第三章 第十三話「美嶺のヒミツ」
私と美嶺が威嚇しあっていた時、美嶺の家の玄関が開いた。
私たちは向かい合ったまま、視線を玄関のほうに向ける。
すると、「ただいまぁ~」と穏やかな口調の女性が現れた。
剱さんのお母さんに違いない。
髪の毛は黒いけど、顔立ちは剱さんとよく似ている。身長は剱さんのほうが高いので、きっと剱さんの高身長はお父さん譲りなんだろう。
「こんばんわぁ。美嶺が友達を連れて
「別に、友達じゃねえよ。……ただの部活の仲間だ」
「は、初めまして。……空木ましろと言います」
「あら、かわいいねぇ~。うちの美嶺をよろしく頼むわぁ。……そしたら、ご両親も心配しとぅと
私と同年代ぐらいの若者は出雲の方言が消えつつあるけど、親の世代はまだまだ言葉に
剱さんのお母さんは出雲弁混じりの言葉でそう言うと、柔らかく笑った。
さすがに剱さんのお母さんの前で喧嘩するわけにはいかない。
お風呂を使わせてもらったお礼を言い、自分の家の住所もお伝えすると、私はそそくさと帰り支度を始めた。
荷物を詰めようとスクールバッグを開けた時、バッグの中にタオルで包まれた何かが入っているのに気が付く。
「そういえば、千景さんからプリンを預かってたんだった。……ねぇねぇ、剱さん。……せっかくだから剱さんとお母さんで食べて」
そう言いながらタオルを外すと、中のプリンはシェイクされてグズグズに崩れていた。
「あぅぅ……、ごめん。私が走ったり落ちたりしたせいだ。こんなんじゃ、お母さんにお渡しできない……」
「気にすんなよ。美味さは変わらねぇって」
剱さんはひょいとプリンの瓶をつかむと、付属のスプーンを使ってプリンを口に運ぶ。
その瞬間、剱さんの眉間のしわがほぐれ、表情は見る見るうちにとろけてしまった。
「はぁ……うめぇ……。空木も食べてみろよ……。うちの母さんは食べたことあるし、気にしなくていいよ……」
「そ、そんなに美味しいんだ……」
剱さんの表情を見ているだけなのに、唾液があふれてきてしまう。
「ま、まあ……、崩れた状態のはお渡しできないし……。わ、私が食べるよ」
「食え食え~」
「……あ、でもその前に荷物をまとめてからにするね。そのプリン、食べるとリラックスしすぎちゃうみたいだし。食べる前に帰り支度はしておかないと」
ソファーの上で溶けたように寝そべっている剱さんを横目に、私は脱いだ制服を畳んでいく。
すると、制服の下に着ていたキャミソールとブラウスがないことに気が付いた。
あれ? どこにやっちゃったかな……?
シャワーを浴びたときの自分の行動を思い出してみる。
そう言えば、なんとなくの癖で、近くにあった洗い物カゴに入れてしまった気がした。
「ちょっと忘れ物を探してくるね」
「ああ~、わかった~」
剱さんに断りを入れると、彼女はふにゃふにゃに溶けた表情で笑っていた。
△ ▲ △ ▲ △
脱衣所に置いてあるカゴの中を見ると、やっぱりキャミソールとブラウスが入っていた。
キャミソールは肌着としてブラウスの下に着ていたものだ。汗まみれの服を忘れて帰るのは恥ずかしかったので、すぐに見つかったことに
すると、キャミソールの肩ひもに絡みついて、別の服が引っ張り出されてきた。
ありゃりゃ。はずさなきゃ。
そう思って服をつかんだ時、私の視線は服にプリントされた絵に釘付けとなってしまった。
これ……私が超ファンなアニメ作品のTシャツだ……! しかもライバルのキャラTと……超激レアTシャツまで!
それは、私が愛してやまないバトル漫画のライバルキャラのイラストが前面にデカデカとプリントされている、いわゆるキャラクターTシャツと呼ばれるものだった。
このライバルキャラ、私がよく絵に描いているカップリングのキャラで、私の推しキャラの部下という設定だ。
さらに注目すべきは、もう一着の超激レアTシャツ!
これはついこの間の春休みに東京であった、アニメのクローズドイベントで配られたものだ。
原作マンガの先生が
私はSNSでフォローしているファンの方が投稿していた写真を見て知っているけど、一般販売の予定はないらしく、自分が東京に生まれなかったことをこれほど呪ったことはなかった。
その幻のファンアイテムが、なぜか目の前にあるのだ。
剱さんはわざわざ東京にまで行ったということなのだろうか?
仮にオークションで入手したとしても、確かビックリするほどの高値がついてたはず。
もしかするとご両親が作品のファンなのかもと疑ったが、剱さんは『月刊少年ジャック』を持っていたので、剱さんが熱烈なファンなのは確実だと思えた。
こうなると、私の妄想ノートについて問いただしてきたことの意味合いがまるで違ってくる。
てっきり、私のちょっとばかりエッチなイラストをネタにして脅迫してくるのだと思い込んでいたけど、怒っている理由はもっと別のものかもしれない。
たとえばキャラを勝手に汚すんじゃないって怒ったり、カップリングの解釈違いに怒ったりと、理由はいろいろ考えられる。
その時、私は背後に威圧的なオーラを感じた。
恐る恐る振り返ると、剱さんが顔を真っ赤にして立っている。
「剱さん、このTシャツ……」
私が言いかけた瞬間、剱さんは「眠れっ!」と叫びながら私の口に何かを突っ込んできた。
目にも止まらない早業で、避けることはできなかった。
同時に口の中に広がる甘さとまろやかな香り……。
これは千景さんのお母さんお手製の魅惑の焼きプリンの香りだ。
剱さんは私が振り向いた隙をついて、プリンの乗ったスプーンを口にツッコんできたのだ。
それがわかった瞬間、私は自分の体がとろけるような気分になって、床に沈んでしまった。
まるで百合の花畑に囲まれているような景色が見えて、幸せな気持ちに包まれる。
「母さん。空木を家まで届けてくれる?」
薄れる意識の中で、剱さんの言葉の断片が聞こえた。
△ ▲ △ ▲ △
次に気が付いた時、私は自分の家のベッドの上にいた。
プリンの効果なのか、心と体の疲労は消え去っており、お腹の底から元気がみなぎってくるのを感じる。
魅惑のプリンの効果はすさまじい。
これは、確かに休憩時間にしか許されない神の食物かもしれない。
私は剱さんの家での記憶を思い出してみる。
幻の激レアTシャツの記憶は、鮮明に残っている。
同じ作品を愛する二次創作絵師として、同志の存在を無視することなんてできない。
次に会った時には、絶対に問いただしてみせる。
明後日のキャンプが待ち遠しくなった。
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