第二章

1

 Aの母は、まだ元気があるうちは、Aの祖父母の家に電話をかけて、Cの母の愚痴を、Aの祖母に漏らしていた。

 Aの祖父母の家の夕食に、山菜の天ぷらと鍋が出た日から数えて二日後の昼過ぎ、Aの母は、Cの母がパートに出た隙を見計らって、Aの祖父母の家に電話をかけ、Cの母に関して、長々と呪いの言葉を述べた。

「義理の母は、わたしが左に行けば、どうして右に行かないんだと言うし、わたしが右に行けば、どうして左に行かないだと言う始末で、わたしの手に負えません。たぶん、頭が悪いのだと思います。それも、普通の頭の悪さではなく、普通の頭の悪さの二倍ないし三倍といわず、十倍、百倍、千倍くらい、頭の悪い人なのです。彼女は、自分がいかに矛盾したことを言っているかを、愚かにも理解しません。非常に頭が悪いために、自分が言ったことのどこが矛盾しているか、自分で理解できないのです。いえ、自分で理解できないだけでなく、他人に言われても、ぜんぜんピンとこない始末で、要するに、自分が矛盾したことを言っているというアイデアは、彼女の頭の中には存在しません。あなたも察しが付くとは思いますが、非常に頭が悪い人間を説得することは、たいへん骨が折れます。彼女は、愚かにも、自分の意見が絶対に正しいと確信し、決して自分の意見を曲げようとはしません。彼女は、非常に頭が悪く、頭の容量が狭すぎるので、自分の意見だけで一杯になり、それ以外の人の意見を容れる余地が、そもそもないのだと考えられます。よって、わたしが言った言葉は、彼女の右耳から入って、左耳に、そのまま突き抜けます。わたしはまるで、壁に向かって話しているようなものです。その壁から響いてくるのは、慈悲のない労働の指示です。わたしは外に出て働かなければならないのでしょうか。わたしは、結婚の条件として、外に出て働かなくてもよいという条件付きで、Cという男と結婚しました。しかし、この条件はいまや、Cの母という、非常に頭の悪い人間によって、反故にされようとしています。Cの母は、非常に頭が悪いだけでなく、非常に陰湿で、意地汚く、傲慢で、貧乏のくせに見栄っ張りな、業突く張りの、態度だけでかい、非常に頭が悪い女です。わたしは、もしかするといま、不注意から『非常に頭が悪い』という言葉を二回言ってしまったかもしれません。ですが、不注意からではなく、わざと二回言ってしまっても、お釣りがくるような、尋常のレベルをはるかに通り越して、頭の悪い女なのですから、わたしが不注意から『非常に頭が悪い』という言葉を二回言ったとしても、実際的には何の問題もないかもしれません。このようなことを、母であるあなたに、くどくど申し上げたところで、何の問題の解決にもならないことは、重々承知しております。まずもって、あなたは外科医ではないし、頭を良くする外科手術など、目下の医療技術では不可能だからです。わたしの話を聞いて、あなたが嫌な思いをしたとすれば、たいへん申し訳ありません」


 次の日の夕暮時、Aの祖母は、Aたちが沢に遊びに出た隙を見計らって、昨日娘から打ち明けられた話を、彼女の夫にひそかに伝え聞かせた。

 Aの祖母はそれを語り終えてから、彼女の夫に言った。

「わたしは、娘のことを不憫に思います。あなたはどうお考えですか?」

 彼女の夫、Aの祖父は、うなった。

「ううむ」

「あなた……?」

「いくら、わしらのかわいい娘だとはいえ、いまは、よその家に嫁いだ身だ。わしらが行って、娘をもっといたわってやれと、苦情を言うわけにもいかん」

「ですが……」

 そのとき、庭で人影が見えたので、誰かと思って見ると、ルーカス・アバントゥーラであった。

 ルーカス・アバントゥーラは言った。

「あの、たいへん申し上げにくいのですが、あなたがたの会話をみすみす聞いてしまいました。まことに申し訳ありません」

 Aの祖母が言った。

「なにか御用ですか? 必要なものがあったら、なんでもわたしどもに言ってください」

 寄留者レジデントルーカス・アバントゥーラは言った。

「いえ、わたくしといたしましては、このような辺鄙なところで、あなたがたに要求を突きつけることは、かねてから避けるべきだと、つねづね申しつかっております」

「申しつかっているって、誰にです?」

「たいへん恐縮ですが、その質問には、お答えしかねます」

「……」

「あの、わたくしごとでたいへん恐縮ですが、わたくしはこれで失礼させていただきます」

 ルーカス・アバントゥーラが去ると、Aの祖母は言った。

「おかしな人ですね。何しに来られたんです?」

「いや、わしに聞かれても……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る