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 Aは、じゃんけんの結果を見て、言った。

「ガルが勝ったか。よし、ガルよ。おまえは急いで山を下り、ふもとまで行って、妹のために担架を運んでまいれ」

 ガルガンチュアは言った。

「え? わたしが姫をおんぶしていくのではないのですか? そのためのじゃんけんだったのでは?」

「そんなこと、余は一言も言っておらん。妹のために一番しんどい役目を果たしてもらうと言ったのだ。この山を下りて、担架を持って、もう一度戻ってくるのは、たいへんしんどい役目だ。ガルよ、おまえはたいへんな力持ちだが、レスキューの専門家ではない。山登りも素人だ。妹をおぶって山を下りるのは、おまえにとっても、妹にとっても、危険が大きすぎる。ガルよ、しんどい役目を押しつけて申し訳ないが、余の妹のために、働いてくれるか?」

「もちろんです、若旦那。わたしに任せてください!」

「ただし、あまり急ぎすぎるなよ? おまえが急いで、道を踏み外し、急な崖から谷底にでも転落すれば、余は一生、自分を責め続けなければならぬ。余のためにも、おまえは慎重に歩を進めなければならない。――ヨーゼフ・マルクスよ。すまないが、おまえも、ガルと行って、ガルをサポートしてくれるか? ガルは、ここぞというときに頼りになる男だが、少々向う見ずなところがある。ヨーゼフよ、おまえは周囲に目配りができる男だ。おまえが付いて、ガルをサポートしてやるんだ」

「わかりました。わたしにお任せを。若旦那は大船に乗った気でいてください!」

 さっそく山を下りようとする二人を、Aが呼び止めて言った。

「あと、それから! ……いや、すまぬ。余としたことが、いちばん大事なことを言い忘れておった。よいか? ガル。ヨーゼフも。下山中は、まちがっても、頭の中で『ワルキューレの騎行』は流すなよ? 慎重を要するときに、あの曲を流すと、なぜか事故が起きやすくなるからである。どうしても頭の中で曲を流したいなら、ロッキーのテーマにしなさい」

「わかりました。それでは、行くぞ! ヨーゼフ」

「イエッサー!」

 ガルとヨーゼフのコンビは、「ホヨホー! ホヨホー!」と、謎の奇声を上げながら、急いで山を下りていった。

 Aは、二人の背中を見送ると、言った。

「やれやれ。大丈夫かな……」

 心配そうな兄の表情を見て、妹が言った。

「お兄さまも、ユキトさんに劣らず、けっこう心配性ですのね。お兄さまとユキトさんは、けっこう似た者どうしな気が、わたくししております」

「え? まあ、そう言われてみれば、そうかな? 自分ではあまり、考えたことがなかったですが。それより、足のほうは大丈夫ですか? 痛みはひどいですか?」

「ほんとに、たいしたことありませんのよ? でも、お兄さまには、感謝しないといけませんわね。ガルガンチュアさんと、ヨーゼフさんにも」

「そうですね。みんな、いざというときに頼りになる、わたしの自慢の部下です。バーカン・マーカスだってそうです。わたしたちがバカンスに出ているあいだ、彼女が留守をまもっていてくれるからこそ、わたしたちは安心して、バカンスを楽しめるのですから。さらに、かれらの下にいる、大勢のしもべたちにも、わたしは、感謝してもしきれないくらいの気持ちでいます」

「そうだったのですか。わたくし、お兄さまのこと、なんにも知りませんでした」

 このとき、妹は初めて、兄の若旦那としての立場の重さを理解したのだった。


 ガルガンチュアとヨーゼフの二人が担架をかついで戻ってくるまで、急いでも二時間はかかると見ていたが、二人が予定よりも早く、三十分くらいで、担架をかついで戻ってきたときは、さすがのAもびっくり仰天した。

「えらく早かったな。いったい、どうやったんだ? まさか、瞬間移動でもしたのか?」

 ガルガンチュアが答えて言った。

「いいえ、そうではありません。実は、わたしとヨーゼフが、頭の中でロッキーのテーマを流しながら、慎重に山を下っておりますと、若旦那のおじいさまが、下から、担架を手に山を登ってこられたのです」

「なんと!」

「わたしたちも驚いて、どうなさったのかお聞きしたら、おじいさまは、なにかいやな予感がしたと」

「まさか、信じられん」

 そのとき、Aの祖父が、山道をぜえぜえ言いながら登ってきた。

 Aは祖父に駆け寄って言った。

「祖父よ……。あなたは超能力者ですか?」

 祖父は答えて言った。

「Aよ。わしを誰だと思っとるんだ。ここはわしの山だぞ?」

「祖父よ、答えになってません……。あなたがわたしの祖父で、ここは祖父が所有する山だとしても、どうしてあなたが、山での妹の危機を察知できたのか。わたしには、てんで理解できません。それともあなたは、ご自分が、この山の『神』だとでもおっしゃるのですか?」

 祖父は苦笑して言った。

「わしが山の神などであったら、こんなに息を切らして、山を登ってきたりはせんよ。フィーリングだ。Aよ。おまえもいずれ、わかるときがこよう」

「フィーリングですか……。なんにせよ、わたしには、超能力としか思えません。どうやらわたしは、超能力者の家系に生まれ育ったようです」

 Aは、むろん冗談で言ったのであるが、Aの祖父が、人知を超えた存在であることだけは、まちがいなかった。そして、アザゼルの血が、Aの中にも、たしかに流れているのである――。

 Aの妹は、Aとしもべの手によって、担架で山を下り、Aたちは、暗くなる前に、Aの祖父母の家に帰りつくことができた。

 こうして、Aたちの山登りは、Aの祖父の予期せぬ登場もあり、無事、閉幕となった。

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