第12話
「おいっ!ちょっと待てよ!」
必死で走る私の背後から阪本の声が聞こえる。
男女の走力の差では、このまま逃げきれるはずがないことも分かっている。
ただ、今はそれ以上に、
殺される恐怖の方が大きかった。
さっき見た、グラウンドで刺された生徒。
A組の様子を見に行って、
血まみれで帰ってきた飯塚。
この短い時間で見た血の色が
ありありと浮かんでくる。
死ぬなんて……
絶対に嫌だ……!
階段を降りて角を曲がろうとすると、
ピシャッという音と共に身体が倒れた。
一瞬、何が起きたか分からなかったが、手のついた先を見ると真っ赤な血の海が広がっていた。
ぬめっとした、固体じみた生温かい血だった。
「ヒッ……」
目の前に広がる血の海と、じわじわと下着に染みる生温かい血の温度。
映像として焼き付いていた血の色が、とうとう感触として自分の中に染み込んでいく感覚。
そのすべてが、気持ち悪くて仕方がなかった。
そこに転がる、血の出どころらしき背中を刺された女子生徒の死体を見て、自分もこうなってしまうのかという恐怖に陥った。
殺されたくない。
そんな自分の思いとは裏腹に、
強ばってしまった体は動かない。
座り込んでしまった私の肩を、
阪本がポンポン、と叩いた。
「やだ……殺さないで……」
振り返って少し後ずさりをすると、
また手がパシャっと血を踏んだ。
ドロッとした感触が気持ち悪くて、
私はまた動けなくなる。
もう、ダメだ……
私の人生はここで終わるんだ……
榊原を殺そうと考えた自分が怖くなる。
私は、こんな恐怖を榊原に与えようとしていたのか。
なんてひどい人間なんだ。
私は懺悔と共に死を覚悟した。
これは、私への罰だ。
そう思って、目を瞑った。
そんな私の肩を、阪本がまた叩く。
「渡辺。」
まっすぐに私を見る阪本に、
私は恐怖を覚えた。
そんな私とは対照的に、
阪本は私の目を見て笑っている。
正直、気味が悪かった。
「な、何……殺すなら殺してよ……」
「いや俺、殺すとか言ってないじゃん。」
「でも包丁持って追いかけてきて……
最初から殺す気だったんでしょ!?」
「ちょっと、落ち着けって。」
「落ち着けるわけないじゃん!!」
廊下に私の叫び声が響いた。
「もうやだ……早く殺してよ……」
自分のことを好きな人がいるなんて、
考えてもみなかった。
だから、その場面に直面した時の感情の整理の仕方がわからなくて、もう死んでしまいたいような気持ちだった。
「頼むから、まずは俺の話を落ち着いて聞いてくれよ。な?」
阪本は私を優しく諭す。
手に握られていた包丁は、
もう床に置かれていた。
「確かに、このレンアイ放送が始まった時は、テンパってお前のこと殺そうと思ってたよ。それで家庭科室にも行って包丁を持ってきたし、お前のことも探してた。
でも今は違うんだよ。お前のこと、殺したくなんてないんだ。」
阪本は、まっすぐに私の目を見つめる。
逸らしたくなるほどの、でも逸らしてはいけないような。
そんな、穢れのない純粋な瞳だった。
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