7/16

 朝の九時半頃に駅に集合、って予定だった。そんなに早く出かける予定にしてしまってオオタキが起きられるか心配だったけど、ちゃんと起きてくれて、よかった。なんなら私より早く起きていた。

 書いていて思ったけど、そんなに早くも無いかもしれない。


 楽しい予定の前の日は寝れないタイプだなんて、昨日の夜言っていた。でも、普通にちゃんとぐっすり寝てた。寝れないよー、と電気を消してからすぐにそわそわした様子で言ってから、五分も経たずにかわいい寝息が聞こえてきたし。

 アラームをセットしていた七時半の少し前、それが鳴る前に目が覚めた。掛布団を捲って上半身を起こして、床の方を一瞥して、とするとオオタキと目が合って驚いた。

 二人で朝を迎える日、オオタキが先に起きているのは、今日が初めてだったから。


「オガワ、おはよぶ」

「んふ」


 携帯を天井に向けるようにして顔の真上で弄っていたオオタキが、挨拶と同時にそれを手から滑らせた。

 こつ、と音がして、結構痛そうだったけど、笑ってしまった。うぅと悶えて鼻を押さえながら、オオタキが起き上がる。


「鼻血、でたかもしれない」

「出てない出てない」


 笑いながらベッドから降りて、ほらオオタキも、と促す。

 水着なんかの用意は昨晩の間に済ませておいたので、歯磨きをしたり着替えたりとして出かける準備を進める。集合時刻は九時半だから、まあその十五分くらい前に出れば、駅には間に合うだろう。

 オオタキの長い髪はいつものようにおろしたままだと泳ぐのに邪魔だろうからと、簡単に編み込んでアップにしてあげた。お風呂あがりに乾かしてあげる時も毎回思うのだけど、オオタキの髪は本当に綺麗だ。触っていて気持ちがいいし、びっくりするくらいいい匂いがするし、常に濡れたようにとぅるっとぅるだし。

 こんなに綺麗なのに、海なんて連れて行ってしまって大丈夫なのかな。お義母さんに怒られてしまうんじゃないだろうか。もしも私がオオタキのママだったのなら、絶対に止めると思う。それ以前に、オガワとかいう変な女となんか付き合わせない。絶対に。


「変じゃない? これ」

「ぜんぜん変じゃないよ。めっちゃかわいい」


 自分でやっておいて言うのも何だけど、だいぶ雰囲気が変わって、とっても可愛かった。なんか、活発な女の子って感じだ。

 でもオオタキはそれがちょっと慣れないみたいで、ちょんちょんと指先で弄ったり手鏡でいろんな方向から見てみたりと、そういったことをしていた。

 大丈夫、かわいいってば、と言ってみても「オガワはどんな髪型でもそう言いそうだから、信用ならない」と言われてしまって、何も言い返せなかった。

 だってほら、可愛いものは、可愛いんだもの。

 

 予定の時間も近づいてきて、二人で玄関に行くと母さんが「今日は早起きだね」なんて言いながら後ろをついてきた。この言葉は多分、オオタキに向けてだったと思う。

 母さんはオオタキの話をするときに「美人」「お行儀がいい」「ねぼすけ」とよく言う。実際、全部当たってる。


「それ、ナツにやってもらったの?」


 靴を履き換えていたら、母さんがオオタキを指差して言った。オオタキがはい、と頷くと、へえなんて言ってから頭を撫でるみたいにオオタキの結った髪に軽く触れた。私の彼女に触るんじゃねぇ! と大きな声が出そうになった。


「そういうのも、似合うね。いいじゃん」


 オオタキの頭に手を乗せたまま、母さんがにこっと笑う。オオタキは少し困ったような表情をして、でも口角はちょっぴり上がっていて。そんな顔を母さんには見られたくないのか、俯いて「あ、ありがとう、ございます」なんて言っていた。

 ていうか、ねぇ、さっきからさ。あんたら、顔、近くない? 母さんはいつまで頭撫でてんだよ。私、そんなことしたことないよ。ずるい。異を唱えたくなり、でも、美人なお姉さん(母さんはお姉さんなんて歳でもないけれど)に迫られるオオタキというのも、中々、絵になる気がしないでもなかった。

