第四章 着ぐるみのトナカイ
大里サチが依然として行方不明のため、諦めかけていた沢柳雅彦に対する証人要請を、改めて行なうことになった。悟郎と聡理が長野県の飯田市に出向いて、沢柳に直接会い、説得することにしたのである。
そんな訳で、今回も悟郎は聡理と一緒にドライブすることになり、待ち合わせ場所の神楽坂の赤城神社に向けて愛車を走らせていた。師走の街は、赤・緑・白などのクリスマスカラーで彩られている。午前十時になり、商店街のシャッターが次々に開き、街頭スピーカーからは、クリスマスソングが流れだした。
待ち合わせ場所が前方に見えてきたが、聡理の姿は見当たらない。代わりに、着ぐるみのトナカイが、伸び上がるようにしてこちらの方を見ている。嫌な予感を抱きつつ、トナカイの前で停車すると、案の定トナカイは「お早うございます。今日もよろしくお願いします」と言って、にこやかに手を振った。頭に生えている角がゆらゆら揺れている。悟郎は、窓ガラスを下げて、トナカイをよく観察する。着ぐるみではあるが、顔は出るタイプのものなので、それが聡理と知れたのだが、ご丁寧に赤い丸鼻までつけている。
「今日はまたどういうこと?」と悟郎があきれ顔で問うと「もうすぐクリスマスなので、赤いお鼻のトナカイさんになってみました」と嬉しそうに言う。しかし悟郎の浮かない表情を見ると、「いけなかったでしょうか」としょげ返った。ぶりっ子を演じているような気もするが〈まっ、いいか〉と心中で呟き言葉を探す。
「うーん、もうすこし地味なコスチュームにしてくれるとありがたいな」
「えぇ! これ派手ですか? 最初は定番のサンタさんにしようと思ったんだけど、赤い衣装で目立つと思って、茶色のトナカイさんにしたんです」
「わかったよ、それで構わんから、途中のサービスエリアでちゃんと着替えてくれよ」
「イェッサー、それじゃ行きましょうか」
聡理は、足元に置いてあった大きな旅行バッグとコートを抱え上げると、喜々として助手席に乗り込んできた。
これまでの経験で、聡理がコスプレマニアであることはよく分かっている。でも聡理のコスプレはちょっと変わっている。通常のコスプレーヤーは、アニメや漫画の憧れのキャラクターに扮するものであろう。それなのにトナカイの着ぐるみである。聡理の場合は特定のキャラクターに同化するというよりは、何でもいいから変身して、常日頃の自分から解放されたいという願望が強いのだろう。聡理がコスプレするのは、それなりの理由があってのことに違いないが、一緒に行動する悟郎にとっては、迷惑なことであった。
前回のドライブは軽井沢であったが、今回は飯田である。同じ長野県だがコースは大きく異なる。軽井沢へは関越自動車道を経て信越自動車道を利用するが、飯田へは、中央自動車道で行く。長野県は北海道、岩手県、福島県に次いで四番目に面積が大きい県であり、県の北寄りに位置する軽井沢と、県南の飯田の間はかなり離れていたのである。
今回も比較的順調に進んで、午後一時少し過ぎに、諏訪湖サービスエリアに到着した。ここで聡理は、トナカイの着ぐるみのまま、ご当地グルメの野沢菜おやきと牛すじ黒カレーパンを美味しそうに食べた後、渋々ながら弁護士ルックに着替えた。
沢柳とは、国道一三五号バイパス、通称アップルロードのファミレスで午後三時に会う約束をしていた。そこは、飯田でタクシーの運転手をしている沢柳が指定したのだが、道の両側のりんご並木には、採り残しのりんごが、まだ実をつけており聡理を喜ばせた。
予定時刻の少し前に、ファミレスに着き、沢柳がやってくるのを待っていると、紺色の制服をきた男が入り口に現れた。悟郎と聡理が立ち上がるのを認めて、沢柳らしい男は二人の席に近づいてきた。軽井沢の駐在所で見かけたときは、実直そうな初老の男性という印象であったが、近くでよく見ると意外に若かった。それもその筈、聡理のデータによれば四十六歳ということであった。
「沢柳です」
物腰は柔らかで、実直そうな印象は変わらない。
「矢吹です。本日はお仕事中にも拘わらず、お会いいただきありがとうございます」
「弁護士の三沢と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
悟郎と聡理はそれぞれ挨拶をして、名刺を差し出す。
「あ、どうも、名刺は持ち合わせないので失礼します」
一同は席に座り、それぞれ飲み物を注文すると、悟郎は用件を切り出した。
「しつこい様ですが民事訴訟裁判の証人の件、ご承諾願えないでしょうか?」
「わざわざ遠くまで来ていただいて申し訳ありませんが、それは勘弁して下さい。法廷で証言するなんて考えただけで足が震えます。それより、証人なら私なんかより、家政婦の大里さんが最適任と思いますよ。なんせ、会長の一番身近にいたんですから」
