第三章 第二話「オタクの沼に、ようこそっ!」
ミルクティーを飲み終わった後も、牛乳の残りをストローで飲んでいる千景さん。
まるで小動物みたいで可愛いなと思って見つめていると、千景さんはおもむろに自分の鞄から一冊の本を取り出した。
「そういえば、ましろさん。これ……読みましたか?」
その本は私の愛読書……、マンガ雑誌『月刊少年ジャック』の最新号だった。
週刊マンガ雑誌と比べると分厚くて、私が大好きな能力バトルマンガも連載されている。
千景さんの趣味は山関係以外は想像もできなかったけど、まさか『少年ジャック』が出てくるとは思わなかった。
「もちろん読みました! ……千景さんも読むんですかっ? なんの作品が好きですかっ?」
興奮を隠すことなんてできるはずもなく、畳みかけるように質問してしまう。
すると、千景さんはパラパラとページをめくる。
止まったページには、それこそ長年親しんできた絵が載っていた。
「これ……。ましろさんが……絵を描いていた作品、ですよね?」
「そうです、そうです! まさか、千景さんも好きなんて!」
「あ、でも。そんなに詳しくは……。アニメでやってるところまでしか、知らない……」
「アニメ! 千景さんはアニメも好きなんですか?」
その時、横で聞いていたほたか先輩が声を上げた。
「あ、そっか! 百合香さんって根っからのアニメ好きだって聞いたことあるよ。千景ちゃんの家では、ご飯を食べるときにアニメを流しっぱなしにしてるんだっけ?」
先輩の問いに、千景さんは静かにうなづいた。
お母さんがアニメ好き……。
そう言ってしまうとギャップがあるかもしれないが、千景さんの母である百合香さんはどうも日常的にコスプレっぽいことをしているようなので、妙に納得できてしまう。
「うああ……最高じゃないですか! う、うらやましい……。私なんて、夜中にこっそりと観てるんですよ。だから、いつも寝不足で……」
まさか、部活でオタクっぽい話ができるなんて思わなかった。
私がウキウキしていると、なぜか千景さんの表情が
少し不思議に思ったが、その理由はすぐに分かった。
千景さんがとあるページを開いて硬直したからだ。
「興味が出たので……雑誌を、買ったら……こんな……」
開かれたページに描かれている内容……。
それは、ヒロインが巨大な建造物の落下の巻き添えになるという、衝撃的な展開だった。
それこそ明らかに死亡しているように、流血までしっかりと描かれている。
千景さんは青ざめた表情でうろたえていた。
「あまりに、衝撃的で……。彼女は、死んだのでしょうか?」
「確かに衝撃的でしたっ! ……というか、アニメ化部分までしか知らないのに、そんな先の展開をもう見ちゃったんですね……」
「よく……わからなくて……」
マンガでおろおろしている千景さんは新鮮だ。
千景さんはオタク度的にはまだまだ一般人に等しいけど、それはそれで好都合。
むしろ、興味を持った時点で、オタクの沼に片足を突っ込んでると言っていい。
ゆっくりやさしくオタクの道に誘い、頭の先まで沼に沈めればいいだけだ。
幸いなことに、千景さんのご家庭はオタク教育の環境も整っているようだし……。
うへへ……。千景さん。私の手でしっかりとオタクに育てますからね……。
そんな邪な考えを表に出さないように気を付けつつ、真剣な表情で千景さんの手を握る。
「わかりました。見てしまったのは仕方がないです。……私が持ってる単行本を全部貸すので、読んでください。雑誌もバックナンバーは多めに保管してあるので、そっちもお貸しします!」
こういうこともあろうかと、自宅には自分用と布教用の単行本が二冊ずつ。そして、単行本化されていない部分の雑誌も大切に保管してある。
千景さんはきっと私の計画なんて気づいていないだろう。
「ありがとう」
そう言って、微笑んでくれた。
その時、部室の入り口でドサッと物が落ちる音がした。
私は千景さんの手の感触を楽しみながら、視線を入り口に向ける。
すると、そこには剱さんが立っていた。
彼女の足元にはスクールバックの他に、雑誌が落ちている。
よく見ると、その雑誌も発売されたばかりの『月刊少年ジャック』だった。
「い、
どうしてなのかわからないが、わなわなと震えているようにも見える。
まさかこの時は、これが大事件に発展するなんて思ってもみなかった。
私の妄想ノートを強奪し、怒り狂って追いかけてきた女の子。
私はこの時、自分の身に降りかかる災難を、まだ知る由もなかった……。
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