第十章 ハロウィン

 悟郎は東京に帰ると早速、今回の軽井沢行きで得た情報を我妻に伝え、長瀬家の別荘の家宅捜索を要請した。我妻は安西刑事の協力のもと、カーポート施工業者である関口から得た情報等を分析し、強制捜査可能と判断した。所定の手続きの後、大型重機を投入して、別荘のカーポートの下を掘り返すと、果たして大里サチの遺体が現れた。

 警察は当初、遺体遺棄事件として捜査を開始したが、大里は殺害された可能性が極めて大きい判断され、捜査本部が軽井沢警察署に設置された。また、長瀬竜也溺死事件との関連性から、六本木の捜査本部と密接に連携して捜査をするとの方針も決まった。

 長瀬竜也が、大里サチの殺害及び遺体遺棄の容疑者に挙げられたのは当然の成り行きであった。しかし、その後の捜査は思の他難航した。安西を始めとする地元警察の刑事が聞き込みを行い、大里サチの死亡推定日に竜也が運転する車に、サチが乗っていたことなどが判明したものの、竜也を犯人と断定する決定的な証拠を見つけられないでいた。

 一方、六本木警察の捜査本部でも、我妻の懸命の努力にも拘わらず、他殺事件としての捜査は遅々として進まなかった。他殺説に反して自殺説は、竜也が大里サチ事件の容疑者になったことから、従前に増して勢いを得ていた。その根拠は、竜也が大里を殺したとするなら、遺産トラブルに加え、殺人という大きなストレスを抱え込んだに相違なく、精神を病んでいた竜也が自殺することは充分考えられるというものであった。他殺説に拘る我妻にとっては不本意ではあったが、当面は、軽井沢警察における大里サチの事件解明を待つ他なく、手持無沙汰な日々が続いていた。


 長瀬家の別荘への家宅捜査をした翌月の十月、六本木ヒルズ内にある外資系ホテルで、殺人事件が発生した。我妻は長瀬竜也溺死事件の専任であり、正式な捜査要員に加えなれなかったが、余力があると看做されて、応援に駆り出され現場に向かった。

 殺害現場は、十八階のツインベッド、スタンダードタイプの客室であった。すでに先行した刑事や検視官が一通り現場検証を済ませており、鑑識が指紋採集や写真撮影などの作業をしている最中であった。白手袋をし、部屋の入口に立つ制服警察に敬礼して室内に入り込む。部屋の内部は特に乱れた個所はなく、中央の床に被害者が血を大量に流してうつ伏せに倒れていた。絨毯には、どす黒い血痕が広がっており、鑑識が写真撮影するために、ナンバープレートをいくつも床に置いている。我妻はそれらのプレートを踏みつけぬよう回り込んで、死体の頭部近くに屈みこんだ。


「ナベさん、致命傷はこの首の傷かい?」

鑑識主任の渡辺とは、ツーカーの仲である。

「あぁ、鋭利な刃物で首を掻き切られている」

「頸動脈切断か、大量の血が噴き出るわけだ」

「そうだけど、腹部や胸部も無数に刺されていて、そこからも大量の血が流れ出しているんだ」

「ふーむ、執拗に刺されたんだな、とすると怨恨か?」

「財布などは盗まれていないので、物取りの犯行の線は薄いそうだ」

我妻は頭を低く下げて、被害者の顔を覗き込む。被害者は、側頭部を床に着けているので顔面の凡そは確認できる。

「ほー、相当な悪党面だな」

「アガちゃん、ホトケに向かってそれはないよ」

「ご尤も、俺の失言だ。ところで、身元は分かったのかい?」

「運転免許証があったらしいから、分かるんじゃないの。署に帰って聞いてみたら」

「あぁ、そうする。仕事の邪魔したな。署に帰るわ」

 ホテルを後にした我妻は、帰りの車中で、この事件の正式な捜査要員に加えてくれるよう署長に頼み込もうと決意していた。凄惨な殺人現場を見て、刑事の血が騒いだのだ。

 

