第一章 第三話「テントの中は未知の世界」
ほたか先輩にうながされるまま、私はテントの中に連れ込まれてしまった。
中で立てるほどの高さはないので、床に座り込む。
テントの床には柔らかい銀色のマットが敷き詰められており、意外なほどに居心地がよかった。
「中は広いんですね~! 黄色い壁に包まれて、気持ちがぽかぽかしてきます」
テント自体が黄色いので、私たちも黄色い光で染まっている。
「黄色っていいよね~。お姉さんも大好きなんだよ~」
そして、あらかじめテントの中に持ち込まれていた箱から、何かの道具を取り出した。
手のひらに乗るぐらいの小さなボンベと金属の器具だ。
先輩が手元でいじっていると、最初は小さく折りたたまれていた金属の器具が開き、ボンベとつながる。
そしてあっという間に立派なコンロに早変わりした。
「へぇぇ……。普通のカセットコンロじゃないんですね~」
「うん。これはシングルバーナーと言って、お山でよく使うコンロなんだよ。普段はテントの外で料理をするんだけど、雨が降ってるときはこうやってテントの中でお料理するの~」
ほたか先輩は小さなヤカンに水を入れ、お湯を沸かし始める。
そして、金属のマグカップを持って微笑んだ。
「ましろちゃんはコーヒーが好き? 紅茶が好き?」
笑った顔の可愛さに胸を撃ち抜かれてしまう。
さすがは学園一の美少女!
私が笑っても気持ち悪さしか感じないのに、聖母のような微笑みは、見る者を浄化するようだ……。
「あの……。ましろちゃん?」
私がいつまでも答えないので、先輩はきょとんとした目で聞いてきた。
「あ、コーヒーが好きです! 夜更かしするので、よく飲んでるんです!」
「そっかぁ~。お姉さんもコーヒー好きだよっ。ミルクとお砂糖はどうする?」
「ブラックでお願いします!」
「すごい。大人なんだねぇ~。お姉さんは甘くないと飲めないの」
本当に感心するようにうなづいてくれている。
「あの……。カッコつけてブラックって言ってるわけじゃないんですよ。眠気覚ましに大量に飲んでると、ブラックのほうが後味すっきりで好きになって……。いつもブラックにしてたら癖になっちゃいまして……」
「大丈夫だよぉ~。カッコつけてるなんて、思ってないよっ」
「すみません……。なんか変に
私が変にへこんでると、気にしなくていいよと笑ってくれた。
「眠気覚ましかぁ~。何か頑張ってるの?」
「いやっ、ただマンガを読んでるだけです。読んでるだけ!」
私は慌てて主張した。
実は趣味でマンガの二次創作イラストを描いてるけど、こればっかりは絶対に言えない。
オタク趣味で自分に都合のいいイラストを描いてるなんて言えば、ドン引きされてしまう。
「寝不足だと疲れるよね。ちょっと横になる?」
ほたか先輩は純粋に信じてくれたようで、私を気遣って場所を開けてくれた。
言われるがままに寝そべると、先輩は私の枕元にやってくる。
「ふわっ……! せ、先輩! これは……」
私の頭が持ち上げられたかと思うと、後頭部に温かく柔らかな感触が滑り込んできた。
「枕がないと、寝心地が悪いと思って……」
「これは、あの伝説の『膝まくら』じゃないですかぁ!」
「ふふっ。ましろちゃんって、面白い」
そう言って、ほたか先輩は笑う。
なんだろう。
ほたか先輩が優しくて、可愛くて、すごく居心地がいい。
ここって天国?
登山部って天国なの?
少し横を向くだけで、頬っぺたが滑らかな先輩の太ももに触れてしまう。
「えへへ。テントで横になると、秘密基地みたいで、なんかワクワクしない?」
「む、胸がヤバいです……っ!」
あまりにも非日常的なシチュエーションに襲われ、私は自分が何を言っているのか分からなくなってしまった。
「胸がヤバいって、大丈夫? 狭いのダメだった? テントって天井が低いから……」
ほたか先輩は私を心配してくれてるけど、さすがに太ももでドキドキしてるなんて言ったら、これもドン引きされてしまう。
「いえっ、そ、そうではなく……。非日常的な体験を想像するだけで、期待で胸が膨らむっていうことなんです!」
「そっかぁ。よかったっ! こういう普段とは違う空間が楽しめるのも、キャンプの楽しさなんだよ~」
「確かに、普段とは……違います」
ほたか先輩は登山部の魅力を伝えてくれようとしてるんだろうけど、登山部ではなく先輩にメロメロになってしまいそうだ。
胸が激しく鼓動しすぎて、平静を保てなくなるのは近い。
心臓に悪いので、やっぱり入部はやめておこう。
だいたい、私のようなインドアな人間が急にアウトドアなことをはじめても、うまくいくとは思えない。
一人で自分の部屋にこもっていたほうが世の中のためだと思う。
私がモヤモヤと考えていると、ほたか先輩はテントの入り口のほうに視線をむけた。
「遅いなあ……。すぐに来るって言ってたんだけど……」
なんのことだろう。
口ぶりから察するに、誰かが来るということなんだろうけど。
さすがに膝まくらの状態を他人に見られるのも恥ずかしいので起き上がる。
その時、ちょうどタイミングよく扉が開く音がした。
そしてテントの入り口のファスナーがゆっくりと開いていく。
「あ、来た来た!」
ほたか先輩が笑顔で迎え入れようとする。
私も姿勢を正し、お辞儀をしようとした。
「はじめまして、空木ましろと申し……」
お辞儀をしようとしたのだが、体が硬直して動かなくなってしまった。
入り口から入ってきたのは、もこもことした黒い塊だった。
顔が見えない、不気味で巨大な芋虫……のような何か。
あとから思えばアレは寝袋をかぶった人間だったんだけど、その時の私はあまりの恐怖におののいた。
「ひぎゃぁぁぁあぁあぁぁ……っ!」
まさか、入ってきたのが巨大芋虫だなんて思いもよらなかった。
「ま、ましろちゃん! 大丈夫だよ! この子はもう一人の部員の……」
ほたか先輩が引き止めようとしてくれたけど、頭の中が真っ白になり、何も考えられない。
先輩の声を背中に聞きながら、私はどこまでも遠く逃げつづけた。
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