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そう言って、足早にその場を立ち去ろうとしたネオを、バーカン・マーカスが呼び止めて言った。
「ちょっと待ってください――。あなたはいま、妙なことをおっしゃった。あなたが言おうとしたのは、『相手の姿かたちでなく、相手を気をとらえて、相手のいるところに、移動する技だ』じゃないですか? だとすれば、それはどう考えてもおかしい。なぜならわたしはいま、わたしのアパートにはいないのですから。それなのにどうしてあなたは、わたしのアパートに移動できたのですか?」
「うっ」
「最初からおかしいと思っていたんですよ。あなたがやったのは、瞬間移動などでない。あなたがやったのは、ただの愚かな犯罪です。あなたはここに来る前、わたしのアパートに忍び込んで、箪笥の奥からわたしの下着を盗み出し、そして、何食わぬ顔でわたしの前にあらわれた。そして、瞬間移動を会得したなどと大ぼらを吹いて、わたしを騙したあげく、わたしを愚弄しようというのが、あなたの魂胆でしょう。寺で修行していたと聞いて、あなたもきちんと更生できたのだと、わたしも喜んでいたのに。とんだ期待外れでした。――さあ、わたしは、わたしの目の前にいる男を、警察に突き出そう。そして下着泥棒の罪で、これを牢屋に送ろう」
「待ってください! ほんとです、ほんとに瞬間移動したんです!」
「変態のたわごとなど、聞く耳持ちません。あいにくですが、下衆な男の罪を見逃してやるほど、わたしは寛大な心を持ち合わせていない。大人しく観念なさい。言っておきますが、抵抗しても無駄です。あなたも知ってのとおり、わたしには武道の心得があります」
「どうして信じてくれないんだ。たのむ、信じてくれ! おれは本当に、修行して瞬間移動を……」
「だとしたら、使いどきはいまです。さすがのわたしも、瞬間移動なんかして逃げられたら、お手上げですからね? さあ、できるものならやってみなさい。あなたが言ったんですよ? 百聞は一見に如かずだと」
「くっ……ちくしょおおおおおお」
「ふっ」
「ちくしょおおおおおお…………………………………………!!! なんちゃって!」
「なにっ!?」
不敵な笑みを浮かべて女剣士を見つめるネオの瞳は、それまでのネオとは、まるで別人だった。
男がしていたかつらを取ると、中から本物のブロンドの髪があらわれた。
もうまちがえようがなかった。その男はネオではなかったのだ。まったくの別の人物が、ネオになりすましていたのである。
男は言った。
「どうだ? わたしの変装の腕は、なかなかのものだろう?」
「やはり……、あなたはネオの偽物だったのですね」
「やはりということは、薄々感づいていたらしいな。なかなか勘のいいやつだ。ほめてやるぞ。女剣士よ」
「いいえ、ただの勘ではありません」
「ほう。洞察だと言うのか」
「ポイントは二つあります。まずネオは、あんなおバカキャラではない。なにが『やっぱ、やーめた』ですか。演技とはいえ、大の大人がみっともない。それにネオは、元来、根が真面目な人です。道を踏み外したとはいえ、他人をバカにして悦に入るようなことは、死んでもなさらないでしょう」
「なるほどな。少々悪ふざけがすぎたか。まあ、おれにはどっちだっていいことだが。――まあ、落ち着け。身構えるな、女剣士よ。おれはここに、おまえと一戦交えに来たのではない。おれのあるじから、おまえのドン宛に手紙を届けに来たのだ。まあ、ことのついでに、ちょっとからかってやろうと思ったのだ。わざわざ変装までしてやってきたんだ。楽しんでいただけたかな?」
男は、マーカスに、奇妙な印の押された手紙を手渡して言った。
「Aが帰ったら、その手紙をAに渡してくれ。まちがっても、Aが帰るまえに、手紙の封を切って、中身を確認したりするんじゃないぞ。その手紙には呪いがかけられている。A以外の人物が開封したりすれば、その者はすみやかに死に至るだろう」
「あなたのその言葉を信じる保証は?」
「嘘だと思うなら、自分で確かめてみることだな。おまえにその勇気があるか? 女剣士よ」
「くっ」
「それでは、たしかに渡したぞ。その手紙は人目にふれぬよう、金庫にでも入れて、大事に保管しておくのだな。これで用は済んだ」
そう言って立ち去ろうとする男を、マーカスが呼び止めて言った。
「ちょっと待って! あなたが偽物だとしたら、本物のネオは、いまどこにいるのです?」
「さあな。ネオならどこかの寺で、大人しく瞑想でもしているのではないか? おまえも命が惜しくば、座禅でも組んで、アジトで大人しくしていることだな」
そう言って、男はAのアジトを去った。
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