 じゃねーわ。

 ほらもう行くよ、と母さんの手から逃れるように、オオタキを引っ張って催促する。


「じゃ、行ってくるね」

「行ってきます」

「はいはい。気を付けてね。楽しんでおいで」


 ひらひらと手を振る母さんに見送られながら、外に出る。

 蝉の声と強い日差しを全身に浴びて、夏だなぁと思った。まだ夏休みまでは数日あるけど、気分はもうすっかり夏休みだ。

 駅に向かって二人で歩いていると、道中にあるコンビニの入り口横でアサハラが唐揚げ棒をむしゃむしゃ食べている現場に遭遇した。

 遠巻きに見て、もしかしてあれ、アサハラじゃない? なんてオオタキと話していたらこっちに気付いて手を振ってくれた。


「おっす」

「フジワラは?」

「おしっこしてる」

「あ、そう」


 一応女の子なんだから、そういったことはあんまり口に出すべきじゃないと思うんだけど。とくには触れないでいると、フジワラが外に出てきて「おはよー」と笑った。二人の私服姿を見るのは随分久しぶりな気がして、ちょっとだけ初対面の他人と話しているような感じがしないでもなかった。


 駅で切符を買い、まずは一昨日オオタキと一緒に乗った青い電車で、オオタキと一緒に行った白顎しらあご駅まで。そこで電車を乗り換え、蒼詰あおづめという駅に向かう赤い電車に乗る。

 さっきまで乗っていたのと比べ、どこか造りが古めかしくなったような気がする。そんな車内の、二人掛けの椅子が向かい合うように並んだボックス席に座った。


「海、まだかな」

「どうだろうねぇ」


 窓側の椅子に座ったオオタキが、ちらちらと外を見てはそわそわとしていた。

 この電車には何度か乗ったことがあると思うのだけど、そこまで子細に記憶しているわけでもなかった。窓から海って見れんの? どうなの? と向かいに座っている二人に問うと「そうなら素敵なんだけどね。残念ながら、見れないよ」とフジワラが答えた。

 それを聞いて、露骨にオオタキが肩を落としてがっかりする。その様子がまた、途轍もなくかわいくて。なんか、小さい子供みたいだ。いやまぁ、高校生なんて実際、子供なんだろうけど。


 蒼詰駅に着くと、いつの間にか周囲は海水浴に行くんだろうと言う装いの人たちでたくさんだった。

 駅前のロータリーにはバス停がいくつかあり、その中の一つだけに人が集中しているように見えた。あれが海水浴場に行くバスなんだろう、とすぐに察して、え、あの列に並ぶの……? この炎天下で……? と連想する。

 イヤすぎる。帰りたい。と口から漏れそうになったところで「そっちじゃねーよ」とアサハラが腕を引いてきた。

 番号で言うと、三番のバス停に長蛇の列。アサハラが促すバス停は、一番。


「あっちじゃないの?」

「こっちのはバス停から少し歩くけど、空いてるんだよ。秘密な」

「さっすがぁ」


 多分、去年もこれに乗って移動したんだろう。なんで覚えてねぇんだ、なんて言いたそうな目で見られていたけど、気にはしなかった。

 十分と待たずにバスがやってきて、それに私達四人だけで乗り込む。整理券を取り、手近にあった椅子に腰を下ろしてドアが閉まるとぷしゅう、と大きな音と一緒にバスが走り出した。


 ところで、私は結構乗り物酔いをする方だ。

 小学生の頃に行った遠足なんかの準備に酔い止めは欠かせなかったし、母さんの雑な運転では大した距離でなくとも気分が悪くなったりするので、遠くに出かけるなら車の運転は父さんが良い。

 そんな体質なわけだから当然、バスで移動を挟むときいたら嫌な予感が過って。その予感は案の定、的中した。

 バスの独特のあの加速が胃の底をかき混ぜるみたいで、数分と経たずに、気持ちが悪くなった。


「オガワ、真っ青だよ。大丈夫?」

「うん、ごめん、ごめん」


 オオタキが項垂れる私の背中を擦る。夏服の薄い生地を通して伝わるオオタキの小さな手の感触が、もう既にかわいかった。感触が可愛いってどういうことなんだろうか。などと気色の悪い感想を浮かべている余裕は正直、何処にもなかった。短い距離と甘く見積もってしまった。酔い止め、持ってくるべきだった。

