第一章 第六話「ましろのヒミツ」

 お昼休みの残り時間、私は中学校からの友達の小桃こももちゃんと肩を並べて中庭に座っていた。

 小桃ちゃんとお話するのは本当に久しぶり。

 彼女は『家庭部』に入るなり、いきなり忙しくなってしまったので、今日にいたるまで全然会うことができなかった。


「寂しかった……。寂しかったよぉ……」

「申し訳なかったのだよ……。まさかあんなに本格的な料理の部活だとは思わず、隙間の時間は全部、料理の仕込みに使ってて……」


 よくわからないけど、すごく大変らしい。

 そんなこんなで、せっかく小桃ちゃんと過ごせる時間なのに……、私の気分はまったく上がってこなかった。

 それもこれも、先生から手渡された部活案内のせいだ。

プリントを眺めてるけど、目が滑るばかりで中身が頭に入ってこない。

 私はずっとため息をついていた。


「あぅぅ。部活が決められない……」

「その登山部も、不安に思ってるだけで、入ればたいしたことはないと思うのだよ?」


 小桃ちゃんはお弁当を食べる箸を止め、私を慰めるように背中を撫でてくれる。

 お団子頭がトレードマークで、屈託のない笑顔は私の心の清涼剤だった。


「小桃ちゃん、ありがとう……。ちょっと元気になったよ……」

「いやいや。これを食べて、もっと元気になるのだよ~」


 そう言いながら、小桃ちゃんは家庭部で作ったクッキーを取り出した。

 そのクッキーを口に入れたとたん、香ばしいナッツの味わいが私の心を躍らせる。


「ふぁぁ……。さすが小桃ちゃん! 美味しすぎるし、さらに元気になった気がする! さては天才じゃないのかね?」

「ノンノン。うちの部では最弱なのだよ。部長をうならせるには、まだ遠い……。だから、競争は決して悪いものじゃないよ? 自分の力がメキメキ上達するのを実感できるし!」

「あぅ~。小桃ちゃんはタフでうらやましいなぁ……」


 彼女が入っている『家庭部』は料理と手芸の部活だ。

 かなりスキルの高い部員が多いらしく、うちの家庭部は色々なコンクールで優勝しているようだ。設備も最新のものが充実しているらしい。

 島根を田舎と呼ばせないためとは言え、学校が部活に力を入れる想いは、確かに本気のようだ。


 そう言えばあまちゃん先生は、部活の事を話してる時、もう一つ何かを言っていた。

 確か私の他にもう一人、どこにも入部していない生徒がいるという話だった。


「そういえば、つるぎっていう人を小桃ちゃんは知ってる? その人もどこの部にも入ってないらしいんだけど……」

「剱さんは私たちと同じ一年で、隣のクラスの女子なのだよ。誰かが『不良』なんて言ってたなぁ」

「ふ……不良?」

「聞いた噂では中学では学園支配していたとか、クマに素手で立ち向かったとか、物騒な話が多かったけど……。そんなマンガみたいなことってあるのかねぇ?」


 小桃ちゃんは首をかしげながらつぶやく。

 その話を聞いて、ようやく名前と顔が一致した。


 剱さんとは、髪を金色に染めていて目つきが鋭く、背も高い女子だ。

 いつも一人でいるので、孤高の一匹狼って感じだと思っていた。

 雰囲気がなんか怖いので、彼女には絶対に近づかないように気を付けている。


 とにかく、部活に入ってない人があと二人だけというのは、驚異的な部活の所属率だ。

 ここまでくると、さすがに私も肩身が狭くなってきた。



 部活のことを考えると落ち込んできたので、気分を盛り上げようと、脇に置いていたバッグからルーズリーフのバインダーを取り出す。

これは私の「妄想ノート」だ。

 膨大なスケッチは私の願望がそのまま具現化されたもので、これを見るだけで興奮するし、幸せな気持ちになれるのだ……。

 その効能は、落ち込んだ時のお薬とも言えるほどだった。


 部活のことを考えて憂鬱になった私は、ノートを開いて絵を堪能たんのうする。

 完全に自画自賛なんだけど、昨日の夜に家で描いた絵は、本当に会心の出来だ。

 さりげなくちょっとエッチで、麗しい。

 すさみきった心が洗われるみたい!

