第一章 第七話「鬼の寝てる間に」

 部活を決めろと言われても決められるはずなく、グダグダしてるうちに放課後になってしまった。


 ほたか先輩の笑顔を思い出し、仕方なく入部届に「登山部」と書き込む。

 別に山に登りたいわけじゃない。

 友達が欲しいからだ。

 人気者の先輩の近くにいれば、ちょっとは友達の作り方を学べるだろうか。

 ……そんな下心があった。


 そんな不純な動機のせいなのか、入部届を先生に提出するのがはばかられてしまう。

 山に興味を持ってくれたの? ……と聞かれて、変な答えを言ってしまいそうだからだ。


 どうせこの書類を出さなくても、自動的に登山部に入れられてしまう。

 先生と話さなくて済む分、放置しておいた方が気分が楽だ。


「帰ろっかな……」


 私は入部届を畳んでスカートのポケットにしまい込むと、自分の教室に向かって歩き出した。

 その時……。

 私の教室から人が飛び出してきた。

 お昼休みにぶつかった、おっぱい山の雑誌を持っていた女の子だ。

 すれ違いざまに、その女の子がすんすんと泣いていることが分かった。


「……なにごと?」


 ぱたぱたと音を立てて小さくなっていく背中を見送りながら、私の興味はあの小さな女の子よりも、教室の中に強く引き寄せられた。

 教室の中で事件が起きたのだろうか。


 私は開いたままの教室の扉から、恐る恐る中をのぞいてみる。

 すると、すぐに一つの大きな人影が目に飛び込んできた。

 女子が寝ている。

 机で突っ伏して動かない上に、豪快にいびきをかいていた。


 この居眠りしている女子以外に誰もいないので、さっきの女の子が泣いた原因は、間違いなく彼女だろう。

 何があったのかわからないけど、寝ているのなら問題ない。

 私は自分の荷物さえ回収できればいいので、音を立てないように自分の席に歩み寄る。

 でも、気付いてしまった。


「ふぇっ……なんで私の席で寝てるの?」


 思わず声が漏れてしまった口を、私は慌てて両手でふさいだ。

 彼女が寝ている席は、私の席だった。

 しかもこの人、不良と名高いつるぎさんだ!

 髪はまばゆいばかりの長い金髪で、短く切り詰めたスカートからは長い脚が飛び出ている。

 眉間にはしわを寄せ、歯ぎしりしてる。

 寝顔がすでに恐ろしい!


【挿絵】

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 意味不明な状況を前にして、私はパニックになった。

 私が教室を間違えたのかと思ったが、教室内の掲示物を見る限り、ここは私の教室で間違いない。

 つまり、この場所は間違いなく私の座席。

 剱さんがここにいるほうが間違っている。


 そしてこれは、とても困った問題でもあった。

 机の中に荷物を入れっぱなしなのだ。

 教科書や宿題程度なら放置してもいいけれど、アレだけは絶対に学校に置きっぱなしにできない。


 ……そう。私の妄想ノートだ!

 授業中も妄想に浸りたいので、机の中に隠しながらのぞき見ていたのだ。


 もし剱さんが私の机を自分のものだと勘違いしてるのなら、引き出しの中身を見てしまう可能性がある。……大いにある!

 そして妄想ノートに描かれた私の性癖が暴かれ、学校中の噂になるんだ。

 予想もしなかった試練を前に、私は一つの覚悟を決めた。

 ……こうなれば、ノートを回収するしかあるまいよ!

 剱さんを起こさないように!


 私は静かに机の脇にしゃがみこみ、机の中を確かめる。

 幸いにも高校の机は引き出しがないので、中の状態はたやすく確認できる。そこには確かに私の妄想ノート……ルーズリーフのバインダーが入っていた。

 しかし、剱さんが机に密着しているせいで、バインダーを取り出せるほどの隙間はない。

 妄想ノートが普通の紙のノートだったなら、わずかな隙間でも曲げながら取り出せただろう。

 でもページを自由に入れ替え可能なルーズリーフのバインダーにしてしまったせいで、その強固なプラスチックのカバーが曲がることをかたくなに拒む。

 それでも悩んでいる暇はない。

 剱さんがいつ起きるかわからないし、待っていても無駄な時間をすごすだけだ。



 私は危険を冒すことに決めた。

 机と剱さんのお腹の隙間をゆっくりと広げながら、妄想ノートを引き抜くのだ。

 バインダーをつかんで、少しずつ動かしていく。

 やがてバインダーが剱さんのお腹を押し始めるが、剱さんが気が付かないほどのゆっくりとしたスピードで引いていく。


 恐る恐る机の上に視線を移すと、うつぶせのままの剱さんの顔が見えた。

 表情はさっきから変わりなく、眉間にしわを寄せたまま眠っている。

 起きませんように……。


 音を立てずに、慎重に。

 焦らずやれば、必ず取り出せる。

 本番なんて、思っちゃダメ。

 緊張すれば、失敗する。


 自分の呼吸が震えているのがわかる。

 指先の感覚がわからなくなってくる。


 やがて剱さんの脇腹からバインダーの全貌が顔を出す。

 あとは一気に引くだけだ!


「……なんだ? ……おい」


 突然、私の手首がつかまれた。

 自分の心臓が跳ね上がったと錯覚するぐらいに大きく鼓動する。


「なにを……盗もうとしてんだ?」


 低く鋭い声が頭上から響く。

 剱さんはいつの間にか起きていて、私を恐ろしい顔でにらみつけていた。


「あ……あぅ。かか、勘違い……」

「盗もうとしてんのに、勘違いだと?」


 全く話がかみ合わない。

 剱さんはこの席を自分の席だと勘違いしてるんだ。

 寝ぼけて教室を間違ったのだろうか。

 なんにしても早く誤解を解かなければ、私は殺されてしまう……!


「ちち、違うんです。こ、この机、私の……」

「は?」

「中身を見てくれれば……わかります!」


 そう、私の名前が書いてあるものを見せるだけで証明できるはず。

 それなのに、剱さんは盗まれると思っているのか、力を緩める気配がない。

 とにかく教科書でもなんでもいいから、私の名前が書かれている物を見せれば解決する。

 つかまれている力よりも強く引けばいい。

 ……うなれ、私の魂の力! 命すべてを燃やしきれぇぇ!


 私は足先で強く床を踏みしめる。

 足の筋肉を膨張させ、全身をひねる。

 ねじったゴムを解放するように、体の回転と同時に腕を引ききった!



 次の瞬間、剱さんの体がバランスを崩して後ろに倒れていく。

 私の席の後ろには座席がないので、剱さんの体は支える物もなく床に打ち付けられる。

 さらに机の中から教科書やノートが勢いよく飛び出し、床に倒れた剱さんの顔に次々と落下していった。


「ご……ごめん……」


 興奮して、やりすぎた。

 剱さんの顔には教科書がかぶさり、彼女の表情は見えない。

 でも、ぷるぷると震えるこぶしを見れば、怒っているのは一目でわかった。


「お前……」


 凄みのある声が教科書の向こうから響いた。

 その瞬間に、どこかで聞いた剱さんの怖い噂がよみがえる。

 学園支配!

 クマ殺し!

 魔王のように世界に君臨する剱さんの幻覚が見えてしまい、小心者の心は恐怖でおののく。


「あぅぅ……! お助けぇぇ~~っ!」


 私は叫びながら教室を脱出していった。

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