 この事件は、その後、意外な展開を見せる。被害者は仁藤秀栄。仁藤は長瀬家の遺産トラブル訴訟における証人で、竜也とは昵懇の間柄の経営コンサルタントであることが分かったのだ。殺された仁藤秀栄も、殺害され埋められたと思われる大里サチも、長瀬竜也の関係者であり、長瀬竜也溺死が他殺である可能性が俄然高まった。こうした情勢から、これらの三事件は広域連続殺人事件に指定され、警視庁捜査一課の管理官を本部長とする合同捜査本部が六本木警察署に設置されることになった。そして我妻は、これまでの成り行きで、その捜査主任に任命されたのである。

 合同捜査本が設置されて間もなく、悟郎は我妻の要請を受けて、六本木警察署の合同捜査本部にやってきた。外資系高級ホテルの防犯カメラに写っている人物の中に、顔見知りがいないか点検してくれという要請であった。


「いやー、忙しいところ済まんな」

何時になく我妻は、愛想が良い。

「全くですよ、こんな忙しい時に、こちらはエライ迷惑です」

悟郎は、我妻に対して遠慮ない。

「まぁ、そう言うなよ。長い付き合いじゃないか」

「なんで私が防犯ビデオ見なきゃならないんですか?仁藤に親しい者は他にいるでしょう」

「仁藤に関係する者には、もう大方このビデオを見て貰っている。しかし、不審人物は見つからないんでな、長瀬家の相続トラブル関係者が写ってやしないかと思ってあんたに見て貰うことにしたんだよ」

「はぁー、そういうことですか。あまり期待しないけど念の為ってやつですね」

悟郎はむくれる。

「そんなことはない。あの彩乃って奥さんが写ってるかも知れんじゃないか」

我妻に指摘されて、ギョッとする。警察は仁藤殺しの容疑者の一人として彩乃をマークしているらしい。

「分かりました。協力しますから、何をすればいいか言って下さい」

「電話でも伝えたように、パソコン画面で、防犯ビデオを見て欲しいんだ」

我妻は机の上のデスクトップ型のパソコンを指さす。

「はぁ、なるほど」

悟郎はパソコン前の椅子に座り、画面を眺める。

「ちょっと時間かかるかもしれんが、最後まで頼むよ。それから、パソコンの操作は分からないので、係の者に任せるので、よろしくな」

我妻はそういうと、悟郎の返事を待たずに部屋を出て行ってしまった。代わって入ってきたのは、制服姿の若い婦人警官だった。背格好が聡理と同じ位だったので、コスプレした聡理がやってきたのかと一瞬思ったが、よく見れば、きつそうな感じの全くの別人であった。

 大久保と名乗った婦人警官のテキパキとした指示に従い、悟郎は録画ビデオを見始めた。しばらく見続けたが、どういうわけか映っている人物の大多数が仮装している。場所はロビーやエレベーターのエントランスなどホテルの施設内なので、被写体がホテルの宿泊客であることは間違いない。仮装をしていない人も中にはいるが、ほとんどがベルボーイなどのホテル従業員であった。

「なんでみんな、仮装しているんですか。これじゃ誰が誰だか分からないよ」

悟郎の後ろに立ち、腕組みして画面を一緒に眺めていた大久保が頷く。

「そうですよね。分かりませんよね。実はこの日、ハロウィンだったんです」

「マジか!えーっ、ハロウィンは渋谷で若者が仮装して騒ぐもんじゃないの?」

大久保は宥めるように、悟郎の肩をポンポン叩き答える。

「それがねぇ、数年前から所轄内の六本木ヒルズでもハロウィンのイベントをやるようになってね。周辺のホテルが宿泊客に、仮装に関する様々なサービスを提供するようになったのよ」

「あぁそう言えば、ヒルズのハロウィン、テレビのニュースで観たことがある気がする」

「ご理解いただきありがとう」

「まぁ、それは理解したけど、仮装した人を見続けても仕方ないんじゃない?素顔が分からないのだから」

大久保は、悟郎の前に回り込み、じっと悟郎の眼を見つめる。

「あなたがそう言うに違いないけど、最後まで見させるようにって我妻主任から厳命されているの。上司の命令だし、公務を最後まで確りやり遂げなけなければなりません。これもご理解いただけますよね」

