第十一章 ルブタン
長瀬家の遺産相続を巡る民事訴訟の上告審は、彩乃を被告に変えて行なわれる予定であったが、関係者が次々に死亡するという異常事態を受け、その開催が更に遅れていた。原告の長瀬竜一郎と高橋美鈴は、竜也は、大里を殺した疑いが持たれていることや、第一審で、裏切り的な証言をした沢柳も殺人犯として指名手配された情勢に鑑み、自分たちが圧倒的に有利になったと確信しているようだった。しかし聡理は、上告審勝訴のためには、被告の竜也が、彩乃、仁藤、沢柳等と共謀、あるいはそれらを使嗾して、違法な遺言証書を作成したという証拠を示す必要があるとの見解であった。史郎も全く同様の見解で、弁護士二人が口を揃えて原告側に説明した結果、勝訴するのは簡単なことではないことを竜一郎も美鈴も納得したのであった。
原告二人の理解も得たので改めて、史郎、聡理それに悟郎を交えた三人で今後の方針を検討した。沢柳が逮捕されたら、民事裁判に関する有利な供述が得られる筈なので、それが強力な証拠となると史郎は指摘した。悟郎も聡理のその指摘に同意したが、沢柳が逮捕されるまで何もしないで待ち続けるのはどうかということになり、銀座の高級クラブのホステス時代の彩乃と、同じ頃、銀座でホストをしていた仁藤がどのような関係であったかを調査することになった。彩乃と仁藤が、マスコミの報道するような間柄であったら、竜也、彩乃、仁藤の三人は、奇妙な関係で結ばれていることになり、共謀して違法な遺言証書を作成した可能性が高くなると考えたからである。
悟郎は夜の銀座八丁目の街角に立ち、聡理がやってくるのを待っていた。銀座のクラブに関することなら、アビアントの由香里ママに聞くのが一番と思ったからだ。
十一月に入り夜間はかなり冷え込む。コートのポケットに手を突っ込み、電飾看板が華やかな夜のクラブ街を先ほどからぼんやり眺めている。こんな時、無性にタバコを吸いたくなるが、昨今の街中は何処も路上禁煙なので我慢するしかない。タクシーが時折やってきて、クラブのママらしい和服姿の女性や、ホステス風の女性を降ろして走り去って行く。聡理もタクシーで来るとのことだったので、タクシーが停車するたびに注意を払っていたが、まだやって来ない。腕時計を見ると約束の時間五分前であった。その時、一台のタクシーが数メートル先に止まり、丈の長いトレンチコートを着た女性が降り立ち、近づいて来た。その女性の顔は、逆光のため判然としないが、聡理に違いないと思い、悟郎もその女性に歩み寄った。しかし近づいた女性は、かなり背が高い。百七十八センチある悟郎と同じ位かもしれない。
〈人違いか〉
と思ったその時、声がかかった。
「お待たせしました」
矢張り聡理であった。美容院でセットしたのだろう、髪をアップにし、濃い目の大人メイクをしている。
「背丈が高いので、一瞬別人かと思った」
「今日は気張って、ルブタンの十五センチのピンヒール履いてきたんです」
トレンチコートの裾をあげて、真っ赤なハイヒールを悟郎に見せる。
「へぇ、そりゃすごいや」
答えたものの、ルブタンが何なのか分かっていない。
「アビアントは、どのビルかしら。すぐ近くなんでしょう?」
ピンヒールを履きなれていないのだろう、聡理の歩行は覚束ない。
「うん、その目の前のビルの八階さ」
悟郎は聡理のをエスコートして、目指すビルのエントランスに進んだ。
「いらっしゃい、お待ちしていました」
クラブのママの由香里が、笑顔で悟郎を店に迎え入れる。
「無理なお願いをして、申し訳ありません」
悟郎は面目なさげに頭に手をやってママに挨拶する。
「そんな他人行儀はなしにして下さいな。それより、早く、中にお入りになって」
悟郎は、扉の後ろに立っている聡理に声をかけ、一緒に店の中に入る。
「あら、今度も女の方とご一緒?」
すらりとした高身長の女性が入ってきたので由香里ママは悟郎に聞く。裾丈の長いトレンチコートを着た女性が、聡理だとまだ気が付いていないようである。
「以前、こちらにお邪魔した時は酔ってしまい、醜態をお見せしました。大変失礼しました」
聡理がコートを脱ぎ、黒いイブニング姿になったところで挨拶する。
「えっ!ちょっと待って、あなた、あの時の弁護士さん?」
さすが銀座のママだけあって、観察眼が鋭い。聡理であることをすぐに見抜いた。
ママに案内されて、奥のボックス席に向かう。聡理が着ている黒いドレスは、Vネックで、深く胸元が抉られているが、長袖でありエレガントなものだった。しかし後ろ姿を見て悟郎はギョッとする。背中が大きく空いていたからだ。そのうえロングスカートの片側に大きなスリットが入っていて、歩く度にピンヒールを履いた白い脚が見え隠れする。
「そのドレス、とってもお似合いよ」
