12/31

 予定通り、オオタキと我が家で過ごした。

 中学生の頃にアサハラなんかに誘われたりしたことはあったけど、それらは面倒だったから全部断っていた。だから、家族以外の人と大晦日を過ごしたのは、今日が初めてだ。

 昼間の内、駅まで迎えに行こうと思って電車の時間を聞こうとしたら、オオタキとのトークルームは数日前の、


小川夏愛>『こたつのヒモ買いました』

riko>『おー』

riko>『ないすじゃん』


 というやりとりから電話も何もないままで、今日、ちゃんと話せるかしら……と不安になるなどした。アサハラとも何か話をしたらしいし、それも気になっている。あの一件以来、やっぱり妙に話しづらかった。

 上着を着てから「これで合ってるのかしら」と悩みながら粗雑にストールを巻いて外に出ると、昨日の雲はどこへやら。

 からっと乾いた冷たい風と、眩しい陽光が降り注ぐ。外気に晒した頬は暖房で暖められていて、その気温差がどこか心地よかった。雲一つない、冬晴れの空だった。

 予報通り、晴れてくれた。商店街はすっかり年越しムードで、すれ違う顔見知りに定型めいた挨拶と笑顔を振りまいて駅に向かう。

 ここでバイトをしていれば、嫌でもたくさんの顔を覚えてしまうものだった。


 そろそろオオタキが来るだろうか、と駅の時計台前でコートのポケットに手を突っ込んではぁさむさむ、と白い息を吐いていたらふと、背後に気配を感じて。

 ん? と振り返る前に、ポケットの中で温もっていた手に冷たいものが当たって、わぁ、となった。背中から抱き着くような状態で、こっそり近づいてきていたオオタキがポケットの中で手を重ねてきていた。


「びっくりした? おはよ」


 私の肩に顎をのせて、顔、近い、近い。ってなる。いい匂いがして、背中やら腕やらに感じる柔らかさが、よろしくない。いけませんよ。

 離れたオオタキが正面に立ち、両手をパーにして私に向けてくる。へへへ、一発かましてやったぜ、的な達成感溢れる笑顔だった。二人で一つのポケットに手を突っ込んだまま移動してもよかったんだけど、と惜しむように思った。


 フードのついた白いニットワンピにブラウンのコートを羽織って、今日のオオタキは全体的にゆったりふわふわとした、冬らしいシルエットが可愛い格好だった。マキシ丈、って言うんだっけ。くるぶし辺りまでを覆うような長い丈のスカートは、落ち着いた雰囲気をしてるオオタキに、よく似合うように思う。

 そして、それと、首元。まるでいちばん最後に注視したような書き方になっているけれど、本当は何よりも始めに気が付いた。

 それを指摘しようとして、オオタキの言葉が遮った。


「つけてきてくれたんだ、それ」


 位置でも整えるみたいに、指先でつけていたストールを摘んだ。

 私が巻いているのと同じ、赤いチェックのストール。それで少しだけ隠れた口が、控えめににこっと笑う。

 クリスマスに母さんが私たちにプレゼントしてくれた、お揃いのやつだった。

 ストールに巻き込まれて緩くカーブした後ろ髪と、はみ出して無邪気に揺れるサイドが可愛らしい。

 ここまであからさまなものはさすがに恥ずかしいんじゃないかな、と思っていたけど。実際こうして身に着けて外に出てみると案外、悪くない気分だった。

 サンキュー、ママ。


「巻き方、変じゃない?」

「嬉しい」

「いや、答えになってないよ、オオタキ」

 

 お揃いで、浮かれちゃってるみたいだった。

 クラスの誰かに見られたら、どう思われるだろう。学校へこれを付けていく勇気は、さすがにないな。

 冬休みに入る前まではほとんど毎日会っていて、そうでなくとも電話かラインのやりとりはしてたのが、ここ数日。それをぱったりとやめただけで、こんなに久しぶりに会ったような気分になるとは思わなかった。

 おめかししたオオタキが可愛いというのもあるけど、顔を見た瞬間に膝から崩れ落ちそうになった。「ひさしぶりだね」と言われて、泣きそうになった。もう末期だわ、私。好き。