強引に申し渡されて、ご理解するしかない悟郎であった。


 一時間ほども画面を見続けただろうか、眼がショボショボしてきた頃、一人の仮装していない人物がいて注意を引いた。それはノーネクタイ、ジャケット姿の男で、混み合うロビーを急ぎ足で歩いており。ふと見上げた顔になにやら見覚えがあった。

「そこ止めて下さい」

近くの椅子に座りウトウトしていた大久保がビクッと肩を震わせて頭を上げる。

「はいはい、どこですか」

そばに寄ってきた大久保が、パソコンのマウスを握る。

「ちょっと巻き戻してくれませんか・・・あっ、そこです」

男が防犯カメラの方を見上げた場面で画像はストップした。

「この画面のズーム、できますか?」

「はい、よいしょっと。こんなもんでいいですかね」

大久保が、マウスを操作してズームアップした画面を悟郎は凝視する。

「この男、知り合いですか」

考え込み、黙り込んだ悟郎の返答を急かすように大久保が問いかける。

「えぇ、画面が不鮮明なので、よくは分からないけど、知り合いの人物に似ているような気がするんです」

悟郎の答えを聞いて、大久保は喜色を露わにして立ち上がる。ダメ元で始めた作業がヒットしたので嬉しかったのだろう。

「ホントですか。それじゃ我妻主任を呼んできます。すみませんが続きを見ながらお待ち下さい」

大久保が部屋から出ると、悟郎は、眼精疲労気味の眼を手で擦り、再び静止画面を食い入るように眺めた。クローズアップされているのは、沢柳雅彦によく似た男の顔であった。

「なぜ沢柳が?」

思わず呟き、首を振る。悟郎は、冷静になれと自分に言い聞かす。まだ沢柳と決まったわけではないのだ。混乱する心の中のどこかでは、画像が彩乃のものでなくて良かったという思いもある。訳が分からなくなり、悟郎は椅子から立ち上がると、檻の中の熊のように歩き回った。


 それから数日後、悟郎が防犯カメラの動画記録から見出した人物は、沢柳雅彦であると断定された。科学警察研究所の専門官が、ビデオ画面と沢柳の顔写真を比較検討するなどして沢柳に間違いないと太鼓判を押したのだ。その知らせを我妻から内々に受けた悟郎は、早速、聡理と史郎にその旨を伝えた。聡理と史郎も驚き、三人であれこれ話し合ったのだが、当面は、沢柳に対する捜査の行方を見守るしかないとの結論に達した。

 その後の捜査の様子が、順次、我妻から伝えられた。記者会見などを通じ、マスコミにも情報が公開されたのだが、その内容とは次のようなものであった。


≪合同捜査本部は、沢柳から事情聴取するべく飯田市の自宅や、勤務先のタクシー会社、その他の立ち寄りそうな先に捜査員を向かわせた。しかし、いずれも不在であった為、令状を取り、自宅などの関係先を家宅捜査した。自宅から採集した指紋と、殺害現場に残された指紋を照合した結果、双方の指紋が一致した。沢柳と仁藤は、二人共に長瀬竜也と密接な関係があり、互いに面識がある間柄であることなどが判明した。殺害動機は分からないものの、ビデオの画像と指紋一致という二つの決定的な物証があり、沢柳を仁藤殺害の容疑者として、全国に指名手配するに至った≫


 これらの警察情報を得て、マスコミ各社は、容疑者の沢柳と被害者の仁藤の過去を調べて報道した。沢柳が長瀬家の会長付き運転手であったこと。仁藤は経営コンサルタントと称しているが、元暴走族のホストあがりで、暴力団との関係も噂される人物であることなどが、テレビのワイドニュースや週刊誌の特集で報道された。また竜也の妻の彩乃も、美人妻としてマスコミの注目を集め、元銀座の高級クラブのホステスであった過去の経歴が報道されたのである。そこにはホステス時代の彩乃と、ホスト時代の仁藤が親密な中であったことを匂わす報道も混じっていた。


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