 うぅうぅと唸ると少しだけ楽になるような気がして、俯いていると床が波打つみたいに見えた。吐きそうだった。


「横になったらどう?」

「そうだよ。いい膝枕があるじゃねぇか、そこに」


 後ろの席からそんな声が聞こえてきて、なるほど、と思って横に倒れ込んでみた。オオタキの「わ、ちょ、ちょっと」なんて言う声を無視して、意識を委ねる。

 スカート越しに感じるオオタキの脚が柔らかくて、ふわっと包まれるようにオオタキのいい匂いがして。

 頭も痛いし気持ち悪いしでもほっぺたに感じる柔らかさも女の子の匂いも心地いいしで、もう忙しいことこの上ない。

 そしてバスの席は思いのほか狭くて、収まりが悪くて。ただでさえ不調な身体の節々が、直ぐに悲鳴を上げだした。


「いや、狭いし……腰、痛いわ……」

「そうだよね、起きれる? 大丈夫?」

「すっんんんごい、いい匂いする」

「ねぇ、ホントに酔ってる?」

「酔ってるよ……バスと…………オオタキに」

「やめて」


 体調不良にかまけて、色々口走ってしまった。

 この時の私は知る由も無いのだけど、あとでオオタキに聞いたら後ろで二人がにやにやとしていたらしい。みせもんじゃねーぞ! と思う。


 蒼詰キャンプ場前、というバス停で降りると、車酔いで気持ち悪いのと蒸すような暑さのダブルパンチで歩道にぶっ倒れそうになった。

 アサハラの肩を借りて、ほとんどそれにぶら下がるみたいな感じで移動した。

 横ではオオタキが心配そうに「大丈夫? 大丈夫?」と何度も聞いてきて、なぜかそれに対してフジワラが「しんぱいしなくていいよー」なんて答えていた。

 いやうん、多分もう少ししたら収まるだろうから、間違いじゃないんだけどね。あんたが言うことじゃないと思う。


「おめー、ほんとにバス苦手だよな」

「ごめん……」

「わかってて乗せたあたしが悪いよ。ごめんな」

「本当、それね……」

「爆速でてのひら返すじゃねーか」


 釣竿を垂らす人を見下ろしながら赤い橋を渡り、小学生の頃に来たような覚えがある水族館を遠目に通り過ぎる。

 造りの古いお店の列に挟まれた坂道を下る頃には、幾分体調も落ち着いてきた。

 頬と髪を撫でる風には潮の匂いを強く感じるようになり、開けた道に出ると、ぱっと視界が青一色に染まった。

 思わず、わぁっと声が出そうになった。

 水を混ぜたような薄い空の青と、鮮やかな濃い海の青だった。


「わあ、海だ。ねえ、海だよ、オガワ」

「なんか、すごい漫画みたいなこというね」


 太陽よりも、オオタキの笑顔の方がずっと眩しかった。

 なにその、人差し指ぴーんって前の方指してさ、ぴょんぴょんしてさ。あざといんじゃないの。そうやってはしゃいでるところがもう、かわいいしか言えなくて、つらい。語彙を鍛えなきゃなと思う。

 天使を見ていたら、せっかく良くなってきた身体の具合がまた不調に戻りそうだった。救急車。救急車を呼んでくれ。


 休憩所、とでっかく書かれた建物の中には更衣室やシャワーなんかがあって、そこで水着に着替えることになった。

 周囲に人がいる環境で着替えるってのは、別にそんな大したことではない。体育のときだってそうだし、銭湯とかプールだって同じようなものだ。だからここでオオタキの着替えを見るのだって、別に、普通に、何もおかしなことなんてない。

 平常心よ、オガワ。

 そんな具合で、頭の中を空っぽにするような錯覚をしつつ、視界を透明にするような気持ちを装った。オーバーサイズのシャツは脱がないまま、下着と水着を入れ替えるようにして、できるだけ肌は外に見せないように着替えを進める。平常心。へいじょうしーん。


 心の中で言い聞かせるように唱えてみても、隣ではオオタキのあれとか、それとかが、と思うと、いやちょっとくらいは、なんて魔が差す。ていうかオオタキだって、どうせ私と同じように隠して着替えているだろうし、と都合よく理由をつけて、ちらっ、と。

 一瞬。

 本当に一瞬だけ見て、すぐ、逸らした。

 彼女はこういう場では隠さないタイプなのか、そもそもこうやって着替えるやり方をご存じでないのか。そのやり方じゃうまいこと装着できない水着を購入してしまったのか。どれが正解なのかはわからないけど、いや別にどれでもどうだって良いのだろうけど。

 とにかく、肌色だった。これはいけない、まだ早い、いや何が? と数秒の間に思案して、頭をぶんぶんと振って。私はいつの間にこんなすけべ女に成り果ててしまったのだろうかと神様に懺悔した。