 てかさ、あの、動きがいちいち、あざといのよ、オオタキさんは。自分が可愛いこと完全に理解してるでしょ、あれは。そうじゃなかったら、素で無自覚のままあれをやってるのなら、世の中の可愛くなりたくて頑張っている女性たち全員に喧嘩を売ってるようなものだと思う。ちょっとした移動でもととっと小走りしてみたりするの、小動物か? ってなる。服も含めて大人っぽい格好と所作をしているのに、ちょいちょい幼さを見せてくるのが、もうあざとくてもうやばい。もうって二回書いちゃう程度にはやばい。オオタキ幼くて可愛いなぁ何なんだ君は全く! ってこと、この日記に何回書いてるかわかんない。でも可愛いもんは可愛いんだから仕方がない。ずっと同じ人がずっと同じ人のことを観察して日記書いてんだから、同じとこを可愛いって思うのも仕方ないでしょ。


 何か言うでもなく私からオオタキの手を握って、ちっちゃ、やわらか、つめた。と三つ、頭の中で思う。それからすぐに、氷でもとけるように冷たさが消える。

 駅前で周りに人が多くても、最近じゃ全く意に介さなくなった。

 そもそも女同士で手を繋いで歩いてたって、別に誰も気にはしない。さすがに知り合いともなれば話は変わってくるが、世界は思ったより、私達に無関心だということを少し分かってきた。私はそれを喜ばしいと言うか、好都合だと思う。オオタキがどう思っているかは、与り知らないけど。


「なんか、安心しちゃった」


 二人で駅前の通りを歩きながら、白い息と一緒にオオタキがふいにそう呟く。


「あんしん?」

「うん。ずっと、ラインもしなかったから」

「あぁ、そうね」

「夢なんじゃないかって、色々。思ったりしてさ」

「……こないだの?」

「それも、そうだけど……オガワと付き合ってんのとか、全部が」


 濁して口にした「こないだの」を思い出すと、手を繋いでるのが妙に恥ずかしくなってくる。熱が手から全身に行き渡り、上着を脱いで商店街を駆け抜けたくなった。でも手を繋いだまま私が思いっきり走ったら、多分運動の苦手なオオタキはケガする。

 脚の裏が火照るような疼きを堪えて、オオタキの話を聞く。


「誰かと付き合うのとか、うん。ちょっと前のわたしだったら、想像も出来ないから……なんか、夏ごろからずーっと、長い夢でも見てたのかなぁって。そんなわけ、ないんだけどね」


 ぽつり、ぽつり、と言葉を紡ぐ。

 なんてかわいいことを言うんだ……こいつは……。

 

「バカみたい、わたし」


 そんなことない。

 くだらない羞恥心で不安にさせたことを大いに後悔して、聴きながら、もう離さないって気持ちを抱きながら、小さい手を強く握る。そんな意思がオオタキに伝わってくれたかどうかはわからないけど、否定を込めて、言葉を返す。


「私だって、さっき泣きそうだったんだから」

「え、なんでさ」

「なつかしくって」

「……なにそれ。どっちもどっちじゃんね、こんなん」


 と笑う。それから「え、じゃあ、なに。泣いちゃうほど好きなんだ、わたしのこと」とか少し小馬鹿にするみたいに言われたので「じゃあオオタキは夢見るくらい好きってこと?」と言い返した。

 そしたら「そうだよー」とけらけら笑いながら軽い感じで返された。


「……ごめんね、不安にさせて」

「なぁに偉そうなこと言ってんの。オガワのくせに、なまいきだー」


 繋いだ手を歩くのに合わせてぶんぶんと勢いよく振り、おちゃらけてオオタキが笑う。それにつられて、私も笑った。幸福って、こういう状況のことを指すんだろうなと思った。


 久しぶりの二人の時間があまりにも幸せで、思わず手を繋いだまま家の玄関を潜ってしまった。オオタキが母さんにおじゃましますを言いにリビングへ行ったとき、母さんの視線で気が付いたくらいだった。

 私も人のことを言えた立場ではないけど、オオタキもオオタキだ。

 どんだけ浮かれちゃってるんだ、と思う。


「ほんと仲いいわね、あんたたち」


 いつも通り、抑揚のない冷めた視線と言葉で母さんがそう指摘してきた。

 なんだか見せつけているみたいで、頭んなかお花畑のバカップルみたいで。いや事実、そうなのかもしれないけど。恥ずかしくて、手を離したくなる。

 でもここで焦ったら余計に格好がつかない気がして、そうならいっそ、と逆に力を強めたりした。


「それ。おそろっちじゃん。ママめっちゃ嬉しいわあ」

 

