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 Aが沢で川魚を一匹も釣ることができず頭を抱えていた頃、Aの母親は、台所の戸棚からマシュマロが消えたのを、不審に思っていた。

「わたしのマシュマロは、どこに消えたのかしら。Aの父であった男と結婚して以来、マシュマロは、わたしの大好物だというのに。――まあいいわ。買い置きもたくさんあることだし」

 Aの母は、Aの妹とともに、Aの祖父母の家で、パートにも出ず、地味な暮らしをしていた。Aの母は、戸棚からマシュマロの袋を一つとって、袋を開け、中からマシュマロを一つ取り出すと、金串に刺して、コンロの火で焼いた。

「好物のマシュマロを、コンロの火で焼いて食べるのが、わたしの唯一の慰みだなんて」

 Aの母である女は、自分のことを不憫に思って、泣いた。そして、ついにある決心を固めた。

「よし、わたしは、再婚しよう。Aの祖父母の家で、地味な生活を送っているのは、わたしにはつらい」

 続けて、Aの母である女は言った。

「わたしは、Aの父の同僚であったCと再婚し、父母の家を出よう。わたしの手には、Aの父と離婚したときに受け取った財産がまるまる残っている。わたしは、それを持参金として、Cと再婚しよう」

 Aの母である女は、Aの父と離婚する以前から、Aの父の同僚Cと不倫していたのである。

 さて、Aの母親が産んだ子どものうち、Aはすでに成人していたが、Aの妹は未成年であった。

 Aの母は言った。

「Aの妹は、どうしたらよいだろうか?」


 翌日の昼、Aの母は街に出向き、Cと喫茶店で会って、Aの妹の処遇について話し合った。

 CはAの母親に言った。

「はっきり言いますが、わたしはあなたの娘と同じ家で暮らしたくありません。理由は二つあります。第一に、わたしはあなたの娘とうまくやっていく自信がありません。あなたのお話では、あなたの娘は、金に相当がめついからです。第二に、あなたにもすでにお話したように、わたしはバツイチで、ロースクールに通っている息子がいます。父であるわたしが、息子の学費を払ってやっているのです。そうです。これだけ言えば、あなたにもわたしの言いたいことが、十分おわかりいただけるでしょう」

 Aの母親は言った。

「いいえ、まったくわかりません。あなたは、わたしに言いたいことを、最後までおっしゃってください」

 CはAの母親に言った。

「わかりました。造作もないことです。結論から言えば、わたしの給料では、わたしの息子と、わたしの妻になるあなたを養っていくので精一杯です。あなたの娘をわたしのもとに引き取って、わたしの息子と同様に、つまり完全に公平に、例えばあなたの娘が、大学を出て、ロースクールに通いたいと言いだして、わたしが彼女に学費を支払ってやることを仮定した場合、わたしの給料では、わたしたちの家の経済は、確実に破綻します。わたしはそのことを、慎重に計算した上で、突き止めました。こちらがその計算書です。――さすがにもう、頭の鈍いあなたにも、わたしの言いたいことが、おわかりいただけたでしょう」

 Cは続けて言った。

「わたしがあなたの娘とうまくやっていく自信がないという、個人的理由を度外視しても、経済的理由から、わたしがあなたの娘を引き取って暮らしていくことは、不可能だということが、頭の鈍いあなたにも、十分おわかりいただけたと思いますが?」

 Aの母親は言った。

「はい、よくわかりました」

 CはAの母親に言った。

「それならば、わたしが提示したい提案は、頭の鈍いあなたにも、察しがついていると思います。わたしが提示したい提案は、こうです。あなたの娘は、あなたの両親の家で養ってもらってください。それが、わたしにとっても、あなたと、あなたの娘にとっても、最良の選択肢だと、わたしは考えます。――もし、仮に、あなたがどうしても、娘と暮らしたいとおっしゃるのであれば、あなたはパートに出て、お金を稼いでもらわなければなりません。あなたの娘にも、アルバイトをして、家にお金を入れてもらうことになります。仮に、あなたと、あなたの娘が、わたしがいま提示した条件に同意するのであれば、あなたはわたしの家で、あなたの娘と一緒に暮らすことができます。あなたとあなたの娘がお金を家に入れることによって、経済的な前提が変わるからです。これは、あなたがわたしから引き出すことのできる、最大限の譲歩だと考えてください。むろん、わたしがあなたの娘と、うまくやっていけるかどうかは、別の問題として残り続けますが。少なくとも、経済的な問題は、あなたとあなたの娘が働きに出ることで、解決できます。こちらがその計算書です。参考までに、あなたとあなたの娘が従事することになる、一日の労働時間を記載しておきました。あなたは、この条件に同意しますか?」

 Aの母親は、計算書にざっと目を通して、それをCに突き返した。そして、言った。

「いいえ、同意できません。わたしはパートなんかしたくありません。わたしの娘も、自分で稼いだお金を家に入れることは、絶対に承知しないでしょう。なぜなら、わたしの娘は、お金に相当がめついからです。――わかりました。わたしは、わたしの娘と一緒に暮らすのはあきらめます。わたしの娘は、わたしの両親に養ってもらうことにしましょう。かれらは、あなたとちがい、比較的裕福なのですから。現に、わたしとわたしの娘はいま、かれらに養ってもらっているのです。経済的にはまったく問題ありません。しかし、わたしは、わたしの娘を両親の家に置き去りにする道義上の責任を、かれらから突き付けられるでしょう。かれらとは、少々厄介な議論になるかもしれません。しかし、わたしの見立てでは、かれらは最終的には折れて、わたしの主張が通るだろうと、わたしは確信します」

 そう言って、Aの母親は席を立って、Cのもとを去った。

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