 なんて……なんて私の絵は最高なんだろう!

 三次元に夢はない。二次元こそが至高。

 来る日も来る日も絵を描き続けただけはある。

 おかげでどんなポーズも、どんな角度でも描けてしまいそうだ。


「ましろ、ニヤニヤしてるよ」


 小桃ちゃんの指摘で我に返り、私は顔が熱くなった。

 ほかの人にはオタク趣味を秘密にしているので、指摘はありがたい。

 中庭は教室と比べるとさすがに人が少ないけど、私がニヤけているせいでノートの中身を怪しまれるのは避けたかった。


 小桃ちゃんは私のディープなオタク趣味を知っているたった一人の友達だ。

 偶然に私の性癖がバレた日でも、何の変化もなく普通に接してくれたのだから、ありがたいこと、この上ない。

 ……まあ、友達自体、小桃ちゃん一人しかいないんだけど。


「美術部に入るのはどうなんだい? ましろ、すっごく絵がうまいし!」


 小桃ちゃんは身を乗り出して聞いてきた。

 でも、私は首を横に振って、無言で否定する。


「なにも部活で趣味の作品を公開する必要はないのだよ。……せっかく絵がうまいんだから、いかせばいいのに」


 私をさとすように小桃ちゃんが言った。

 親身になってくれているのはわかってる。

 でも、私はその提案を聞くわけにはいかなかった。


 八重校やえこうの美術部は、例にもれずにコンクールに力を入れている。

 競争に疲れている私にとって、趣味の世界は癒しそのもの。

 癒しの世界に競争を持ち込みたくなかった。

 誰にも見せず、関わらず……私を守るお薬であってほしいのだ。


「ほ、ほら……私って不器用だから、いつもの絵柄でしか描けないんだよ!」


 本心をごまかすように、適当な理由を言ってみた。

 小桃ちゃんは私を想って助言してくれてるから、正面から否定はしたくない。


「そもそもね、作品を人に見せるだけで心がしんどいし、絶対に秘密なんだよ!」

「私はいいのかい?」

「バ、バレちゃってるし、小桃ちゃんはドン引きしないからいいんだよ……。あ~あ……。なんで私は島根なんて田舎に生まれちゃったのかな~」

「ましろ……」


 小桃ちゃんは心配そうな顔で私の目をのぞき込んでくる。


「……他人の目を気にしてばっかりじゃ、何もできないよ?」


 その言葉は、いつも自分で思っていることだ。

 おおっぴらに趣味を叫べば、仲間だって増えることだろう。

 でも、さすがに「私は生粋のオタク女子です。仲間はいませんか」なんて恥ずかしくて言えるわけがない!


 小桃ちゃんのような友達がいっぱいできたら、それだけで高校生活は幸せなんだろうな。

 でも、オタクが集う場所がなさすぎるこの田舎町では、巡り合う可能性は奇跡とも言えた。


「あぅぅ~~! 東京に生まれたかったよぉ! そしたら今頃はアキバでウハウハな毎日を……。ううう……」


 島根県といえば出雲大社。

 出雲大社にはたくさんの神様がいるというのに、オタクの神様はいないのかな?

 オタクの神様は東京のオタクの聖地・秋葉原あきはばらにいるのかな?

 オタクショップでは限定グッズがあるし、コラボイベントがあるし、作家先生のトークショーまであるんだよ?

 行ったことないけど!

 ネットでしか知らないけど!

 東京ばっかり、ずるいですよ!


 私はどこにもぶつけようのない悲しみを晴らそうと、妄想ノートを見つめて心を慰める。


 まだこの時は気が付いていなかった。

 この妄想ノートがどんなに危険なものなのか……。

 なにも分かってない私は、ニヤつくばかりだった。

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