 ふざけた口調で言いながら、臙脂色のニットの首元をくいっと前後に動かす。穏やかに細める目の色も変えないまま、つーっと口角が大人しくつり上がった。

 自分の母親にこんなことを思うのは聊か恥ずかしいと言うか、変な感じがするけど。美人だなぁって、素直にそんな感想を抱く。これがオオタキに言わせれば私にそっくりというのだから、不思議だなぁと思う。


 部屋にオオタキの荷物を置いてから、ゲームセンターに行った。

 カップルっぽいことがしたい、というオオタキの提案だった。いやでもこないだ、ほら……した、ばっかじゃん。あれこそカップルっぽくない? どう? とは言わなかった。言わせてるみたいで、きもくなりそうだったし。


 今日二人で赴いたのはバッセンとかボーリング場とかが一緒になったお店で、結構、大きいとこだった。県内でも指折りの規模の施設で、田舎なのにこういうのがあるの、なんでだろうと思う。田舎だから土地が余ってるとか、そういうものだろうか。


 最初にユーフォーキャッチャーをやった。

 オオタキが何度か挑戦し、近くにいた美人の店員さんが何度か位置を変えてくれたりとして、ちょうど五百円使ったとき「オガワ、ちょっとやってみて」と言われて二回くらいやらせてもらったら、めっちゃデカいポケモンのぬいぐるみが取れた。

 ラッキーって名前の子らしかった。お腹にポケットがあって、そこで卵をあっためているピンク色の生き物。母性溢れる笑顔が愛らしいポケモンだ。ちなみに私はポケモンというとピカチュウとリザードンくらいしか知らない。

 しかし、こんなに大きいのをゲットしてしまったら、手を繋げないじゃないか。これはミスったな、鞄に仕舞えるお菓子かなんかを取ればよかった。と心の中で密かに後悔する。でも、オオタキは喜んでるみたいだった。

 オオタキ、ポケモンとか好きだったっけ? と聞いたら「え? 別に」と返された。なんやねん。雰囲気が楽しいとか、そういう感じだろうか。まぁ、喜んでくれてるなら、それでいいけど。

 

「プリクラ! これ、やってみたかったの」


 ほら行こう行こう、とオオタキが私の手をぐいぐい引っ張ってくる。おいおいそんなに急がなくたってプリクラの機械は逃げませんよ。まったくかわいいんだからもうヤバくないですかこれ私の彼女です。と道行く顔も名前も知らない人に自慢しそうになった。

 機種がやたらとたくさんあって、どれがいいのかがイマイチわからなかった。なので、とりあえず一番手前のやつに入ることにした。カーテンを潜って中に入ると、なんか、えっちだなぁとか思った。ここならやらしいことしてもバレないんじゃないでしょうか。などとくだらないことを考えたりした。

 最近のプリクラって、ポーズとか表情とか指定してくるんだね。いや、昔のを知っているわけじゃないけども。よくわからないからとりあえずピースしたりした。

 画面に映る自分の姿はものすごくマヌケで、それに対して隣の女の子が可愛すぎた。

 ほとんど指示を聞かないでカメラの方を向いていたら「ちゃんとやってよ!」とオオタキに笑われた。その瞬間を撮ったやつが、結構お気に入りだ。


 気付けば機械の可愛い女の子の声に『ラスト一枚だよ!』とかなんとか言われた。最後は特にポーズの指定も無く、思うがままにやっていいみたいだった。もとより指示に従っていたわけでもないけど、最後と言われるとちょっと悩む。


「どうする? ちゅーとかする?」

「や、さすがにはずいかな」


 オオタキの提案をやんわりと拒んだら、カウントが始まり。肩に手が乗せられたかと思うと、ゼロと同時に頬に柔らかいものが当たる。フラッシュが焚かれて、シャッターが切られる。

 撮影が終わってから横を見ると、オオタキが「ふへへ」と変な笑みを漏らしながら顔真っ赤にしてにやけてた。

 そんでまあ当然だけど、オオタキが私のほっぺにちゅーしてる写真が印刷されて出てきた。家宝にします。拒否したくせになって自分で思います。バカだ。



 陽が傾き始める頃に帰宅して、特にすることも無いのでこたつに潜り込んでテレビを見たりした。ぬくいねぇ、ととろけた表情で言うオオタキを眺めていると、こっちまでとろけそうになる。