「おっしゃる通りなんですが、その大里さんの行方が分からなくて証人になって貰えそうにないのです」
「えっ、そうなんですか?」
悟郎は、軽井沢での調査結果を伝え、沢柳の他に適切な証人がいない旨を縷々説明し、証人になってくれるよう要請した。聡理も、すべての国民は証人になる義務があると法律で定められていることや、旅費・日当が支払われることなど熱弁するが、沢柳はそれでも頑として拒絶する態度を変えようとしない。
「それほどして拒み続けるのは、被告側からなにか頼まれているとか、特別な理由があるのではなんて勘ぐってしまうのですが、どうでしょう?」
「そんなことはありません。確かに長瀬家の使用人として給料はいただいていましたが、特別な恩義はありません。大旦那様が亡くなられたら、即、首にされて、憤りを覚えているぐらいです」
沢柳は如何にも心外だというように、語気を強めた。
「失礼なことを言って申し訳ありませんでした。気を悪くしないで下さい」
素直に頭を下げる悟郎を横目に見て、聡理が話し出す。
「事情は良くわかりましたので、これ以上の無理強いはしません。ですが、当時の竜造氏の認知症の様子だけでもお話しいただけませんか?」
聡理が、食い下がる。このような時は、聡理は根性を発揮する。
「この場でお話しする分には構いません」
聡理の一種迫力ある懇請には、誰も抗しがたいようでる。
「ありがとうございます。それでは早速ですが、公証役場で遺言がなされた頃の竜造氏は、どんな具合でしたか?」
「どんな具合って・・・・」
「例えば徘徊が始まっていたとか」
「あぁ、徘徊はその当時からありました。尤も、そんな遠くに行かずに、家の周りを歩いていたので、すぐに探すことができました」
「他人とのコミュニケーションはどうですか?家族や使用人の皆さんなどと意思疎通が出来ていたのでしょうか?」
「あの当時も奥様以外の人とは意思疎通が困難でしたね。家政婦の大里さんが、ボヤいていました。食事や下の世話は私がしているのに、奥様のいうことしか聞いてくれないと」
「竜造氏は彩乃さんの言いなりだったのでしょうか」
「言いなりだったかどうか分かりませんが、奥様の言うことは何でも聞き分けていたようです」
聡理がしばし考え込み、口を閉じたところで、悟郎が口をはさむ。
「被告側からこれまでに、何か連絡はありましたか?」
「何もありません。私を証人にしたら、自分たちに不利になると考えているんじゃありませんか」
「成るほど、でももし、被告側から証人要請があったらどうしますか?お引き受けになるのでしょうか?」
「引受けませんよ。何度も言いましたが、私には荷が重すぎます」
そう答えて、腕時計を見た沢柳は、会社に戻らなければならないと言い置いてファミレスを出て行った。
悟郎と聡里も勘定を済ますと、ファミレスの外に出た。辺りはすでに暮れなずんでいる。飯田盆地の西方向に位置する中央アルプスの山並みはすでに黒いシルエットになっていて、沈んだ夕日の残光がその上空を赤く染めていた。
「上首尾とは行かなかったね」
悟郎が慰めるように言う。
「そうでもないわ。法廷での証言は無くなったけど、さっき話してくれたことは、文書にして裁判所に提出できるもの」
意外やサバサバしており、落ち込んだ風はない。
「それならいいけど」
「それより、夕食なんですけど・・・・」
「えっ、夕食?」
突然の話題転換に思考停止状態に陥る悟郎であったが、聡理はお構いなしに話し続ける。
「わたし、ネットで調べたんだけど、ソースかつ丼が名物らしいです」
「はい!? ソースかつ丼って・・・まっいいか、お付き合いしますよ」
「わぁ、うれしい。ソースカツ丼にするか、ローメンにするか悩んだんですが、やっぱりお肉ですよね」
「ローメン? 」
「ソースカツ丼は駒ヶ根市、ローメンはそのお隣の伊那市のご当地グルメなんです。ローメンというのはですね」
「わかった、わかった、ローメンの説明はいいから、ソースカツ丼食べに行こう」
駒ヶ根市は飯田市に隣接しており、四十分弱でお目当てのソースカツ丼店に到着した。その店で聡理はメニューから、信州御膳(ソースかつ丼と馬刺と蜂の子更に信州そばのセット)を、悟郎は信州ロースソースかつ丼をチョイスした。聡理は馬刺しと蜂の子にも果敢に挑み、そのすべてを平らげた。店を出たときは六時を過ぎており、周囲はすっかり暗くなっている。ここから自宅到着までは、渋滞や途中休憩を考慮すると五時間程度は覚悟しなければならない。その長い夜間ドライブを思いやり、悟郎は聊かげんなりしてシルバラードをスタートさせた。
「私が運転替わればいいですけど、まったくのペーパードライバーで」
「気を使わなくていいよ、この車は左ハンドルで、慣れない人には運転が難しい」
「でもなんか疲れていませんか?」
