フィービー!

兵藤晴佳

1話

昔々のこと。

あるところに独りの娘が住んでいたんだ。

名前をフィービーといって、貧しいながら健気な娘でね。

どのくらい健気かって?

説明が面倒だな、字数そんなにないし。

まず、この手のお話はこの辺がお約束だよね。


1、両親は早くに死んでいる

2、意地悪な継母とか姉のもとで暮らす

3、幼い頃から、よく働く


まったくこの通り。そういう娘だったんだ。

朝は継母や姉が寝ているうちに起き出して炊事洗濯を始める。

昼は小さな畑で野良仕事、その後はささやかな買い物かな。

お金は、近所のこまごまとしたことを手伝って手間賃を貰ってる。

夜は夕食を作って、昼間に引き受けた内職なんかやってる。

継母と家族? 働きゃしないよ。

フィービーがあれだけ働いてるのに、稼ぎが少ないってぶーたれてるよ、いつも。

だから、いつも僕は心配してた。

小さいうちは働くだけで済むけれど、大きくなったら……ってね。


あ、僕? 語り手の僕?

ファウヌスって呼んでくれればいい。

見ての通り、人間じゃない。

こんなに曲がった大きな角生やしてて、下半身もヤギ。

人間から見たら、凶悪な魔物に見えるらしいね。

でも、決してそんなんじゃない。

いつもは森の奥で鳥や動物に笛を吹いて聞かせたりしてる。

まあ、気が向くと、姿を消してどこまでも旅をするけどね。

それはどういうときかって?

可愛い女の子を見かけたとき。

森に薪を拾いに来た時の小さなフィービーを見たとき、ドキッとしたね。

羽が生い茂って真っ暗なところに、光の精が現れたかと思ったよ。

眩しい金色の髪に、真っ白な石のように冷たく光る肌。

それでいて、瞳は夜闇みたいに真っ黒なんだ。

大きくなったら、きっときれいになると思ったね。

で、ときどき森から出て、それを確かめに行ったんだけど……。


こんなところまでやってくるとは。

僕は今、都に向かう馬車の上に座っている。

周りは槍をかついで歩く兵隊に囲まれてるけれど、見つかりっこない。

これでも何百年となく、森の奥で大自然の精霊に祝福されてきたんだ。

よっぽど位の高い、教会の坊さんじゃないと、僕の姿は人前に現せない。

ましてや、馬車の中のフィービーに僕が見えるわけがない。

一緒に乗っているのは、王様のもとに仕える偉い人だ。

フィービーはこれから、この人に連れられて、もうすぐ即位する王子さまにお目通りするんだ。

どうしてそんなことになったかって?

それはね……。


この偉い人、他にもいっぱいいてね。

国のあちこちに散らばってる。

新しい王様のお世話をする女の子たちを探して歩いてるらしいんだ。

見目麗しくて、しかも一芸に秀でていなくちゃいけない。

フィービーはどうかって?

可愛いし、よく働く。

でも、働き者だってことと、特技があるってことは違う。

どっちかっていうと、健気なだけで何の取り柄もない。

じゃあ、どうして?