「あと五時間で、今年も終わるね」


 携帯の時計を半開きの目で見つめるオオタキが、ふにゃっふにゃの口調で言う。


「ちょっとせっかちじゃない?」


 あと、眠くなるにも早い気がする。まだ七時だぞ。昼間遊んだとは言えども。

 一番初めにも書いたけど、年越しを家族以外の誰かと過ごすのは今日が初めてだった。というより、大晦日だ元日だからといって、何か特別なことをしたっていう経験がないような気がする。

 さすがに親戚の家に行ったりはしたけど、そういうのって別に望み好んですることじゃないし。むしろ、ああいうのは乗り気じゃないまである。

 そのようなことを、取り留めなく話した。


「へぇ。なんか、オガワっぽいね」

「そりゃ、私の話だからなあ」

「わたしもね、友達と年越すのはじめてだよ」


 言い終えてから、何かに気付いたみたいにテーブルに乗せていた顔を持ち上げる。中空を見つめて、


「……あ、恋人だったか」


 そう言って、にへぇ、と変な笑みを浮かべて顔を逸らす。

 恥ずかしくなるくらいなら言わなきゃいいのに。

 こっちまで、恥ずかしくなっちゃうじゃないですか。

 

 なんだか喋り辛くなって変な空気の中、部屋のドアをノックする音。はいと私が返事をすると、菜箸を持った母親が少しだけドアを開けて顏をその隙間から覗かせた。


「おそばゆでたけど、食べる?」

「いただきます」

「じゃあ二人とも、リビングおいで」


 返事をしたのはオオタキなのに中々こたつから出ようとしてくれなかったので、脇腹を掴んで引っ張り出してあげた。「マ」に濁点がついたような声を出して、なんかデカいネコみたいだった。私は犬派だけど。

 ふと、ボディタッチにも慣れたなぁなんて思った。半年くらい前の私だったら、えっ体触るの待って無理無理無理ふえぇ柔らかいぃとか言ってた。絶対に。

 絶対。

 

 そばを食べ終わってから、部屋に戻る。

 身体が暖まった状態でこたつに入るのは暑いような気がしたので、ベッドに腰を掛けた。一方オオタキはというと、全く迷う様子も無くこたつへ吸い込まれていった。どこで貰ったのか懐からみかんを取り出して、皮をむき始める。


「オオタキさん、暑くないの?」

「ぜんぜん」


 グレーのパーカーからちょこっと指を出して、みかんのすじを取るのに夢中なようだった。あざとかわいい。


「あーこの人好きー」


 テレビの中で、前髪の長い男性シンガーが素敵な歌を歌っていた。初出場らしかった。流れる歌には聞き覚えがあって、サビに突入するとその既聴感(??)の正体に気付く。


「これ、いっつもカラオケで歌ってるやつ?」

「えっ、よく覚えてるね。はず」

 

 そりゃ覚えているに決まってる。オオタキが歌うんだもん。

 それに加えてなんとなく良い歌詞だなぁ、なんて思ったんだ、この曲は。

 

 長い歌番組が終わり、年が明けるまでもう十分程度。

 特に何をするでもなく、ただいつもより携帯の待ち受け画面を意識してみたりだとか、そんな感じで。間もなく、表示されていた四桁の数字が三つのゼロに変わる。


「……あけたね」

「そうだね」


 新年一発目の会話は、これだった。なんか極まりが悪いように感じるけど、正解も良く分からない。好きとか言い合えばよかったのかな。それどこのバカップルだよ。


「じゃあ、神社行こうか」


 言いながらよっこらせとこたつから出て、クローゼットを開ける。自分のとオオタキの上着を取り出して、その片方をこたつから出てこようとしないオオタキに投げる。やっぱり出てきてくれなくて、さっきと似たような手順を踏んで引っ張り出した。


「ひ~、さ、さみぃ~ふぉ~」


 夜の商店街はほぼすべてのお店のシャッターが閉まっていて、人気が無く閑静なその景色は見慣れない。

 隣を歩くオオタキが心底寒そうにコートのポケットに両手を突っ込んで、肩を竦める。巻いた赤いストールが持ち上がって、鼻先まで隠れていた。その隙間から漏れる白い息が、街灯に淡く照らされていた。