「今はそれほど疲れちゃいないけど、中央高速は今夜も渋滞らしい。それを思うとげんなりする」
「あのう、もしよかったら、この近くで泊まっていきませんか?」
「うん? そりゃ構わないけど、聡理さんは大丈夫なの? 仕事の予定とか」
「明日の予定は午後からなので、朝早くに立てば大丈夫です」
「そう、それじゃこの近くのビジネスホテルを当たってみるか」
「どうせ泊まるなら、純和風旅館にしませんか。私、まだ泊ったことないんです」
「いやいや、そりゃまずいでしょう。ホテルならシングル二部屋にすればいいけど、和風旅館はそうはいかないし」
「私は、同室でも構いません。矢吹さんを信じていますから」
「いや、そういうことじゃなくて・・・とりあえずビジネスホテルを探してみよう」
悟郎は、ハザードランプを点灯し車を道路わきに停車させ、スマホでホテルを検索した。駒ケ根市内のホテルを探すが適当なところはなかなか見つからない。その間、聡理もスマホで何やら調べていたが「ねぇ、ねぇ、ここはどうかしら。このすぐ近くの早太郎温泉、露天風呂付純和風旅館ですって。部屋空いているか聞いてみます」
聡理は悟郎の返事も聞かずに電話を掛ける。
「空いているって。夕食は無理だけど、一泊朝食付きならいいって。私、浴衣着てみたいの、ねっ、いいでしょ」
聡理にとっては、旅館の浴衣姿も一種のコスプレなのかもしれない。それに、和風旅館の宿泊経験がないのだとすると、泊まってみたいと思う気持ちも分からないではない。そこで悟郎は、「まっ、いいか」と言ってしまったのだが、聡理は「やったー!」と、子供のように叫び「はい、それでは朝食付き一泊、二人ということでお願いします」などと予約をしてスマホを切った。
早太郎温泉の旅館には、十分もかからずに到着した。その十分弱の間に聡理は、早太郎温泉は、駒ケ根高原の名刹「光前寺」の周辺にある温泉地で、温泉名の「早太郎」は、その昔に光前寺で飼われていた霊犬早太郎に由来することなどネット仕込みの情報を悟郎に話して聞かせた。
聡理が予約したのは、光前寺仁王門にほど近い、純和風の小さな旅館であった。聡理は旅館入り口の和風な佇まいに接して、すでにテンションがあがっている。玄関に至る石畳には、所々に路地行燈が置かれ、暖色系の淡い光が訪れる者の足元を照らしていた。玄関では半纏姿の番頭風の男性が愛想よく出迎え、靴を脱いで上がるように言い、二人をフロントに案内した。聡理にとっては、靴を脱いで畳敷きの廊下を歩くことも新鮮だったようで、いかにも楽しそうである。
案内された部屋は、床の間付き八畳の和室で、奥に次の間が付いているらしい。聡理は興味津々という顔つきで、室内のあちこちを点検していたが、次の間の襖を開け、そこに寝具が二つ並べられているのを見て、立ちすくみ「オーマイガッ!」と呟いた。
「びっくりしたようだね。でも心配ないよ、俺はこっちの部屋で寝るから」
「いえ、私はノープログレムです。矢吹さんのこと信じてます」
「そういうわけにはゆかないさ、それより早いとこ浴衣に着替えて露天風呂に行こう」
悟郎は、浴衣と帯それに旅行バッグを聡理に渡し、次の間に押し込み襖を閉めた。
「着替えたら出ておいで、一緒に風呂に行くから」
しばらくたっても、聡理は出てこない。
「おーい、着替えは済んだかい?」
「あのー、露天風呂って男女混浴なんでしょうか?」
そんなことを心配していたのかと可笑しくなり、悟郎は、すこしからかってやろうという気になった。
「もちろんだよ、純和風は昔から混浴と決まってる」
「えぇー、ほんとですか、他の男の客も一緒ですか?」
「あったりまえだよ、みんな一緒さ」
「私、矢吹さんとだけなら入っても・・・あっ、もちろんバスタオル巻いてですけど。でも他の人とはちょっと」
「あはは、ジョーク、ジョーク、男女別々だから心配ないよ、さあ、行くぞ!」
風呂から出て部屋に戻ったものの、バーもレストランもない小さな旅館では、自室でビールを飲む位しか過ごしようがない。浴衣姿の若い女性と二人で飲むのは楽しくもあり、気まずくもありだったが、聡理は飲むと眠くなる質のようで、しばらくすると居眠りを始めた。それにしても聡理は正真正銘の天然なのだろうか、若い女性としての警戒心が欠如している。しかし、こうまで無防備だと、オスの野生本能よりも保護本能の方が勝ってしまう。悟郎は次の間から一人分の寝具をこっちの部屋に引き寄せた。次に完全に眠ってしまった聡理を揺り起こし、寝ぼけて意味不明なことを呟く聡理をなんとか次の間に送り込み襖を閉めた。
「まっ、いいか」
ほんの数秒、逡巡した悟郎であったが、思い切りよく電気を消して自分の布団に潜り込んだ。
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