12/30
晴れない心模様を顕著に示すように、朝から厚い雲の広がる日だった。でも雲のおかげか、晴れているより寒さは控えめだったような気がした。なんとなく。
バイトに行く道すがら、灰色の空を見ながらそのようなことを考えて、明日は晴れてくれると良いんだけど。なんて思ったりした。予報では、晴れるみたいだが。
今日に限らず大抵の日はそうなんだけど、あまりにもお客さんが来なくて店長が奥の部屋で居眠りこいてた。
しかも、ちょっと寝よう、とかじゃなくて、結構がっつりと。こたつに吸い込まれて、横になってた。
私はというと、自分で淹れたコーヒーを飲みながら、カウンターでボーっとしていた。
仕事しろ、って感じだ。でもお客さんが来ないんだから、仕方がない。
ちょっと前まではコーヒーがおいしいとか不味いとかそういうのはさっぱりわかんなかったけど、少なくとも缶コーヒーはおいしくないなって最近は思う。ミルクの量とか調節できないし、なんか、独特のにおいもするし。
椅子に座って呆けながら、店の前を通過する人を眺めたり、くるくる回るシーリングファンを見つめてみたり、しっとりしたジャズピアノに耳を傾けたり。
そうやって何も考えないでいると、空っぽになった頭の容量を埋めるみたいに浮かんでくるものがあった。
このお店にオオタキと二人で来て、勉強した日があった。私服のオオタキと会ったのは、あのときが初めてだった。すっごく可愛かった。いや、いつも可愛いけども。初めて見たってだけあって、一番好きなオオタキの私服は? って聞かれたら、なんの迷いも無くプリーツスカートに涼し気なシャツ合わせたやつですって答えちゃう。そんなこと、いつ誰に聞かれるのかわかんないよね。
思い返せば、あの時からもうオオタキの様子は変だった。あの日、駅で別れるとき、帰り際。会いたかっただけ、とか言ってたし。その日の夜は冗談交じりに告白やんけ! なんて思っていたけど、まさかあれが本当になるとは思わなかった。そんな風に日記を書いた覚えもある。
まさかそれが、こんなに長く続くなんて。まだ書き始めてから半年程度だけど、三日かそこらで飽きるだろうなと心のどこかで思いながら初日は書いたような気がする。別に誇らしい、いや、恥ずべきことなんだろうけど、頑張ってるなって思う。これもひとえに、オオタキが可愛いからに他ならない。
だって今日なんて、会ったどころか電話で話したりすらしていないのに、こんなに色々書けてるんだし。どうかと思う。
そんな風に無意識、色んなことを思い出しつつ。
洗い物や仕込みも済んでしまったから、片手間に店長が読んで仕舞わないままにしてあった「茨城県のおいしいケーキ屋さん」という雑誌をぱらぱらとめくったいたら、ドアベルが鳴って。
雑誌を閉じ、いらっしゃいませぇと言って入り口に向かうと、なぜかアサハラがむっとした顔でそこに立っていた。
まずこいつがお店に来ること自体が珍しくて、それが一人でというのが、さらに珍しい。
いつもなら、もう一人いるのに。
「ひとり? どうしたの」
「遊ぼうぜ」
「いや、バイト中ですけど。見たらわかるだろ」
寒さで頭がおかしくなっちゃったのかもしれなかった。生足だったし。見てるこっちが寒くなるわ。
お店にやって来たアサハラは余所行きの格好をしていて、正直一瞬、誰かと思った。いつも後ろで簡単に結んでいるだけの髪をサイドで結っていて、私服で短いスカート穿いてるとろなんか、初めて見たかもしれない。
なんでも、フジワラと出かけるつもりだったのに忙しいからと断られてしまったらしい。
それでここに来ると言うのも、どうなんだと思うけど。お店は暇ではあるが一応、私はバイト中だ。遊べるわけも無いし、もしかして友達いないんだろうか、こいつ。
とりあえず空いてる席に案内して、というか、店内にお客さんはひとりもいなかったけど。お好きな席にどうぞと言ったら、カウンター席を選んで座った。
本日のお勧めはこちらですとか、普通なら色々言わなきゃならない工程をすっ飛ばし、横に立って話しかける。
「終わるの、夕方だけど」
「すぐ帰るよ。あまいやつ。あったかいの」
「雑なオーダーだなぁ……では、少々お待ちください」
「ふ、何それ」
「笑ってんじゃねぇ」
およそお客様に言ってはいけないような言葉を吐き捨ててから、さて、とカウンターに引っ込んで、豆を入れた瓶が並ぶ棚を眺める。
甘いの、と言っても、色々あるのだ。そもそもの豆の風味が甘いものもあるし、ミルクと砂糖で飲みやすくしたやつだって甘いのに分類されるんだと思う。
おそらくアサハラが求めているのは後者で、前者の方を「こちら、甘いのです」と言ってお出ししたら、飲んでもらえないと思う。
一般的に甘いとされる豆は高いものが多いし、うーむ、と色々考えて、まぁ、いっか。よくわかんねぇし。とコーヒーは早々に諦めて、ココアを作ってお出しすることにした。
しっとりしたクッキーなんか添えたら、完璧だ。すぐ目の前の椅子に座って携帯を弄っていたアサハラに「ごゆっくりどうぞ」と言って差し出す。
「で、何しに来たの?」
「これ、読もうと思ってさ」
言って、鞄から分厚いハードカバーの本を取り出してカウンターに置く。ほとんど真っ黒の表紙とひらがな四文字のタイトルには見覚えがあって、そういえば、この間本屋さんに行ったときに平積みされているのを見た。
彼女が結構な読書家なのはもとより知っていたけど、こういうのも読むんだ、ふぅん。と思う。
「アサハラさん、本とか読むんですね」
「あたしのことなんだと思ってんだ」
「アホ」
「ばかたれ。おしゃれな喫茶店で本読むのとか、なんかイイカンジじゃん?」
「まぁ、その光景見てるの私しかいないけどね」
「だからおめーが発信してくれよ。インスタで『店に美少女来た』ってさ」
「ぜったいやだ」
ていうか、インスタやってない。
それに、そういうのをやるなら小さめの文庫本とかの方が絵になるような気がする。いや、完全に私の主観なんだけどさ。
それから一時間くらい本を読んで、ココアをおかわりして、少し話をしたらわりとあっさり帰ってくれた。帰ってくれた、と書くとさっさと帰ってほしかったみたいになっちゃってるな。間違いではないけど。
会計を済ませてから、読み終わった本をお借りした。じゃあつぎに会うのは来年だね、と軽く話しているとき。
「そうだ。いっこ言おうと思ってたんだ」
「なに?」
「昨日、オオタキからライン来た」
「えっ」
「……明日、楽しみだねっ!」
「えええ」
「じゃあ帰るわ。良いお年をー」
「ええええええ」
からからと笑いながら、しまってあったマフラーを巻き直す。その口ぶりからして、ある程度の察しはつく。それでも、ある程度。ある程度だ。
何をどこまで聞いたんだ、こいつは。
何をどこまで言っちゃったんだ、オオタキは。
経緯なども語らないアサハラを問いただす間もなく、手を振る後姿がドアを潜って曇り空の下に行ってしまう。閉じるドアの隙間で「うおぉさむっ」と身震いしたのが見えた。生足だもん、そりゃ寒いに決まってた。
悶々としたまま、明日を迎えることになりそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます