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 それから一週間後、午後の忙しくない時間帯を見計らって、Aのしもべたちが、Aの祖父母の家に滞在するAを訪ねてきた。

 Aは、しもべたちを出迎えて言った。

「ユキト、ガル、それから、ヨーゼフ・マルクスよ。よく来た。ゆっくりしていくがよい。――おや? おまえたちの後ろにいるのは? おお、ルーカス・アバントゥーラよ! あなたも来たのですか。何もないところですが、ゆっくりしていってください」

 ルーカス・アバントゥーラは、いわゆる寄留者レジデントの一人で、A教団に一時的に身を寄せる、素性のよくわからない男だった。彼は、空腹のため、通りで行き倒れているところを、Aのしもべたちのかしらの一人、ガルガンチュアにより発見され、A教団に連れて来られたのである。

 決して素性を明かさないので、敵対する組織のスパイではないかという説もあるが、とにかく頭がきれる男で、知能の点で言えば、Aの腹心の部下で、Aの右腕であるユキトと同等、あるいはそれ以上とも言われる。きちんと素性を明かして、Aに忠誠を誓うならば、A教団で幹部となりうる資質を十分もつ男であった。

 Aは彼と話すとき、丁寧語を用いたが、これは寄留者レジデントが客人扱いだからで、深い意味はないようである。なお、”ルーカス・アバントゥーラ”は、全体が名字だと彼は言い張っているので、多くの人は、省略せずに、ルーカス・アバントゥーラと呼んだ。

 寄留者レジデントルーカス・アバントゥーラは、Aのしもべたちの前に歩み出て言った。

「わたくしたっての希望で、こんな辺鄙なところまで、みすみす出向いてきてしまい、たいへん申し訳ありません」

 Aはルーカス・アバントゥーラに言った。

「ノー・プロブレムです。ルーカス・アバントゥーラよ。どうか、面を上げてください。――ところで、ルーカス・アバントゥーラよ。さっきから気になっていたのですが、あなたが連れてきたその山羊は、あなたのペットか何かですか?」

 ルーカス・アバントゥーラは言った。

「いいえ。こちらの山羊は、このような辺鄙なところに、みすみす御厄介になるに当たり、当家の主たるおじいさまへの貢物として、献上したくまいったものです。わたくしのペットであるかのような誤解を、みすみすあなたに与えてしまい、まことに申し訳ありません」

 Aはルーカス・アバントゥーラに言った。

「ノー・プロブレムです。そうですか。祖父への献上の品とは。祖父はいま、妹と沢に釣りに出かけていますが、わたしからも、あなたにお礼申し上げます」

 挨拶が済むと、しもべを代表して、ユキトがAに言った。

「なにかお手伝いすることがございましたら、しもべになんなりとお申し付けください。――ところで、主よ。どうして主は、おじいさまや妹さまと一緒に、沢に釣りに出かけなかったのですか?」

 この最後の、ユキトの何気ない一言は、Aの不興を買って、ユキトはしばらく、Aと口をきいてもらえなかった。

 こういうことは、しばしばあることなので、ユキトはさほど気にしなかったようであり、代りになぜか、ルーカス・アバントゥーラが、ユキトの無礼を赦すよう、平謝りに徹した。

 その様子を、ガルガンチュアとその子分ヨーゼフ・マルクスが、わけもわからず、口をぽかんと開けて眺めていたさまは、まことに滑稽であった。

 よくわからないやりとりが、一段落つくと、Aは、しもべたちに命じて言った。

「よいか、しもべたちよ。この地に寄留しているあいだ、おまえたちは、余のことを、主と呼んではならぬ。この地の主は、余ではなく、余の祖父だからである。余のことは、若旦那と呼びなさい」

 しもべを代表して、ユキトが答えて言った。

「心得ました、若旦那よ」


 Aのしもべたちが到着して一時間ほどたった頃、沢に釣りに出ていたAの祖父と妹が、沢で得た釣果を携えて、沢から戻ってきた。

 Aの妹は、しばしのあいだ、寄留者レジデントルーカス・アバントゥーラが連れてきた山羊を、物珍しそうに眺めていたが、それがAの祖父への献上品だとわかると、目を輝かせて言った。

「やったわ! おじいさま、今日の夕食はジンギスカンにしましょう!」

「え?」と、一同は目を丸くした。

 Aは、妹をたしなめて言った。

「妹よ、これは山羊です。ジンギスカンは羊の肉ですから、あなたの発言は、当を得ていません」

 妹は、兄の批判など、どこ吹く風と言わんばかりに、

「あら、そうでしたかしら? けど、羊も山羊も、似たようなもんじゃありませんこと? ねえ、おじいさま。山羊の肉も、食べられますわよねえ?」

 Aの祖父は答えて言った。

「そりゃあ、食おうと思えば、食えるが? おまえは、この山羊を食う気なのか?」

 妹は祖父に言った。

「あら、いけませんの? 先ほど、そちらのルーカスなんとかさんが、おじいさまへの献上品だって、おっしゃってたじゃありませんか。食べちゃまずいのですか?」

「いや、別にかまわんが。食うんなら、おまえがしめろよ? わしは血を見たくないからな」

「ええっ、わたくしがですか? じゃあ、いいです。この山羊はペットにしましょう。そうと決まれば、さっそく名前を付けて差し上げなければなりませんわね? ――よろしい。わたくしが命名しましょう。この山羊は、オスですか? それとも、メスですか? ルーカスさん」

「あの、たいへん申し上げにくいのですが、その山羊はメスです」

「なるほど――。女の子ですか。男の子でしたら、やぎすけにしようと思っていたんですけれども。女の子でしたら、やぎこ? やぎひめ? うーん、しっくりきませんわね。おじいさま? この山羊は、おじいさまへの献上品なのですから、おじいさまが決めてくださらない?」

「え、わしが? そうだなあ……。それじゃあ、メーコ」

「それ、わたくしの名前じゃありませんの……」

「え? そうだったっけ?」

「おじいさま? もしかして、ボケが始まっているのではない? わたくしの名前を忘れるなんて、ひどすぎます。決めました。この山羊の名前は、メーコにします。記憶力の鈍った老人に、孫娘の名前を覚えておいていただくためにも、この山羊娘にメーコと命名するのが、最良の選択であるとわたくしは考えます」

 こうして、牝山羊のメーコが、Aの祖父母の家の新たな家族となった。

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