの? テントで一緒に過ごすんだよ?」

「む……」


 剱さんは眉間にしわを寄せた。

 これはどうやら、剱さんにとって都合の悪い質問だったらしい。

 私は剱さんの部活中の姿を思い出し、ピンときた。


「あ、そうか。千景さんがお目当てだったわけだ!」

「はぁ? なんでそうなるんだよ」

「だって。今日なんて、やたらと千景さんと一緒にいたでしょ? ……好きになっちゃったの?」

「お前なぁ……!」


 剱さんはすごんでくるけど、頬がなんか赤い。

 図星なんだなと思うと、剱さんがとても可愛く思えてきた。

 クマ打倒のために拳を鍛えていようとも、千景さんの愛らしさには敵わなかったわけだ。


「ふーんだ。剱さんがどうであろうと、私と千景さんはもう仲良しなんだもん。邪魔はダメなんだよ~」


 そんな風にけん制してみたら、剱さんはすごい形相で指の関節をボキボキと鳴らし始めた。


「う、つ、ぎ……っ!」

「あぅぅ。こ、怖くないぞぉ~」


 私も迎え撃ってやろうと、拳を高く振り上げた。


 その時、玄関の鍵が開く音がした。

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