「えっち」

「え」

「もう終わったよ。どう?」


 えっちと言われてしまって顔を上げると、両手をパーにしてアリクイの威嚇みたいな状態でオオタキが私の方を向いていた。なんだそれは。抱き着いていいのか。


 まず初めに、ほっっっっそ! しっっっっろ! と思う。腕も足も、病的とまでは行かない、非常に丁度良く女の子女の子した体型で、あれこれ、モデルさんか何かか……? となる。普段から見れる手やおでこなんかでわかってはいたけど、肌、綺麗すぎると思う。もう全身つるつるのすべすべで、頬ずりしたくなる。頬ずり、してもいいですか。みんなの理想でしょ。男も女も好きになっちゃうでしょ、こんなの見せられたら。


 そして、水着。

 昨日、モールで試着もせずに、秒で選んだ水着。

 レースのトップスに透ける細い腰が色っぽく、上下両方についた白いフリルには可愛らしさもある。ミニスカートめいたそれがひらひらとオオタキの動きに合わせてささやかに揺れていて、ちらちらと覗く太腿の付け根が、いけないと思う。脳がか勝手にモザイク処理をして、頭の中でもっといけないことになった。

 これはオオタキのためにデザインされたんだろうなと思うくらい、似合っていると思う。似合いすぎだ。これ選んだの誰だよ、国民栄誉賞ものだろ。あ、本人か。じゃあ既に受賞済みだったね。

 そのようなことを口にしたらあまりのキモさに嫌われてしまいそうなので、ぐっ、と堪えて。


「かわいい、すっごく」

「うん。オガワも、かわいいよ」


 短く纏めると、嬉しそうに微笑んで賞賛を返してくる。

 昨日部屋で散々似たような言葉を食らったってのに、脳はまだその擽ったい刺激には慣れてくれなくて、そわそわとしたりした。

 そうこうしている間に、アサハラとフジワラはさっさと着替えを済ませて更衣室から姿を消していた。服の下に水着を着ていたりしたんじゃなかろうか、あいつら。

 お楽しみはまだこれからだってのに、ただ着替えただけで若干、疲れが滲むようだった。着替えを終えて外に出ると、既にアサハラとフジワラが準備万端といった状態で私とオオタキを待っていた。いつの間にか浮き輪なんかを抱えていて、でもあの二人って普通に泳げたよねって思う。


「オガワ、去年のとおんなじじゃん。あたしと買ったやつ」

「あ、ほんと。じゃあサイズ、変わってないんだね」

「小さいもんな」

「ミオより小さいもんね」

「うるっさ」


 ほんとうるさい、こいつら。


 てきとうな位置にパラソルとシートを設置すると、わぁあと三人がサンダルを脱ぎ捨てて砂浜を走り出した。日陰に三角座りをして、その三人の背中やオオタキの脚やら腕やら腰やら脚を眺めた。えっちだなぁ、まったく。


「砂、あっつ!」

「つめたー!」

「わはははは」


 オガワも来なよー、と笑い声と一緒に聞こえてきて、立ち上がらないままそれに軽く手を振る。ほら、荷物とか見てなきゃいけないし、オオタキのことも見てなきゃいけないし。


「たのしそーだなー」


 しばらくの間は、少し遠くでわーきゃーと楽しそうに遊ぶ三人を眺めていた。特に理由はないけど、自分が遊ぶよりも楽しそうなのを見ている方が好きだった。単に面倒臭がりなだけかもしれない。

 そんな風に、オオタキが担ぎ上げられてざばぁんと海に放り投げられたり、寝転がったアサハラが砂に埋められたりしてるのをぼぅっと見ていたら。


「ねぇ! お姉さん、一人?w」


 時計を見ていたわけじゃないから、何時ごろかはわからないけど。

 茶髪でマッチョな男の人が、話しかけてきた。多分、大学生くらいだろうか。


「泳がないの?w」

「はぁ」

「友達は? どこにいんの?w」

「あっちっす」

「てか、めっちゃ綺麗だねw」

「ザス(ありがとうございます→あざっす→ザス)

「どこから来たの?w」

「あっちっす」

「LINE交換しない?w」

「やってないっす」


 てきとうに返事をしながら、彼の方は見ないで、波を見る。彼という漢字と、波という漢字はけっこう似ている。

 目を離したのは一瞬だってのに、いつの間にかオオタキ達がどこに行ってしまったのか分からなくなってしまって、これ遠くから面白がって見ていたりしたら嫌だなぁ、なんて考えたりした。

 まさか、昨日の母さんの忠告が冗談にならないとは思わなかった。ていうか、私よりもかわいいのがあっちに三人もいるってのに、どうして私に寄ってくるんだろう。

 あー、アサハラー、助けてくれーなんて心の中で呟きつつ、どうやってこの茶髪マッチョを追い払おうか考えていたら。


「やっやめてくださいっ」


 私と茶髪マッチョの間に入って、とは言えないくらい、ちょっと離れた場所からそんな声が聞こえてきた。誰なのか声ですぐにわからなくて、その方向を見るとオオタキがぷるぷると小刻みに震えながらこっちを見ていた。


