第七章 キャビンアテンダント

 上告審は、被告人死亡という事態を受けて、その開廷が大幅に遅れる見通しになったが、その裁判で勝つには、家政婦の大里を探し出し、証人に立てなければならない。悟郎と聡理は、家政婦の大里の行方を調べることに、一層の努力をすることにした。

 先ず大里が昔、働いていたという菱野温泉の廃業旅館を調べることにし、小諸市の観光協会に電話で照会を入れると、その旅館が高峰荘という名前であることを知ることが出来た。更に、菱野温泉の八幡館には、高峰荘の元従業員が現在も働いているとの情報も得た。そんな次第で、悟郎は聡理と八幡館に行くべく、三回目のドライブをすることになったのだった。

 綾野温泉は、軽井沢の北側に位置する小諸市の高峰高原付近にある温泉郷で、現在営業中の旅館は菱野館と八幡館の二軒だけであった。東京から車で行くときは、軽井沢同様に関越道から上信越道を利用する。小諸インターを出て八幡館までは、通常なら二十分足らずで到着する距離である。ところで、聡理はいつものように、コスプレ姿でシルバラードに乗り込んだのだが、「今回は、ビジネス向きのコスチュームだから」と言い訳して、途中のサービスエリアで弁護士ルックに着替えることをしなかった。今回はキャビンアテンダント風のコスチュームであったから、一応はビジネスウエアである。トナカイやゴスロリよりは、ずっとマシである。なので、悟郎も着替えることを強く求めなったのだ。

 季節は2月の厳寒期、ここ数日来の降雪で、旅館に向かう道路の周囲は一面の雪景色である。東京生まれ、東京育ちの悟郎は、雪道の運転にはまるで慣れていない。標高千メートルのところにある旅館までの道路は除雪してあるが、日陰部分はアイスバーンになっているので、そんなところは徐行して進まなければならない。装着したタイヤチェーンを気にしつつ慎重に運転しながら、〈こんなことなら、新幹線とタクシーを使って来ればよかった〉と心中ボヤクことしきりの悟郎であった。そんな悟郎の思いを知ってか知らずか、聡理は窓の外に広がる雪景色に見入ってご満悦の態である。

 到着した旅館は、近年改築されたのだろう、和洋折衷の白い外壁の建物で、イメージしていた鄙びた温泉宿とういう風ではなかった。聡理は、用意してきた暖かそうな淡いピンクのファーコートを着て車から降り立ち、雪道をハイヒールで旅館の玄関に行こうとする。おっかなびっくり、今にも転びそうである。見かねた悟郎が歩み寄ると聡理は、悟郎の腕に縋りつき何とか旅館の玄関に辿り着いた。

 フロントで来意を告げると、ロビーの奥まった一角に案内された。聡理はコートを脱いで、ソファーに座ったが、キャビンアテンダントお決まりのスカーフを首に巻いたその姿は、山奥の温泉宿ではやはり浮いている。ロビーには団体客が居て、大勢の眼が聡理に注がれているような気がして、悟郎は何か落ち着かない気分であった。と間もなく背広姿の中年の男性がやってきて、「当館の専務取締役の尾形です」と自己紹介した。悟郎と聡理もそれぞれ、名刺を差し出して挨拶と自己紹介をする。尾形は聡理のコスチュームと渡された名刺に目を何回か往復させていたが、「まっ、どうぞお座り下さい」と着席するよう勧めた。

「車でいらっしゃったそうですね。雪道大変だったでしょう」

「ええ、慣れていないもんで、タイヤチェーンを装着するだけでも一苦労でした」

「この辺りは、例年ですとそれほど雪は積もりません。ですが、ここ数日、続けて降ったもんで、お客様のキャンセルが入るは、除雪しなけりゃならんわで大迷惑です」

「でも雪景色素敵です」

聡理はそう言って窓の外に広がる風景に目を向けた。

「すべてのお客様が、この雪を喜んでいただければいいんですが・・・えーっと、ところで人をお探しでしたね」

「えぇ、以前、この付近に高峰荘という旅館があったそうですが、その旅館に仲居として働いていた大里という者についてどなたかご存知ではないかと思いまして」

「あぁそれでしたら、うちの仲居頭の中畑が知っているかもしれません。昔、高峰荘で働いていましたから」

「そうですか、その中畑さんとお会いすることは出来るでしょうか?」

「えぇ、すぐにここに呼びましょう」

尾形は気安く請け負うと、立ち上がり、フロントに指示して中畑にここに来るよう伝えた。

やがて、年配の着物姿の女性がやってきた。互いに簡単な自己紹介が済むと、中畑は尾形の隣に座った。待ち兼ねたように悟郎が早速質問する。

「大里サチさんのことご存知でしょうか?」

「はい、知っています。以前、一緒に高峰荘で仲居として働いていましたから」

「実は裁判の証人になって貰おうと思いまして、行方を捜しているのですが、何かご存知ではないでしょうか?」

「大里さんなら軽井沢のお金持ちの別荘で家政婦をしているはずですよ。そちらはもうお調べになったのですか?」

「はい、確かに軽井沢の別荘で六年ほど働いていましたが、そこは二年前に辞めています。その後の足取りがさっぱり掴めないのです。まったく身寄りがいないので、調べようがなくて困っています」

「私も大里さんから、身内のことや知り合いの人のことなど何も聞いていないんですよ、一体、どこへ行ったんでしょうね、私にも見当がつきません」

それまで、会話に参加せず聞き役に回っていた聡理であったが、何か思いついたように口を挟んだ。

「あのう、大里さんが昔世話になった人が横浜にいるようなんですが、何かご存じありませんか?」

そういえば家政婦紹介所の坂口がそんなことを言っていたことを悟郎も思い出す。

「あぁ、横浜なら高峰荘の元女将のところかもしれないわ。横浜の中華街の近くで、小料理屋やっているから」

「現在もその小料理屋やっているでしょうか?」

「やってると思うわ。毎年、年賀状の交換をしているけど、商売止めたなんてどこにも書かれていないから今も続けているに違いないわ」

「年賀状交換しているなら住所分かりますよね」

「ええ、勿論、自分の部屋から住所録もってきます。少しお待ち下さいね」

 

 数分後に戻ってきた中畑から、元女将の横浜の住所と店の名前を教えて貰いそれで用は済んだのだが、温泉旅館にきて湯に入らず帰るのは勿体ない。尾形に日帰り入浴が出来るか尋ねると、OKだというので、湯に浸ってから帰ることにした。早太郎温泉郷の旅館で、温泉をすっかり気に入った聡理にとっても異存のないところであった。


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