僕のおかげさ、僕の。


ちょうど、森の辺りをこの偉い人たちの行列が通りかかったときのことだ。

たまたまその前を、森に薪を拾いに来たフィービーが横切っちゃった。

若い兵隊たち、女の子にちょっかい出すチャンスだと思ったんだろうね。

無礼者ってんで、槍を突きつけるわ、しなやかな腕を掴んで抱き寄せるわ、ひどいもんだった。

頭に来たね、僕も。

姿を消して、片っ端から薙ぎ倒してやった。

都から来たお使いは驚いたね。

「これ娘御、おぬしのような娘を探しておったのじゃ」

まるでフィービーが大の男を何人も、身動きひとつしないで投げ飛ばしたように見えたんだろう。


都に連れていく話は、簡単についた。

お使いが用件を告げると、継母も姉も、フィービーをほめちぎったもんだ。

よく働くの、頼りにしているの、今まで礼も言わなかったのに……。

フィービーもフィービーでね。

お使いが親孝行を褒めると、ぼそりと言ったもんだ。

「それが、継子の務めですから」と。

それを聞いたお使いはすっかりフィービーが気に入っちゃって、お礼はいくらでもするからって継母と姉をかき口説いたのさ。

結局、テーブルに置かれた山のような金貨と引き換えに、フィービーは住み慣れた家を出ることになった。

まあ、売られたってことだね、血のつながらない家族に。


ところで、お使いがフィービーを連れていくときに、継母と姉につけた条件がある。

「帰りたいと一言でも口にしたら、おぬしらの命もない」

その心配はあの場にいた誰もしてなかっただろうね、たぶん。

だって、こんなところにいるよりは王子様に仕えたほうがはるかにマシだから。

でも、そのときフィービーが寂しそうな顔をしたのはちょっと気になった。


さて、都に着いてから、フィービーの身に何が起こったか。

それがねえ、目に止まっちゃったのよ、王子様の。

まあ、最初は見習いってことで王妃様かなんかのお世話をすることになった。

ところが、武芸の達者な女の召使がいると王子様に吹きこんだのがいたらしい。

会いに来ちゃったねえ、困ったことに。

もっと困ったことに、木剣なんか持ち出して、一勝負とか何とか云いだした。

フィービー、涙目で立ち往生しちゃってねえ……。

打ち込んできた王子様もそれに気づいたのか、木剣を振り下ろす手がはたと止まった。

チャンスだったね。

僕が軽く腕を捻ってやったら、あっと言う間にその場に仰向けで転がったよ。

その場にいた護衛も母君も、青ざめるやら顔を真っ赤にして怒り狂うやら。

ところが王子様、高らかに笑うなり、王妃様に言ったものだ。

「母上さま、どうかこの娘をすぐ、私の下へ」


それからというもの、王子さまは日が昇ってから沈むまで、フィービーをかたときも離そうとはしなかった。

お付きの人は「そんな身分のものをお側におくのはどうたらこうたら」と苦々し気に言う。

でも、王子さまは気にしない。

「これは女のなりをした護衛である」

そう言ってすましていた。

困ったのはフィービーだけど、僕がついている限り、ハッタリがバレる恐れはない。

王子様が力自慢の衛兵に声をかけては、気まぐれにフィービーと勝負させたりすることもあった。

もちろん、フィービーが、というより僕が負けるわけがない。

いつの間にか、無敵のフィービーの名前はお城の中に知れ渡り、偉い人たちの中でも一目置かれるようになった。

やがて、こんな囁き声が聞こえるようにもなった。

「王子様がそれほどお気に入りなら、ご即位してお妃を迎えられた後に、側女にでもしてはどうか」


僕は焦った。

フィービーがそんな女の子……いや、そんな女になるなんて、考えてもいなかったからだ。

しかも、もっと困ったことが起こった。

日が沈むと当然、フィービーは女中部屋に戻る。

王子様の側からそこに着くまでは、お城の長い長い廊下を歩かなくちゃいけない。

そのとき、僕はずっと隣を歩いているんだけど、ある日、気づいてしまったのだ。

ひとりぼっち(だと思ってる)フィービーが微かな声で歌っているのを。


帰ろうかな、さあ。

家はすっかり荒れているだろうな。

かあさんとねえさんはどうしているだろう。

何にもいらないから、帰りたいな。


このとき、僕はとんでもない間違いをしでかしてしまったのを知った。

何とかしなくちゃいけない。

でも、どうしたらいい?

森の中にいたとき、こんなにものを考えたことはなかった。

人間たちは、これを「悩む」とかいうらしい。

悩んだことのない僕は、身も心もすっかり参ってしまった。

朝早くから日が暮れるまで、王子様のお世話をしているフィービーを見つめているしかない。

帰ったって、あの継母や姉にこき使われて暮らすだけだ。

それよりも、ここにいたほうがずっとマシなはずだ。

だいたい、帰りたいなんて言ったら殺されてしまう。

でも……。

考えがまとまらないうちに、そのまま、どれくらいの時が過ぎただろうか。

気が付いてみると、戴冠式の日がやってきていた。


そんな日でも、王子さまは何のかんのと理屈をつけて、きれいに着飾らせたフィービーを側から離さなかった。

当然、姿を消した僕も一緒にいることになる。とうとう、戴冠式が行われる大広間までやってきてしまった。

そこで王子様は、ようやくフィービーを大広間の隅に置いていった。

王冠が頭に載せられるのを玉座の前で跪いて待つ。

やがて、やってきたのは教会の偉いお坊さんだった。眉ひとつ動かさない、畏まった顔で大広間に入ってくる。

ところが、足を一歩踏み入れたところで、大声を上げて怒鳴ったのだ。

「下がりおれ! 穢れたものよ!」

すっかり忘れていた。

こういうお坊さんには、僕が見えるのだ。

というか、怒鳴られたところで僕の姿は丸見えになっていたらしい。

大広間では女の人がばたばた卒倒し、男たちが大慌てで駆けずり回り、とにかく大騒ぎになっていた。

そのときだった。

裾の広がったロングスカートのドレスに身をつつんだフィービーが、僕の前に立ちはだかった。

ガタガタ震えながら、それでも僕をはったと見据えている。

するべきことは、そこで決まった。

僕はすさまじい咆哮と共に、その場を逃げ去った。

さよなら、フィービー。

君は、ここにいるのが正しいんだ。


そして僕は、再び森の暮らしに戻った。

え? フィービーはそこでたきぎ拾ってるじゃないかって?

そうなんだよ。

「悪魔」を追い払ったフィービーは、誰からも文句を言われることなく、王様の側女になった。

ところが、初めての晩、新しい王様のベッドを拒んでこう言ったらしい。

「私の仕事は、王様のそばにお仕えして、身をお守りすることではなかったのですか?」

それで、すべておしまい。

王様は笑って、フィービーをお役御免にしましたとさ。

僕のお話は、これでおしまい。

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フィービー! 兵藤晴佳 @hyoudo

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