第五話「本当にこの物件はお得だ」

「お疲れさまでした......」

去り行くトラックを見ていると、急に肩に疲れがのし掛かってきた。空はすっかりオレンジ色に染まっている。

 一人暮らしでさえ、ここまで引っ越し作業が大変だったとは......これが家族みんなでだったら、もっと大変であろう。たとえ人手が増えたとしてもね。


 ここは、私の新しく暮らすことになった"大谷荘おおやそう"。

「上宮さん、お疲れ様!!」

その大家である"大谷 春海オオヤ ハルミ"さんが、額の汗を拭う。水の入ったペットボトルに手を出す前に、大谷さんに例を言おう。

「大谷さん、助かりました」

「礼なら波崎ハサキくんに言っておくれよ! あたしは軽いもん運んだだけだから!」

大谷さんは常に大谷荘の住民のことを常に気にしているらしい。頼れるお母さんタイプってやつだ。うちのおばさんみたいにお節介じゃないといいけど。

「波崎くんは......もう部屋に戻りましたか?」

「ええ。あの子、他人に対しては積極的に動くのに、自分のことになるとすぐにおとなしくなっちゃうのよねえ......」

「それじゃあ私が直接乗り込んでお礼を言います。彼が用事をしていなかったら」

「ええ、それがいいわ! 彼が用事をしていなかったらね」


 ちょっとした連携の取った会話を終え、私は大谷荘の階段を登って二階にきた。私の部屋が201号室。その隣に、波崎 繰矢ハサキ クルヤくんが暮らしている。

 ドアの横についているインターフォンに指を突きつける。ピンポーンという軽快な音と共に、ドタドタと走ってくる音が聞こえてくる。


ガチャ


「あ、上宮さん」

「波崎くん、何か用事してた?」

「いえ、ただそろそろ夕食を作ろうと考えていたところです」

波崎くんは一島町の大学に通っている。先ほど大谷さんが言った通り、自分のことに関することは消極的なのに、人助けになると急に積極的になる性格。私も大谷さんと共に引っ越しの作業を手伝ってくれた。

「そうか、私も特に用事はないんだけど......引っ越しの手伝い、ありがとう。結構疲れているだろう?」

「いや、別に大丈夫ですよ。中学では吹奏楽やっていたので、重い物を運ぶのは慣れているんです」

彼の運びっぷりは素晴らしいの一言が似合うだろう。タンスを片手で持ち上げる......ことはさすがに出来ないが、相手と息を合わすことが大変上手なのだ。波崎くんと運んだ時にそれを感じた。

「以外と宅配の仕事に向いているんじゃない?」

「いやいやいや、とんでもない! 私、他人の部屋に入ると緊張するんですよ!」

......先ほどは気さくに話ながら私の部屋に運んでいたんだけどねえ。




 今、大谷荘にいるのは私を含めて三人だけだった。といっても、他にもすんでいる人間はいるよ。今は仕事などで帰っていないだけだ。彼らが帰ってきたら挨拶しないと。

 夕方と言っても夕食にはまだ早すぎる。料理するならいい時間だけど、今日は外食する気分なんだ。結構近くなので、それまでは部屋でくつろぐとしよう。


 私の部屋はアパートにしてはそこそこ条件がいい。結構な広さ、ユニットバスあり。その上交通の便もいい。まあ私には愛車があるけどね。

 ここまで条件がいいと、家賃がお高いんでしょう? いやいや、この部屋は王道的なアレで大変安くなっているのだ。王道的なでね。




 そう、前にこの部屋に住んでいた人が失踪したというなのさ。それも午後の時間帯に物音がするというオプションが標準装備の。




ガザッ


 ......まさか思い出したそばから物音がするとは思わなかった。一応今は午後だが。私はベットからそっと起き上がり、物音が聞こえてきたキッチンに向かって足を進める。


ガサガサ......


 Gゴキちゃんを思わせる物音の正体は、だった。よく見てみると、一本ではなく四本。普通の腕よりも細いそれは、すべて水道の排水溝から出てきており、何かを探しているようだ。

 こういうのを見ると、普通は逃げるか通報するかバットで叩くか気節するかのどれかだよね。だけど私は、謎の好奇心によってこれとは別の、あり得ない行動に出る。


「軍手を着けずに、素手のままで腕の先の手と握手シェイクハンドッ!!」

案の定、謎の腕は暴れだす。その様子に気づいた他の腕たちも私の握る手に向かって伸ばしてくる。必死に剥がそうとしているけど、そんな力じゃあ妙なテンションに支配された私の好奇心を食い止められない。

 握った感想としてはヌルヌル......という感じではなかった。サラサラとした肌触りが、思いがけない触り心地を堪能させる。

 さて、この位にしていた方がいいかな? 腕の持ち主は手探りで探していることから、私のことが見えないことがわかる。それに、先ほどの叫びも聞こえないことから、相手はかなり遠くにいるようだ。元々は腕の持ち主と話してみたかったんだけど、聞こえないのなら仕方ない。引っこ抜くのは相手に悪いし、私は手を離し......


 ......ッ!?

 私の背中に鳥肌が走り、一瞬息が止まった錯覚が起きる。あの腕が......いきなり......もしも......もう少し手を離すのが遅かったら......




 呼吸を整え終えたころには、もうすでに腕たちはいなくなっていた。

「不用意に近づくことが危険......その授業料は......タダ......本当にこの物件はお得だ」

呟く余裕が出来たころ、手の異臭に気づき、キッチンの水道で洗おうと思った。

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