 とんでもない寒さで、こたつが恋しくてたまらなくなる。

 こりゃオオタキが出たがらないわけだ。


「あ、あったかい飲みもの、ほしい」


 肩を抱いてぷるぷる震えながらオオタキが言う。私も欲しい。

 道中のコンビニに寄って、暖房の温かさを数分味わって。

 コーヒーとココアを買ってから、コンビニを出た。


「いつも思うんだけどさ」

「うん」

「コーヒーって、おいしい? わたし、甘いやつしか飲めないし」


 うわ、なんなんもう、かわいっ。

 いいよ、飲めなくても。オオタキがブラックコーヒー飲めなくても、世界は大丈夫だから。と答えるのはさすがに日本語が下手すぎるので、少し考えた。正直、缶コーヒーは美味しくはないし。

 ここで香りがどうとか風味がどうとか言えればカッコよかったんだろうけど、私の貧相な語彙では伝わりそうになかったので、飲んでいただく方が早い気がした。


「飲んでみる?」


 頷くオオタキに、缶を差し出す。

 それを受け取り、飲み口をじっ、と見つめて「間接キッスだね」と笑った。どこか彼女の頬が赤く見えたのは、寒さのせいかしら。別に今更、それくらいじゃドキドキしないよ。

 ゆっくり口をつけて、こく、とちょびっとだけ口に含む。


「……うぇ」


 その反応から察するに、どうやらお気には召さないみたいだった。


「ムリ」


 渋い顔で返してくる。受け取った缶の飲み口を、意味も無く見つめたりしてしまった。一口飲んだコーヒーは、ほんの少しだけココアの甘い味がした気がした。


 細い路地に入ると、神社はもう目の前だった。

 赤い灯りが足元を照らす頃には、周囲を木の燃える匂いと甘酒の匂いが満たしていた。開運招福初詣、と書かれた赤いのぼりを見て、あぁ年が明けたのか、なんてバカみたいなことを思った。

 田舎の神社だからってのもあるが、思ったよりも人がいなかった。隅に張られたテントの中に、ストーブを囲んだ五名ほどのおじいちゃん達がいただけだった。


「なにか、お願いした?」


 賽銭箱の前で最後の一礼を済ませたあと、オオタキがそう聞いてきた。


「えっ、初詣ってそういうもん?」

「多分?」


 何も考えていなかった。

 じゃあ、可愛いオオタキがもっとたくさん見れますようにとかでいいや。


「そういうオオタキは何かお願いしたの?」

「口にすると叶わなくなるって言うから、言わない」

「そうなんだ」

「ま、いつか、話すさ」


 なんか、似たようなやりとりを結構前にした気がする。


「一番にこれを話すのは、オガワじゃなきゃいけないからね」

「…………ふうん」


 良く分からなかったけど。

 彼女の横顔はいつになく真剣そうで、何か冗談のようなものを言っているようには聞こえなかった。


「……今年の内に、言えたらいいなぁ」

「言っちゃえばいいのに」

「ダメだよ、はずいもん」

「はずいお願いなの?」

「はずいね」

「なんだそれ」


 ……なんだろうか。恥ずかしいお願いって。


 帰宅して上着をハンガーにかけたりお風呂の準備をしたりとしていると、母さんが部屋にやってきた。


「おい娘たち。ちょっといいかい」


 入口の戸に肘をついて言う。

 私は娘だけど、オオタキは違うが。


「とーちゃんと海行くんだけど、一緒にどう? 初日の出」

 

 オオタキが良ければ、と言おうとして、初日の出と聞いて目をきらきらさせるオオタキを見て、その相談は不要だと判断した。

 私たちの住んでいる町は特に海沿いというわけでは無いので、それなりに距離がある。電車で行くなら乗り換え必須だ。車でなら、高速道路を使わないで四十分程度。

 後部座席に座り、出発して十分も経たずにオオタキがぐーぐー眠っていた。

 膝掛をかけてあげて、携帯を弄りながら到着を待った。

 同級生から「あけましておめでとう」といった旨のラインがたくさん来ていて、それぞれに適当(テキトー)な返信をする。かつての私だったらこれすら面倒がってサボったりしていたかもしれない、なんて思った。

 あとアサハラから写真が送られてきていて、何かと思ったら寝ているフジワラの顔の写真だった。私はどんな反応をすればいんだ、この写真に対して。


 海岸の広い駐車場は車で既にいっぱいで、あっちこっちと数分うろうろして漸く車が停まると「はやく彼女起こして行っといで」なんて母さんが笑いながら言った。オオタキの肩を揺すると「うぅーん」と唸って、目を擦る。


