7/8 決着

 今日は本当に何も予定が無かった。昨晩のことを思い返しては溜息を吐いて、天井を眺めてカーテンを見て、本棚からお気に入りの小説を引っ張り出して読んでみても全く頭に入らなくて、枕元に放ってまた溜息を吐いて。

 午前中は、ほとんどそうやって時間を捨てた。


 頭を埋め尽くす、どころか、身体まで蝕まれているような心地だった。

 全部だ。全部、オオタキのことばかり。

 私が会いたいって言えば、きっと彼女は喜んで会ってくれる。そして、こう言うだろう。


 オガワから誘ってもらえて、うれしいな。


 もう、彼女が何を求めてるのか、ある程度分かってしまっていた。

 それでも私がそうしないのは、なんでなんだろう。それは単純に電話が苦手だとかそもそも自分から連絡するのが嫌だとか、そういう理由じゃない。昨日も書いたが、得体の知れない違和感から逃げるための、口実に過ぎない気がする。

 もう、自分で自分のことが、よくわからなくなってきた。


 午後になってから、気分を変えようと思い立ち本屋さんへ赴いた。商店街の、行きつけのお店。特に欲しい本があるというわけでは無かったけど、この他に行く場所も思いつかなかった。


 昨晩のお祭りの熱が残っていたとして、それを遥かに凌駕するような熱気を肌に感じる。揺らぐ景色の中を、のそのそ歩く。ただでさえ足元の眩むような心境なのに、暑さが目眩に拍車をかけた。

 本の匂いと冷やされた空気に包まれ、まずはお気に入りの出版社の棚へ、と思う前に足が勝手にそこへ向かう。顔見知りの店員さんに頭を下げたとき、ふと、目に入った情報を疑った。


 えっ、なんで。となる。

 気付かれる前に店を出てしまおうか、なんて考えている間に、その人と、目が合ってしまう。

 無視するわけにもいかなくて、とりあえず、挨拶する。


「……こんちは」

「どうも」


 そこには、モミジさんがいた。

 涼やかな表情で、文庫本を棚に戻しながら言う。対する私は、たぶん「うわぁ」って気持ちを隠せてない感じの表情だったと思う。

 互いを認識してからすぐに店を出るのも忍びなくて、仕方なく、狭い店内の中で彼を避けるように本を物色しようとした。でも当然、集中できるはずも無くて。

 さっさと古本を数冊見繕い、足早にお店から去ろうとする。会計を済ませて自動ドアを潜れば、背中に言葉を受けて立ち止まる。


「オガワさん」

「……なんですか」

「このあと、時間ある? 少しだけ、話したいことがあるんだけど」

「……」


 本当は、嫌ですと答えたかった。当たり前だ。ただでさえこの人のことはそこまで好きじゃない上に、嘘を吐いて隠し事をしている相手なわけだし。下手に話して、墓穴を掘りたくはなかった。


「まぁ、少しなら」

「あれ。断られると思ったんだけどな」

「だったら最初から誘わないでくださいよ」


 だってのに、どうしてか、冷徹にはなれなかった。

 オオタキも、こうしてずるずると関係を続けてしまったのだろうか、なんて想像する。まぁ、その関係を截ち切ってしまったのは、わたしなんだけど。


 意識してみると確かに、不思議な引力のある話し口の人だった。彼の話にも、興味が無いと言えば嘘になる。この辺で話せる場所とかある? と聞かれて、そういえばモミジさんも電車で来ているんだっけと思い出した。


「へぇ。オガワさん、ここでバイトしてるんだ」


 来たのは、私のバイト先だった。

 本屋さんの近くで静かに話の出来る場所が、ここしか思い付かなかった。正直に言えば男の子と二人でいるのを知り合いに見られるのはあまり快いものではないけど、まぁ、我慢だ。

 奥で寝ている店長の代わりに娘さんが対応してくれて、あぁ、彼女でよかったなと思う。

 もしもここで顔を合わせるのが店長だったら、きっとしつこくあれこれ聞いてきたことだろう。覚えもないのに、容易に想像できた。


「話って、なんですか」


 二人分の飲み物が運ばれてきて、それに口をつけながら、切り出す。


 彼の話を要約すれば、オオタキと私が付き合っていることには、随分前から気が付いていたそうで。だけどそれが気に入らなくて、まるで二人の邪魔でもしているような行為に及んでしまったんだとか。


 詳細までは記憶していないけれど、そんな感じのことを言われた。いや。覚えてない訳じゃないんだけど。書き記す必要性を感じないというか。


 前々から思ってはいたのだけど、何となく、語尾がオオタキに似ていると感じてそんなことで、あぁ、本当に二人は幼馴染なんだ。などと考えたりした。


「……ごめん。本当に」


 テーブルを挟んで頭を下げられて、やめてくださいという言葉が思わず口を突いて出る。

 カウンターに顔見知りがいて、彼女にこんな現場を見られるのも嫌だったし。それに。


「いいですから、その……謝らないでください」


 嘘で塗り固めた現状を大いに恥じて、ずき、と胸が痛む。

 他人の幸せを踏み躙った事実を知らしめられるようで、息苦しさが声を低くさせた。

 オオタキと自分の他にも関わる人がいたんだって、そんな当たり前のことを今更になって強く意識する。謝るのは、こっちの方じゃないのか。そうやって傷心に打ちひしがれそうになってふと、あれ、と思う。


「そんなに、あからさまでしたか、私達」


 モミジさんはクラスも違うし、それ以前に、私とオオタキが付き合うフリをし始めたのはけっこう、最近のことだ。随分前、と言われるといやいやいや、と言いたくなる。


「君って言うか、リコがね。幼馴染だし、気付くさ。それくらい」


 あぁ、なるほど。とは、ならない。

 その疑念を問い詰めるのが怖くなって、言葉を飲み込んで尻込みしてしまう。


「ところでオガワさんは、リコのどこを好きになったの?」


 コーヒーを一口飲み込んで、場の空気を入れ換えるように、そんなことを聞いてくる。


 可愛い声が好き。綺麗な髪が好き。落ち着いた所作が好き。白い肌が好き。少し垂れた目が好き。小さい口が好き。

 挙げれば枚挙に暇がなくて、だけどどれだけ用意したところで、果たしてそれは彼の想いを上回れるのだろうか。

 私には分からないような、もっと深い部分でオオタキを好いているような。根拠のない憶測だけど、彼を見ているとそう感じてしまう。

 それと自分とを比較して。何か薄っぺらいような気がして、言葉に詰まる。


「……まあ、言わなくていいよ。悪かったね、変なこと聞いて」

「いえまぁ、変ってのも、変ではあるんですが」

「僕も言えって言われたら、たぶん黙っちゃうしね。好きなとこ、多過ぎて」

「わかる」

「なんだい急に」


 思わず大きな声が出て、それを爽やかに笑って流される。


「もう、君らの邪魔はしないからさ。リコのこと、よろしくね」

「……はい」


 力なく返事をして。

 私なんか。って気持ちばかりが、水を吸うように膨れて重くなっていくのだった。


 願っていた状況になった。

 整理すれば、簡単な話なのに。私の鈍らな脳は、それを簡単に受け入れてはくれない。

 私は、伝えるべきなんだろうか。

 オオタキに、このことを。

 そうなれば、私たちは。

 付き合ってるフリをしている、私と、オオタキは。

 悩んでしまう時点で、もう、手遅れなんだと思った。

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