「誰? お友達?w」

「友達じゃなくて、彼女、ですっ」


 あらら、オオタキさん。

 わざわざそんなことまで言わなくてもいいんじゃないの。旅の恥は掻き捨てなんて言うけれど、どこで誰が聞いているか分からないじゃない。言いたいことを胸に留めて、あ、そういえば、と思う。これはあれだ。前、オオタキの幼馴染に私がやったやつと似てる。


 オオタキの彼女です宣言を聞いた茶髪マッチョが、ええっと一瞬驚いたかと思うと、何かに納得したように「なるほどねー!w」なんて笑いながら、手を振ってどっかに行った。

 なんか、ユリ? だのなんだの言っていたような気がする。意味はよく分からなかったけど、離れて行ってくれたので、よかった。

 オオタキは、すっごく勇気を出して声を出してくれたんだと思う。変な声だったし、マナーモードの携帯かってくらい震えてたし。 その反動か何かでか、随分縮こまってしまったみたいだった。くたびれた様子のオオタキをシートに座らせて、俯く顔を覗き込む。


「さっき、助けようとしてくれたの?」

「……うん」


 膝を抱くように体育座りをして、目を伏せるオオタキ。自分の求めていたような結果にはならなかったらしく、情けないところを見られてしまって、落ち込んでるように見えた。だけど実際問題、それで助けられたわけだし。慰めてあげると言う表現も似合わないと思うけど、軽くオオタキの肩を抱くようにして手を乗せたらすべすべ過ぎて失神するかと思った。海の水に濡れた肌はひんやりしていて、ちょっと油断したら手が震えそうだ。


「あ、ありがとね。可愛かったよ」

「そこは、かっこいいって言ってほしい」

「うーん。かっこよくは、なかったかなぁ」


 しおらしそうにしている割に言っていることは中々強情で、そのギャップが愛らしくなる。

 もし、今日のオオタキが、前に私がしてあげたことをなぞっていたとして。

 それと同じ感想を求めていたのなら、と、振り返ってこれを書いている今は思う。

 もしかして、かっこよく見えているのかな。

 オオタキの目には、私のことが。

 ……いや、勝手な想像なんだけども、うぅん。


 なんでも私が茶髪マッチョに言い寄られているところにはすぐに気づいたらしく、アサハラに「おいほら彼女がピンチじゃねぇか! たすけにいかなきゃ!」と背中をばしばし叩かれたらしい。なにやってんだよ、あいつは。




 帰りの電車をホームで待つ間、オオタキがうつらうつらとしていた。話しかけても返事が噛み合ってないし、滑舌は濡れすぎた煎餅みたいに芯が無くふにゃふにゃだった。

 二つしかない青いベンチにオオタキを座らせると、すぐに頭ががくんがくんと前後に揺れだす。起きていたい理由はわからないけど、頑張って眠気と戦っているみたいだった。


「寝てていいですよ、オオタキさん」

「んん」


 そう促してあげると、揺れが収まってすぐに寝息が聞こえてきた。電車が来たので起こしてあげて、乗り込むとまたすぐに船を漕ぎだした。それにつられるように、アサハラも寝ていた。

 私とフジワラが内側になり、その両脇にアサハラとオオタキが座っている。行きのようなボックス席ではなく、窓を背にして向かい合う椅子だった。


「いきなり誘って、ごめんね」

「ううん。いつものことだし、どうせ暇だったから」


 二人を起こさないようにと気を遣ってか、小声で囁くようにフジワラが話しかけてくる。それを倣って、私も小さい声で返事をした。


「告白は、うまくいったの?」

「まぁ、うん」

「そっか。心配してたんだよ? わたしも、ミオも」


 うん。二人のおかげだよ。

 そう言おうとして、だけど、照れくさくて口には出来なかった。

 曖昧に濁すようにして、楽しかったな、今日、なんて言ってみる。沈黙を破って「いま、誤魔化そうとしたでしょ?」なんて意地悪そうにフジワラが微笑んだ。


「……わかってるなら、その気持ちを汲んでくれないかな」

「あはは。ごめんごめん」


 薄い謝罪を経て、それ以上、この話はしないでくれるみたいだった。

 電車の外に目を向けると、川面に西日が反射して長い帯を描いていた。


 来年も、来れたらいいなって、柄にもなく思ったりした。

 これを書いている今だって、思ってる。

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