二人を席に案内し、自分も席に着くと、ママが本気顔で言う。
「有難うございます。銀座の高級クラブに相応しい格好と考えて、イブニングドレスにしました」
高級クラブと言われて気を良くしたのだろう、ママは上機嫌である。
「こんなに綺麗でセクシーなら、うちの店で働いて貰いたいぐらいだわ」
その時、フロアスタッフがウイスキーや氷などを持ってきてテーブルに置く。ママは話すのを中断して、水割りを作り始める。
「あのう、早速なんですが、仁藤と彩乃さんのこと、お願いできますか?」
「はい、はい、分かっていますよ。単刀直入は何時ものことですからね」
ママはウイスキーの水割りを二人に差し出すと、これは銀座の親しい信頼の置けるママ仲間から聞いた話なので、それなりに信ぴょう性があると思うと前置きして話し始めた。
≪子供のころの仁藤は、近所でも有名な悪ガキで、中学を卒業すると暴走族の仲間となり、数年後には周辺一帯の不良少年を束ねるリーダーとなった。暴力、傷害、恐喝などの行為のため少年院に収監されていたこともある。十代後半になると、年齢偽って銀座のホストクラブのホストとして働き始める。イケメンではないが、影があり、凄味のある風貌が、玄人筋の女性に受けて短期間でその店のナンバーワンとなる。客は、高級クラブのホステスや風俗業の女性がメインで、その人気は高く、ホスト業界でも有名な存在であった。
銀座のクラブのママ仲間では、仁藤は要注意人物とされていた。売れっ子ホステスに近づき、手練手管を駆使して夢中にさせ貢がせる。そのホステスは、貢ぐ金を稼ごうとして、品性に欠ける営業をして店の評判を落とした。また多額の移籍料を狙って、店替えをさせるので警戒されたのである。
四十代になると、ホスト稼業を辞め、風俗営業向けの経営コンサルタント会社を設立したが、裏であくどいことをしているとの、専らの噂だった≫
説明を終えて、由香里ママは、フロアスタッフに運ばせた烏龍茶を飲んで一息入れて続ける。
「結婚前のお嬢さんを前にして、話すのはちょっと憚れるのだけど、いいかしら?」
「私なら構いません。弁護士として様々な事例を見てきていますから」
聡理はセレブな大人になりきったかのように、毅然とした態度で答える。弁護士になったばかりで、事件の経験などあまり無いのを知る悟郎は、ママが何を話し出すか少し心配になる。
「それなら話すけど、仁藤は、天性のジゴロだったらしく、相手の女性の好みに上手く合わせるのに長けていたらしいの。あっちの方のテクニックも並離れていたから、みんな参ってしまうのね。M的な資質と分かれば、倒錯的な調教をして、マインドコントロールしてしまうのよ。そうしておいて店を移籍させてしまうのだから、私たち銀座のクラブのママにとっては天敵よ。ほんと始末が悪いわ。ホステス時代の彩乃も、仁藤のいいなりで店を辞めて、他の店に移籍したらしいわ。これは彩乃が務めていたクラブのママの話しだから本当だと思う」
かなり際どい話であったが、聡理は相変わらず平然として聞いていた。
「有難うございました。仁藤と綾乃が、密接というか大変特殊な関係にあったことがよく分かりました」
悟郎が頭を下げて礼を言うと、聡理もエレガントな仕草で頭を下げた。
「さてと、私の話しはこれでお終い。今日はゆっくりしていけるんでしょう?」
「いや、その・・・」
悟郎がすぐ帰ると言いかねて、モゴモゴ口ごもっていると、聡理がママに話しかけた。
「あのう、カレンさん今日いらっしゃれば呼んでいただけますか?」
「あぁ、カレンちゃんね。今日は出番よ。すぐ呼ぶわ」
しばらくして露出度の高いミニスカート姿のカレンがやってきて嬌声をあげる。
「わーっ! 悟郎ちゃんじゃないの、久しぶり」
カレンは、いつも同じセリフだ。
「あら、今日もご同伴?」
悟郎の隣に優雅に座る聡理を見て、首を傾げる。
「この前の人は地味だったけど、今度は随分お綺麗な人ね」
カレンは悟郎の隣に座るべきか迷い、立ち続けている。
「その節は、酔ってしまい失礼しました」
聡理が立ち上がり軽く頭を下げる。カレンよりも十センチほども背が高い。
「いえ、そんな・・・!?」
カレンは曖昧に答えて、悟郎の空いている方の隣席に腰を下ろす。聡理がその反対の隣りに座ったので、悟郎にとっては両手に花だ。カレンは、イブニングドレス姿の女性が聡理とは気が付いていないようである。由香里ママの観察眼にはまだ遠く及ばない。
それでも、しばらくして、カレンは、その女性が聡理であると気が付いたが、時すでに遅し、聡理に圧倒され通しであった。聡理は見事リベンジを果たしたと言えるだろう。
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