第51話

もう随分と陽は落ちて、

グラウンドの砂は赤く煌めき始めた。




今日は本当に長い一日だった。



未だに、この惨劇が数時間のうちに起きたことだとは信じられない。



それほどまでに私は今まで平凡で素敵な日々を送ってきたのだと、何もない幸せが恋しくなった。




安藤太一がグラウンドに駆けてくる。



私と目が合うと、

ニヤリと不気味に笑ってみせた。




……きっと、榊原は死んだ、

という意味の笑みだろう。



ほんの僅かに抱いていた期待が、

あっけなく打ち砕かれた。




私が死ぬまであと少し。



やっと、死ねるんだ。




榊原、私もすぐそっちに行くよ。



阪本も、かなめちゃんも、

あげはちゃんもゆりちゃんも。



だから少し、待っていて。




私はそう思い、

ゆっくりと瞼を下ろした。






《瑞季!お父さん!》






遠くから聞こえてきた美咲の声に、

驚いて顔を上げる。



朝礼台と真反対の方向に置かれた体育倉庫では、生徒と教師がすし詰め状態になっていた。






《簡単に死ねるだなんて、思わないで!》






ヒステリックな美咲の叫びが、

拡声器越しにグラウンドに響き渡る。



今までの恨みを全て込めたような、

悲痛な叫びだった。




……まさか、この嫌な予感は。






《私が今から殺すのは、》






ダメ。






《あんたたちの心……》






美咲、それだけは。






《それと……あんたたちのこれからの人生だから!》






そう言って美咲は羽織っていたブレザーを勢いよく脱ぎ捨てた。



シャツ一枚になった美咲の身体には、

大量の爆弾が巻き付けられている。




「美咲……やめてっ!!」




私は無我夢中で朝礼台を飛び降りた。




美咲はそれを見計らったかのように

リモコンを空にかざし、一言。






《絶対、許さない。》





それだけを言って拡声器を放り投げ。




リモコンを。





押した。







「熱っ……!」






ドンっという音と共に燃え盛る炎が、

数メートル離れた私にも伝わってくる。




体育倉庫まであと少し。



あと少しだったのに。




燃え盛る体育倉庫を前に立ちすくむ。




私はまた、誰も救えなかった。





でも、不思議と悲しさはない。




「美咲ィィィィィィィィィ!!」




あるのは、怒りだけだった。




「誰一人……死なせるもんか!

死なせるもんかァァァァァァァ!!」




そう叫んで体育倉庫へ走り出す。




きっとまだ誰か生きているはず。



美咲から遠いところにいた、

体育倉庫の奥の方なら。



今ならまだ、誰かを救える。



もう誰も殺したくなんてないんだ。




近づけば近づくほど、

炎が私を燃やそうと広がった。



耐えられない熱さだ。



でも、誰かを救えるなら……



私は燃え尽きて灰になったって構わない!





「やめなさいっ!」





火の中に飛び込もうとした私を、

理事長が力づくで止めた。



大人の男性の力には敵わない。



私は腕を引っ張られた勢いで、

そのまま理事長の胸に倒れ込んだ。




「離してよ!!」



「こんな中助けに入ったって、

誰も生きてるわけがないだろ!?」



「分かんないじゃん!

生きてるかもしれないのに!」



「そんな期待は抱くだけ無駄だ!!私たちは、私たちの人生は……美咲に全て殺されたんだよ!!」




理事長はジャケットのポケットからナイフを取り出した。



さっき私が縄を切ったナイフだ。




「待って、理事長。」



「私は死ぬさ、こんなの、耐えられるはずがないだろう……?」



「ダメ、理事長!!」




理事長の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。



人生に絶望した人間の目だ。




「君も、後で来ると良い。

もう苦しまなくて良いんだよ。」




そう言って、理事長は自分の腹にナイフを突き立てた。


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