「んんぅ」

「オオタキ。海、ついたよ」

「ぅみぃ?」


 寝ぼけちゃっている。

 日の出見るんだよ、お正月だよ。こんな説明いらないだろと自分で思いながら、丁寧に言葉を重ねる。軽い記憶喪失にでもなったようなオオタキのしっちゃかめっちゃかな返答に、父さんと母さんが笑っていた。なぜか私が恥ずかしくなった。


 車を降りると、痛みを伴うような冷たい風が吹きあたる。既に空は明るみ始めていて、少しだけ急ぎ足で砂浜に向かう階段を降りた。まだ寝ぼけ眼のオオタキを一人で歩かせるのは危ないから、手を繋いだ。できるだけ人の少ない場所を選ぶと、そこで日の出を待つことにした。


「さむい」

「そうだね」


 言いながら、オオタキがぴったりと身を寄せてくる。同じ柄のものを巻いているから、なんだか一つのストールを二人で共有しているみたいに見えたかもしれなかった。オオタキの左側に立ち、右手をオオタキの背中に回して反対側のコートのポケットに突っ込む。その中で手を重ねると暖かかい。


 やがて。

 明るんできた群青を染めるように、水平線から黄金が迫ってくる。

 輪郭のはっきりした強い光が揺らぐ波に反射して煌めき、真っすぐな線を描いていた。

 直視していると眩しくて、意図せず焦点がぼやけるようになる。ゆっくりと形を変えていく平べったい光の塊が丸くなる頃、波の音に混じり、周囲からは携帯のカメラでシャッターを切る音とたくさんの人の声がした。

 そんな中、私とオオタキの間に言葉はなく、ただ、寒さを堪えるように静かに身を寄せ合う。手と手を重ねたまま、私の方に抱き寄せる。そうして何を言おうか、悩んでいると。


「死ぬときは、海でがいい」


 ぼそり、と独り言めいた口調で、オオタキがそう溢す。

 突拍子も無くて、理解するのに時間がかかる。なんか、詩的と言うか、意味深と言うか、ぶっ飛んでいるというか。要するに、なんだそれ、と思った。


「溺れて死ぬのは苦しいから、寝てるときとかに、いちばん深いとこにつれてってほしい」

「……オオタキ、もしかして悩みでもある?」

「ないよ、そんなの。ないけど……なんか、見てたら思った」


 ちら、と隣を伺うと、陽がオオタキの瞳に反射して潤んでいた。

 写真を百枚くらい撮りたくなる。澄んだ空気に包まれた顔は、とても綺麗だった。目も心も奪われて、ああ、好きだなあって思う。口にしたくなるけど、今言うようなことではないような気もする。


「……物騒な一言から始まっちゃったね、今年」

「じゃあ、今ならなに言っても、今年一番ロマンチックになるんじゃない?」


 ほら、オガワのセンスが試されるよ。はいどーぞ。と促してくる。


「えぇー」


 ……死ぬなら、海が良い、かぁ。

 さっきのオオタキの言葉を、胸の中で繰り返し唱えてみる。

 縁起でもない、おめでたいこの日この時間にはおよそ相応しくない言葉。なのに声の調子はどこか前向きで暖かく、暗い部屋を淡く灯す蝋燭の火のようだ。

 緩く、今までを振り返る。去年の年越しは、何も特別なこともせず、寝て過ごした。きっとその前やそのまた前だって、似たように時間を食い潰していたんだと思う。はっきりと覚えていないのだから、つまり、そういうことだった。

 それから冬が過ぎ、春になり、私はオオタキと出会った。

 その出会いは、私の世界をがらりと変えた。

 何もかもが、そこから始まったんだと言ったって。

 全然、大袈裟じゃない。


 すぅ、と真冬の潮風を吸い込む。

 入れ替わるように白い息を吐き、陽光で橙色に染まる煙が薄れて消えた。

 それで、色々、考える。


「……私も、死ぬなら海がいいかも」


 大きな滝から始まる流れが小川を流れていき、最後は海に行き着いて。

 こじつけめいた言葉遊びのようだけど、理に適っているような気が、しないでもなくも、ないような気がする。

 そのような考えを余すことなく口にするのは気恥ずかしいから、結論だけ告げる。きっとオオタキも、色んな思いが伴ってああいうことを言ったんだろうと、私も同じように言葉にしてから気が付いたのだった。


「合わせなくていいよ。心中じゃん」

「一周回って、ロマンチックな気がしてくるね」

「たしかに。ろまーん」


 かわいい。

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