第一章 第四話「部活からは逃げられない」

「あぅぅ……。登山部、入りたくなーい!」


登山部の部室から逃げ出した後、私は数日にわたって逃げ続けていた。

 振り返ると、薄緑色のカーディガンをなびかせながら、大人の女性が猛然と追ってくる。


空木うつぎさんっ。廊下は……走ってはいけませんっ!」


 この人は天城あまぎ みどり先生だ。

 生徒からは親しみを込めて「あまちゃん先生」と呼ばれている。

私のクラスの担任であり、女子登山部の顧問でもある。

 女子登山部は部員不足で廃部の危機にあるらしく、私をなんとか入部させようとしているらしい。


 まあ勝手な先入観だけど、高校生の部活で登山をするのは結構マイナーだと思う。

 ましてや女子高生で登山を始める人は絶滅危惧種に指定されてもいいかもしれない。

 少なくとも私のような体力不足のインドア人間にこだわるということは、かなり人材不足に違いなかった。


 だからといって、ホイホイと部活に入る私ではない。

 確かに友達が欲しいし、憧れのほたか先輩と一緒にいられるだけでハッピーかもしれないけど、私が求められている理由がただの人数の補充なのだから、もっといい人が入れば居場所がなくなってしまうに違いない。

 あとあと、それに……。

巨大芋虫のおまけつきなんて、恐ろしくて仕方がない。


「だって芋虫が~っ!」

「何を意味の分からないことを言ってるのよぉ。部活に入っていない生徒は空木さんとつるぎさんだけなんですよ! 今日中に決めるのよぉ!」

「ふぇぇ……。怖いよぉ~」


 私は精一杯に走る。

 しかし教室からは大勢の生徒たちが廊下にあふれ出てきた。

 昼休みだから、きっと食堂に向かう生徒たちだ。


「ぶ、ぶ、ぶつかるっ……!」 


 私は全力でブレーキをかける。

 すると、背後からものすごい勢いで先生がぶつかり……、私たちはもつれ合いながら廊下のど真ん中で停止した。



 △ ▲ △ ▲ △



「いたたたた……」


 私はぐるぐると目を回しながら、必死に立ち上がろうとする。

 まだ先生につかまったわけじゃない。

 私の逃亡生活は終わってないんだ。


 しかし冷静さを取り戻してくると、周囲の視線とざわめきが気になりだした。

 さらに、私のお尻の下で何かがモゾモゾと動いている。


「あぅぅ?」

「もが……もががっ」


 気になって自分のお尻を見下ろすと、なんと私は先生の顔にお尻を乗せていた。

 しかもスカートが盛大にめくれて、私のシマシマパンツがたくさんの視線にさらされている。

 事故によってこんな破廉恥はれんちな状態になるなんて、まるでマンガの『ラッキースケベ』みたい!

 ……私のほうが被害者だけど!


「あわわわわーーーっ! お願い、見ないでぇ! みんな、散って散ってぇ~!」


 私はとっさに先生の顔からお尻を上げ、スカートをなおす。

 野次馬みたいに集まっている人たちも、さすがにいつまでも女の子のパンツを見ているわけにいかなくなったのか、全員がそそくさと立ち去っていった。



 私はあまりの恥ずかしさに身もだえしながら、それでも必死に立ち上がる。

 パンツを見られた上に、逃亡まで失敗しては目も当てられない。

 しかし、私の足首は力強くつかまれた。


「空木……さん、逃がさ……ないわよぉ。これは進級のため……なんですよぉ」


 あまちゃん先生は廊下で仰向けになりながらも、私の足をつかんで離さない。


「……部活に入って結果を出さないと、この学校は本当に落第しちゃうんですよ。先生が言うから、本当です!」

「あぅぅ……。適当に選んだ学校に、まさかこんな落とし穴があるなんて……」


 私が八重垣やえがき高校を選んだ理由は、本当にどうでもいいことだった。

 家に近かった。

 ……本当にそれだけ。

 部活がこんなにも重視されている学校だなんて、思いもよらなかった。

 しかも部活の結果が進級に響くなんて嘘みたいだ。


「先生……。この学校の部活って、なんでどの部も本気なんですか? 競争ばっかりしてません?」

「……その通り。我が校はあらゆる大会やコンクールを制して、全国に名をとどろかせることが至上の目的なのよぉ。そう、島根をもう田舎と呼ばせないために!」


 先生は人差し指をピンと立てて天を指さす。

 そのしぐさを見て、私は深くため息をついた。


「島根が田舎なのは全国で有名ですよ……。ネットでも散々ネタにされてますし、どうしようもないですよ……」

「シャラップ! ……それ以上はいけないわ。校長がお嘆きになるわよぉ」

「先生……。カッコつけてても、仰向けだとカッコ悪いですよ……? あと、アングル的に私のパンツ、見えてませんか?」

「もちろん、シマシマはバッチリ見えてるわ!」

「あぅ~っ! 見ないでくださ~いっ!」


 私は先生の手をペチペチと叩き、とっさに距離を取り、身構えた。

 あまちゃん先生は大げさな身振りをしながら立ち上がる。


「……そもそも私、競争なんて、したくないんです」

「あら。なぜかしらぁ、空木さん?」

「それは……」


 私はとにかく競争が大の苦手だ。

 緊張しやすいし本番に弱いし、勝ったことがない。

 珍しく結果を出せた高校受験だって、受験当日の緊張で頭が真っ白になったあげくに、本当にギリギリの補欠入学になってしまった。

 自分の名前が「ましろ」だから「頭が真っ白」になるのかな?

 この名前って呪われてるんじゃなかろうか?


 そして何よりもつらいのは、仲間と競争することだった。

 中学の時にやっていた水泳なんて、それこそ部内での競争の最たるものだけど、バスケなどのチームでやる種目だって、レギュラー争いの話はよく耳にする。

 私はぬるま湯のような世界で緩やかな日常を過ごしたいだけなのに、仲間同士の優劣を決める「競争」が嫌で嫌で仕方がなかった。


 そんな後ろ向きの発言を先生に言えるわけがない。

 登山部はさすがに競争とは無縁だと思うけど、私のようなインドアな人間が入ったら邪魔になるに決まってる。


「……絶対に秘密だし、登山部もご遠慮しますっ!」


 廊下にはもう邪魔者はいない。

 逃走経路は異常なしオールグリーン

 私は叫びながら走り出した。


「う、空木さん……。落ち着いてぇ!」


 先生の声が背後から響く。

 だけど、もう私は振り返らない!

 眼前に迫るコーナーを突破すれば、その先にはトイレがある!

 こうなったら、下校までトイレに籠城ろうじょうするんだ!

 体全体を斜めに倒しながらコーナーへ突っ込む。



 その時、目の前に黒い人影が現れたのだった。

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